ルミナスは、思いを馳せる
中庭から城内に移動すると、薔薇園にいた時のような、薔薇の甘い香りが微かに漂っていた。エントランスホールのような広い玄関には壁際に長テーブルが設置されていて、薔薇の花が生けられている。廊下を歩いていると外壁に面したアーチ状の窓が開けられていて、外に咲いてる薔薇の香りが風にのって城内に入っているようだ。
応接室に案内されて室内に入ると、室内にも薔薇が生けられていた。深い緑色の絨毯には薔薇の刺繍が施されているし、アンティーク調のソファとテーブルには、手の込んだ細工がされている。
お父様とお兄様が住む城はシックな雰囲気があって、調度品もシンプルな物だったけど、マドリアーヌ伯爵には息子がいないからか、華やかな雰囲気がある。
……凄いなぁ……
伯爵が何故そこまで薔薇好きなのかは理由は知らないけど、ここまで徹底して薔薇推しなのを見て、感心した。
「この絵…」
ソファに座ろうと室内の中央まで歩いていたけど、壁に飾られている絵画が視界に入り、私は足を止めて思わず声を漏らした。
木製の額縁に収められている絵は、一本の長い茎の先に三本の枝分かれした赤い薔薇の花が描かれている。枝分かれした花は、蕾と満開、散る様子が描かれていた。
上品な薔薇は細部まで細かく、絵だと分かっていても棘に触れれば指先に痛みが走りそうだ。
背景は白で、薔薇の一生を描いたような作品に、私は惹きつけられるものがあった。
「それは私の1番のお気に入りなのですよ。」
マドリアーヌ伯爵が、ニコニコと機嫌の良い表情で話しかけてきた。私が立ち止まってジッと絵を見ていたから、自分のお気に入りを気にしてもらえて嬉しかったのかもしれない。
「本物の方が綺麗ですよ〜。」
マナはソファに座りながら、絵や調度品には関心が無いようだった。
視線を移せば壁には他にも、色とりどりの薔薇の花が描かれた絵画が飾られている。
座って話しましょうと伯爵に促されて、イアンの隣に私は腰を下ろした。
テーブルを囲うようにして3人掛けのソファと、私から見て横向きに1人掛けのソファが、向かい合わせになるように設置されている。
エクレアは応接室に来る途中で、すぐにそちらに行きますわ。と笑顔で言って、使用人とどこかに行ってしまった。
「素敵な調度品が多いですわね。どれも細やかな細工がされていて、わたくし見とれてしまいましたわ。」
肘掛けに手を添えながら話すと伯爵だけでなく、隣に座る伯爵夫人も嬉しそうに顔を綻ばせた。きっと室内のインテリアは伯爵だけでなく、伯爵夫人も協力して設置したのだろう。
「どれもニルジール王国の品なのです。職人が多い国ですから、我が領地では一番にニルジール王国の品が手に入るのですよ。」
穏やかな表情で話した後に、伯爵は顔を横に向けて先ほどの絵に視線を移して言葉を続ける。
「……私が薔薇を愛してるのは商人達の間で周知の事実のようでして、以前にあちらの絵を持ち込んだ商人から買い取ったのですよ。肖像画を依頼したかったのですが、名も知れぬ画家の作品だからと、断られてしまいましたけどね……」
息をついた伯爵は、画家に未練たっぷりのようだった。……愛してるんだ…。
薔薇の話をするときの伯爵は生き生きしているし、好きなものがあるのは良いことだと思う。
城以外にも都市の外でも薔薇を育ててると言ってたし、調度品やドレスに薔薇にこだわって注文していたら、商人達の間で知れ渡ってもおかしくない。
……肖像画かぁ……。
隣に座るイアンにチラリと視線を向けると、使用人がテーブルの上に置いた、グラスを手に取り口に運んでいた。イアンの前にはグラスだけ置かれて、私やマナの前には陶製のカップが置かれている。
