ルミナスは、ため息を吐く
グラスに入ってるのは赤紫色で、ワインだと一目見て分かった。カップの方は薄黄色で、注がれた時から甘い香りが漂ってきている。酒ではないようだ。
グラウス王国でもシルベリア領でも、基本飲み物は酒類だったから、ここでもそうだと思っていたけど……
私はカップを手に持ち、一口試しに飲んでみる。
優しい味が口の中に広がり、じんわりと体が温まったように感じた。
前世でレモンティーなら飲んだ事があるけど、これも何かのハーブティーだろう。
「我が領地には葡萄畑がある他に、薔薇や花を育てています。それはカモミールの花を用いたものです。」
伯爵が丁寧な口調で説明してくれて、隣に視線を移すと、イアンは苦手だったのかグラスの方を口に運んでいた。一方マナは『花』と聞いて、興味津々な顔でカップを両手で持ち、ふーふーっ…と息をかけている。
……マナは猫舌だもんね。
市民達が投げていた大量の花びらは、どこから集めたのか疑問に思ったけど、きっとそこから花を摘んできたのだろう。
葡萄畑があるなら、マドリアーヌ領ではワイン造りが盛んなんだろうと思った。
「……ワインも好きですが、これも好きですわ。」
とても美味しいです。と飲んだ感想を口にすれば、伯爵が顔に喜色を浮かべて、隣に座る夫人と顔を見合わせていた。
マナも恐る恐る口にしながら「美味しいです。」と笑顔を見せると、エクレアも嬉しそうに笑みを浮かべ、和やかな空気に包まれるなか……
「あ、あの……」
キャロルがチラチラと私の方を見ながら何かを言おうとしているけど、躊躇してるようで口を結んでしまう。
「どうしたのかしら?」
声をかけると、キャロルは意を決したように私を真っ直ぐに見つめて口を開く。
「ルミナス様は、ニルジール王国内で話題となっている『白き乙女』……なのでしょうか?」
キャロルの言葉を聞いた私は、口角を上げたまま固まる。門に入る前にも聞いたワードだけど、どうやらニルジール王国が発信源のようだ。
「キャロル…今する話ではないだろう。イアン王子方は、その話を知らないかもしれないのだぞ。」
伯爵が先ほどまでの柔らかな表情を消して、厳しい眼差しをキャロルに向ける。するとキャロルは目線を落として僅かに肩を震わせ、先ほど声に出してしまった自分を、恥じるような表情を浮かべた。
「……大変申し訳ございませんでした。」
謝罪を口にしたキャロルの表情は暗く、肩を落としていて、悔やんでいるように見える。
……全然私は気にしてないし、謝る必要ないのに。
心の中で溜息を吐きながら、私はキャロルに向かって微笑みかける。
「構わないわよ。実は市内に入る前にもその言葉を口している人達がいて、わたくし気になっていたの。」
キャロルから視線を移して、私は言葉を続ける。
「マドリアーヌ伯爵。よろしければ、その『白き乙女』について知っている事を、聞かせていただけないかしら?」
風で草の地面に落ちている薔薇の花びらが、ふわりと揺れて、庭園に咲く薔薇やカモミールの甘い香りに包まれるなか、伯爵はゆっくりと口を開いた。
「エクレアがシルベリア領から帰って来る前に、城に品物を届けに来た商人から、白き乙女についての話を耳にしました。」
伯爵の話に私は相槌をうつ。
イアンやマナも私に関係する事だと思ったためか、話に耳を傾けているようだった。
「商人の話によると、ここ数ヶ月の間に『獣人と白き乙女に不敬を働く者は、何者であろうと重い罪に課せられる』…と国王陛下の知らせが、ニルジール王国中に伝わったようです。」
「……ニルジール王国の、国王陛下が……?」
伯爵が頷く姿を視界に入れながら、私は疑念を抱く。サンカレアス王国の民達が獣人を差別しないようにするのは、グラウス王国と友好関係を築くため…という名目がある。
ニルジール王国の国王陛下と私は面識がないし、数ヶ月前の争い以降、ニルジール王国の者がグラウス王国に訪れた事も無い。
国王同士で話し合いか、文のやりとりでもしたのだろうか。それともライアン王子? そんな話は誰からも聞いてなかったけど……
「その商人は、白き乙女が誰の事を指し示すのか、知らせを耳にした時に疑問に思い、同じように他の商人仲間や王都内の誰もが、疑問を口にしていたそうです。」
伯爵が続きを話し始めたので、私は考えるのを一旦やめて、伯爵の話に耳を傾ける。
「その後、ルミナス様とイアン王子が婚約した話がニルジール王国内に広まり、白き乙女はルミナス様を指し示すのでは…と考えた商人が、ルミナス様の髪や瞳の色を私に尋ねてきましたが、私は違うと思って首を横に振りました。」
私は後ろに流している髪を、手で軽く前へ流す。
伯爵と同じように、サンカレアス国内には商人から質問された人が他にもいるかもしれないけど、学園に通っていた時や、パーティーで私を目にしている人達は、違う人物と思っても仕方ない。
「……しかし、エクレアが帰ってきて、ルミナス様の髪色の話を聞いた時は驚きました。そして…こうしてお会いして、ルミナス様が白き乙女では…と私は思いました。娘のキャロルも、私と同じように思ったのでしょう。」
キャロルに視線を向けると、口を固く結びながら相槌を打っていた。
庭園を歩いていた時に、キャロルからの視線を感じたのは、髪色が気になって見ていたのだろう。
『 不敬を働けば重い罪 』
現時点で私は、グラウス王国第一王子イアンの婚約者であり、シルベリア侯爵の娘。
伯爵が私に対して、随分と丁寧な言葉遣いをすると思ったら……ニルジール王国内の事だとしても、礼を尽くすべきと、伯爵は意識しているのかもしれない。
ダイス会長は何も言ってなかった。
あの時は盗賊達の件があったし、もし私を見て何か思う事があったとしても、貴方がそうですか? と面と向かって質問するのは躊躇したのかもしれない。
門の前に並んでいた人達も、イアンが声を聞いたから私も知ったけど、私に直接尋ねるような素振りは無かった。
「ねぇ、エクレア。わたくしの力の事は、家族に話したのかしら?」
「は、はい。ルミナス様が子供を助けた話や、城内でわたくしが目にした、ルミナス様の素晴らしいお力の数々を話しております。」
私からの唐突な質問に、エクレアは目を丸くしながらも答えた。「秘密だったのでしょうか…?」とエクレアが不安げな顔で聞いてきた為、「大丈夫よ。」と言ってニコリと微笑むと、エクレアは安堵したような笑みを浮かべた。
伯爵は今の会話に、エクレアを見ながら怪訝そうな表情をしている。
私の魔法は沢山の人が目にしてるし、秘密にする必要はないと思ってエクレアに口止めしなかった。
お風呂を作ったり、水を生み出したり、伯爵は娘であるエクレアから聞いた事を、素直に信じられなかったのかもしれない。魔法を実際目にしてなければ、夢物語を話す子供のように思えたのだろう。
そもそも白き乙女は、本当に私なのだろうか。
白が別に髪色と関係ないかもしれないし、サンカレアスとグラウス王国の国王が、ニルジール王国の国王に、私が光の者であると伝えるとは思えないけど……
もしかして
私はカップを手に持ち、ゆっくりと中身を飲み干す。カップが小さいから、あっという間に飲み終わった。話の区切りがついたからか、伯爵達が飲み物を口に運んだり、マナはクッキーに手を伸ばして食べ進めている。
私は深い溜息を吐きながら、ある人物の姿を頭の中で思い浮かべた。




