王は悩む
ルミナス達がマドリアーヌ領に向かって、馬車で進んでいた頃……
ニルジール王国
帰国したコメルサン商会のダイス会長は、重い足取りで城に訪れ、煌びやかな調度品の置かれた応接室に通されてから、そわそわと落ち着きなく視線を彷徨わせていた。テーブルの上に置かれた飲み物には一切手を付けずに、普段頭に被っている緑色の帽子を両手で持ち、緊張した面持ちでソファに座っている。
コンコン
扉を叩く音がして、ビクッと一瞬肩が跳ねたダイス会長は、柔らかな絨毯にしっかりと両足を付けて立ち上がる。室内にいた使用人が扉を開ける姿を視界に入れながら、ソファから離れて跪き、頭を垂れた。
「飲み物はいらないから、下がってて。」
鈴の音のようにリンとした声と、扉が閉まる音がダイス会長の耳に入るなか、絨毯から目線を外さないダイス会長の前に、少年が歩み寄る。
「ダイス会長、長旅お疲れ。…詳しい話を聞かせてくれるかな?」
少年の言葉に、ゴクリと唾を飲んだダイス会長は「は、はい…」と上ずった声で返事をすると、少年に促されてソファに腰を下ろした。
「シルフォード王子、誠に申し訳ございません。せっかく機会を与えて下さいましたのに…私のような凡人には、新たな事を始める…糸口すら見つける事が出来ませんでした…」
正面に向かって深く頭を下げたダイス会長の表情は暗く、落ち込んでいるのに対して、シルフォード王子はハハッと笑い声を上げて「君にそこまで期待はしてなかったから、大丈夫だよ。」と軽い口調で返した。
シルフォード・フウ・ニルジール 第四王子
側妃の子である12歳のシルフォードは、透き通るエメラルドのような瞳でダイス会長を見据える。
ダイス会長はその瞳に、一瞬見惚れてしまいそうになった自分を心の中で叱咤して、身を引き締め直した。「それよりさ…」とシルフォードが言葉を続けて、ダイス会長は内心ドキドキしながら次の言葉を待つ。
「……僕は王都から出た事が無いから、他国の様子を知りたいんだ。旅の間に見聞きした事を話してよ。許可証はそのまま持ってて良いから。」
シルフォードは、ニコッと子供らしい笑みを見せる。ダイス会長は腰に下げた袋に手を当てながら、肩の力を抜いた。袋の中には許可証が入っていて、シルフォードのサインが書かれている。
「実は、オスクリタ王国に赴いた時に……」
ダイス会長が、ゆっくりと丁寧な口調で、オスクリタ王国で盗賊に襲われ、国境を越えた先でルミナス達に助けてもらった事、他にもオスクリタ王国で目にした造船所の事などをシルフォードに話す。
「大変だったね。」
シルフォードはダイス会長の話に相槌を打ちながら、時々質問を繰り返しては、話に耳を傾け続けた。
「……話を聞けて良かったよ。帰国したばかりで旅の疲れが癒えてないよね。今はゆっくり休んでコメルサン商会の今後の事は、また日を改めて話そう。」
シルフォードは優しげな眼差しを向ける。
ダイス会長は礼をすると退室して行き、入れ替わるようにして室内に使用人が入ってくると、シルフォードの前には飲み物が置かれた。
取っ手の無い陶器のカップを手に取り、ハーブティーを一口飲んで、軽く息を吐いたシルフォードは、飲み切る事はせずに、すぐさま応接室を後にする。
……オスクリタ王国の造船技術を取り入れたい。陸路よりも海路の方が運送も早く……
シルフォードは顎のラインで切り揃えられた、鮮やかな緑色の髪を揺らしながら、城内の廊下を歩く。
ダイス会長から聞いた話を頭の中でまとめながら、歩く足を止めずに考えを巡らせた。
ニルジール王国は、オスクリタ王国の次に国土が広い国で、国内には川が多く、荷物の運搬を陸路だけでなく船を使い川を利用していた。そのため造船の技術はもちろんあるが、ダイス会長が目にした大規模な造船所と船の話を聞いて、シルフォードは海での交易を頭に思い浮かべていた。
少女のような愛らしい顔つきをしたシルフォードは、幼い頃から物覚えが早く、落ち着きのある聡明な子供であった。
……今すぐ実現出来るような事じゃない……