先ほど外で飲んだ時に、好みの確認もしたのだろう。
……私とイアンが2人で並んだ絵を、描いてほしいな……。
グラウス王国では肖像画が1つも無かったし、肖像画と聞いてもイアンはピンとこないだろう。自分の絵を飾る事に恥ずかしがりそうだけど、私と2人でなら喜んでくれる気がする。
私が肖像画について思いを馳せていると、話し声が耳に入ってきた。
「ねぇねぇ、エクレアさんは薔薇が好きだけど、キャロルも好き?」
「は、はい…幼い頃から薔薇を見て育ちましたし、もちろん好きですわ。他の花も好きですし…」
「他には何が好きなのー?」
「えっと…エキウムや、マリーゴールド…」
「エキウム!? 知らない名前だ! あっ! 私もマリーゴールドが好きだよっ!」
マナの明るい声と、キャロルのぎこちない硬い声がした。マナがグイグイ押し気味に会話をしている。
2人が花の話題で盛り上がってる…いや、マナが楽しんでキャロルは少し緊張気味のようだけど。
……キャロル大丈夫。すぐ、慣れるよ。
マナとキャロルは年が近いし、すぐに仲良くなるだろう。私が2人の様子に微笑ましい気持ちになりながら見ていると「ルミナス様…」声をかけられたので、正面に座る夫人に視線を向ける。
「エクレアに石鹸を贈ってくださいまして、ありがとうございました。…あの石鹸は、グラウス王国で作られた品なのでしょうか?」
「…いいえ。わたくしが個人的に欲しくて、お願いして作ってもらっただけですので、グラウス王国で作られた物ではないですわ。」
夫人が眉尻を下げて「そうでしたか…」と言って、残念そうな顔をする。もしかしたらエクレアに渡した石鹸を夫人も使って、気に入ってくれたのかもしれない。欲しいならまだ残ってはいるけど、今後も続けて使うなら……
「わたくしは製法を知りませんけど、マドリアーヌ領には沢山の薔薇が咲いていますし、色とりどりの薔薇の石鹸を作ってみてはどうですか?」
私の提案に「まぁ…! よろしいのですか?」夫人が前のめりになりながら、食い気味に聞いてきた。
……特許なんてあるのかな?
疑問に思ったけど、毎回リゼ様に作ってもらうのは悪いし、みんなが香り付きの石鹸を使えば良いと思った私は口を開く。
「構いませんわ。良い品が出来たら、是非わたくしにも見せて下さい。」
笑顔で私が返すと、夫人は顔に喜色を浮かべて頷き、ゆっくりと上げた腰をソファに沈めると、頰に手を当てながら何やら考え事をし始めた。夫人の頭の中は、今石鹸の事でいっぱいなのかもしれない。
「マドリアーヌ伯爵、これだけ沢山の薔薇を育てていらっしゃるなら、そのうちマドリアーヌ領で新種が生まれそうですわね。」
何気なく話題を振ったのだけれど、私の言葉に伯爵は目を丸くさせて「新種…私だけの…薔薇……」独り言のような呟きを漏らした。
……あっ、まずいこと言っちゃったかも……
伯爵は自分で新種を生み出す発想を、これまでした事が無かったようで、伯爵の頭の中は薔薇でいっぱいになってしまったようだ。
新種が生まれる過程を私は知らないけど、すぐに出来るようなものじゃないだろう。
マナはキャロルと会話が弾んでいるようで、イアンと目が合った私は、さてどうしよっか…とお互いに苦笑いを浮かべた。
「エクレア様がお越しになりました。」
扉を叩く音と使用人の声がして、私は顔を後ろに振り向かせる。
…… ? ……何を持ってきたんだろう?
扉が開けられると、エクレアと…その後ろから大きさの違う木箱をそれぞれ両手に持った使用人達が、ぞろぞろと室内に入ってきた。