軽くため息をつきながら、王の執務室へと向かって足を進める。後ろには専属の侍女と護衛も付いており、普段城内から殆ど出ないシルフォードは、家庭教師から礼儀作法や文字の読み書きを学んだり、読書をして過ごしていた。本を手に持ち執務室に訪れる事も多々あり、ソファに座り大人しくしているシルフォードを、王は追い出すような事はせずに許していた。
……コメルサン商会の事は後回しにしよう。それよりも、父上に報告を……
執務室の扉の前で足を止めると、入室の許可と共に扉がゆっくりと開かれる。
室内に足を踏み入れた先には、正面に椅子に座る王の姿があり、王の前にはアンジェロと宰相が並び立っていた。
「どうしたのだ? シルフォード…」
疲れの色が見える顔で王は、目線を前に向ける。
シルフォードは扉が閉まる音を耳にしながら、王の前まで歩み寄った。
「白き乙女について、報告がございます。」
ハッキリとした口調で告げたシルフォードに、隣に立つアンジェロが、驚きに目を見開かせる。
王は宰相を退室させると、その場には3人だけが残り、シルフォードはダイス会長から聞いた、ルミナスが盗賊を退治して救ってもらった事や、馬車を直してもらい帰国した事を話し始めた。
「とんでもない、力だな…。」
シルフォードの話を聞き終えると、額に手を当てて俯いた王が声を漏らす。
「…先ほどアンジェロから、シルベリア領の都市内で商人が目にした話を聞いた時も驚いたが…」
王のため息混じりの声に反応したシルフォードは、横に顔を向けてアンジェロをジッと見つめる。
僕にも話せ! と目で訴えかけているように感じたアンジェロは、ルミナスが広場で子供を救った話をシルフォードに話した。
広場で目にした商人の話は、一瞬で人が移動した、手も道具も使わずに井戸に落ちた子供が助かった……
というものだった。
その商人が他の商人仲間に話をして、ルミナスの髪色が白だということもあり、ルミナス様が白き乙女だ!とニルジール王国に帰国した別の商人から、噂が徐々に国内に広がりつつあった。
アンジェロはその噂を耳にして、王に報告に訪れていたのである。
ここ数ヶ月で頰が少し痩けたように見える王を心配する気持ちになるシルフォードだったが、他にも話すべき事があるため、躊躇することなく口を開く。
「父上、もう1つ報告があります。白き乙女とイアン王子一行は、ニルジール王国に訪れるそうです。」
「な、なんだと…っ…」
王はカタカタと手を震わせながら、顔を上げる。
シルフォードの言葉を信じていない訳ではないが、嘘だと言ってくれ! と訴えかけるような眼差しを我が子に向けた。
「…陛下…すぐに領主達に知らせるべきです。都市や町に寄りながら、王都にも訪れるかもしれません。歓迎の準備を整えておいた方が良いと思います。」
アンジェロはシルフォードの言葉を真に受け、王に進言した。
「父上、白き乙女はマルシャン商会を気にしていたようです。あそこは珍しい商品を生み出しているので、ダイス会長も『リバーシ』の事を話したと言っていました。」
王は悩む………が、急ぎ決断しなければ対応が遅くなり、国が滅ぶ事態になり兼ねないと考えた王は、祈るように手を組みながら思考に耽る。
王が何も返さないために、室内が静まり返り、シルフォードとアンジェロは顔を見合わせた。
「……領主達と、商会の各会長に白き乙女がルミナス様である事と、イアン王子と共に国に訪れる事を知らせる。城内で歓迎の準備も整えておこう。マルシャン商会にはリバーシを用意させる。」
王は机に両手を付きながら、重い腰を上げて言葉を続ける。
「我が国に訪れるなら、マドリアーヌ領に立ち寄る可能性が高い。アンジェロ…お前の馴染みの商人を、マドリアーヌ領の都市に滞在させて、都市内に目を配らせろ。そしてルミナス様達が訪れたら、すぐに城に伝えにこさせるのだ。」
ルミナス達の動向を探るべく、王はアンジェロに指示を出す。
王族には個人でお抱えの商人や、目をかける商会がある。他国を渡り商売をする商人達は、他国の内情を知るための情報源でもあった。
王の指示により城内が再び、慌ただしく動き出す。
今後も王の悩みの種は尽きない。
次話 ルミナス視点になります。




