ルミナスは満腹になり、食事の挨拶を教える
「どうしたイアン?席に座らないのか?」
ライラは既にサリシアの隣に座っている。
イアンが固まって動かなくなり、その様子に気づいたサリシアがイアンに声をかけた。
「…え、あ…はい…。」
歯切れの悪い返事をするイアンだが再び動き出そうとし…「ルミナスの隣に座れ」とサリシアに言われて、また固まってしまった。
しかし今度はすぐに動きだし、ぎこちない動作で椅子に腰を下ろす。
…イアン王子…様子が変だけど、どうしたんだろう?
気になって隣に座ったイアンを見るルミナスだったが、イアンの尻尾の先がピクピクと動いている事に気づく。
…あの尻尾の動きは…落ち着かない時にヒカルがしてたような…もしゲームの設定通りなら、苦手なお姉さんの前だと落ち着かないのかな。
前世で猫を飼っていたため、尻尾の動きでイアンの感情を知ろうとするルミナスであった。
ルミナスの思っている通り、イアンは姉への苦手意識は確かにある。しかし今は姉ではなく、別のことを考えて落ち着きのないイアンだったが。
サリシアとライラと会話をしているうちに、再び扉が開き、今度は料理が運ばれてくる。
ちなみにイアンはずっと口を閉じたままである。
ルミナスの前に木製のお皿とスプーンが置かれた。
食事は木製のお皿に野菜のスープと肉を焼いてスライスした物とチーズ、フルーツをカットした物、それとパンである。
この世界では前世の記憶と同じ種類の野菜やフルーツがあるが、主食はパンだ。
「あ、あの…みなさんは食べないんですか?」
食事を前にして、かぶり付きたい気持ちをなんとか理性で抑え込む。皆の前で自分一人だけ食べるのを少し躊躇したためだ。
「私たちはまた後で食べるから大丈夫。さぁ、私たちの事は気にせず食べてくれ。肉はイアンが狩で仕留めたやつだぞ。」
「…そういえば…すっかり忘れていた。」
「兵の者達で運んだそうだ。料理人が言っていたぞ。」
イアンは狩で仕留めた動物の事をすっかり忘れていた。ライラの事があったから仕方がないだろう。
サリシアに言われて思い出したようだ。
「…それでは…いただきます!」
サリシアの言葉を聞き、ルミナスはサリシアに向けていた顔をお皿に移す。そして胸の前で前世でしていた食前の挨拶の言葉を口にした。
「いただきます…とは?」
「なにそれー?」
「??」
ルミナスの前に座るサリシアとライラが疑問の言葉を口にして、イアンも疑問に思ったようだが、町でもルミナスは聞きなれない言葉を言っていたので黙っていることにした。
この世界では食前、食後に挨拶をする習慣はない。
ルミナスもそれは知っていたのだが、前世の記憶が戻って挨拶は大事だと思った為だ。
サリシアやライラの質問に答えたかったが、ルミナスの手と口はもう止まらない。
パンを千切っては口に運び、千切っては運び、千切っては運び…スープを飲み、千切って千切って、肉を食べ…とノンストップだ。
大口を開けて食べるのは淑女としてやってはいけない、という意識から体が自然と少量しか口に運ぼうとしない。しかし休む間もなく食べている。
……おいしい!食べたり飲んだり…いままで当たり前だと思っていたことが、こんなに大事なことだったなんて…。
ルミナスは今まで生きてきた中で、食べ物や飲み物はすぐ手の届く所にあった。前世でも満足に食事が行き届かない人がいることをテレビで見ていたが、食べられない気持ちが分からなかったし、飲み物が手に入らない状況がどうゆうものか分からなかった。
ルミナスは食事をする大切さを改めて感じていた。
あっという間にお皿は空になってお腹が満腹になったルミナスは、いつの間にかサリシアが持ってきていた、果樹酒を再びゆっくりと飲み干す。食事に集中していたルミナスは気づかなかったが、食べている間に取りに行ってくれたようだ。
「…ごちそうさまでした。」
食前にした挨拶と同じように胸に手を合わせて食後の挨拶をするルミナス。
「まだ足りなければ私が持ってくるぞ?」
「いえ!十分です!本当にありがとうございます!」
サリシアの問いかけに、お礼を言いながら軽く頭を下げるルミナス。
「さっきのは?初めて聞いたが…。」
「ライラにも教えてー!」
「えっと…食前と食後にする挨拶で、国でやっていたわけではないんですけど…自分自身の糧になってくれる生命への感謝と、作ってくれた人への感謝を表す言葉です。私が言いたいだけですので…。」
先程は食事の事で頭がいっぱいで、二人の質問に答えられなかったルミナスは、今度はしっかりと二人に答える。
「なるほど!確かに感謝の気持ちを持つことは大事だからな!ルミナスは立派な考えを持ってるんだな!」
「ライラもやるー!」
二人はルミナスの答えに納得したようで、ライラは早速やってみたいと言ってルミナスに教わっていた。
サリシアもライラが教わる様子をみて一緒に真似している。
…もしかしたら今後、獣人の国では食事の際に挨拶をする習慣ができるかもしれない。
習慣になっても、ならなくても、ルミナスにとってはどちらでもよかった。ただルミナスは二人の様子に嬉しく感じていた。人に何かを教えることが今まで無かったルミナスにとって、教えるという行為と、教わろうとする相手がいる事が嬉しいのだろう。
「ルミナスさん…俺にも教えて…ほしい。いい?」
横からルミナスに尋ねるイアン。
…ライラとサリシアの二人がやっているのを見て、やりたくなったのかな?
そう思ったルミナスは「はい!もちろん!」と笑顔で了承する。
イアンの目線が教えてもらうのが恥ずかしい為か、ルミナスの方に顔を向けず下を向いてしまっている。
「手は合わせるんですよ?」
イアンがこちらを見ないでやろうとするから、手がずれている。手はピッタリ合わせないと…そう思ったルミナスはイアンの手に自分の手を添えようとし……
ガターーン!!
その瞬間、イアンはバッと手を離し勢いあまって椅子から落ちてしまった。
「え!?だ、大丈夫ですか!?」
驚いたルミナスはイアンに声をかけるが…
「だ、だ大丈夫!平気だから!だいじょーぶだから!」
明らかに挙動不審である。
…あ、イアン王子て女嫌い、年上嫌いだっけ…耳は触らせてくれたから平気だと思ったんだけど、私に触られて、そんなに嫌だったのかな…。
前世で男性と関わりがなかったルミナスにとって、手を触れるなど絶対にしない行為なのだが、イアンを飼っていた猫のヒカルと重ねてしまって以降、男性というより猫として見てしまっている。
確かにイアンは猫の獣人ではあるが。
…今のは私が悪いか。そういえば私、王子に対して不敬な行動ばかりしている気がする。
済んだことはもう仕方がないけど、これからは気をつけよう、と思うルミナスだった。
「…お腹も落ち着いただろうし、そろそろ行こうか。ライラはここでご飯を済ませて、寝る支度をするんだぞ。」
「えー?ライラもまだ一緒にいたいよー。」
「ルミナスは明日もいるんだ。もう少しで母上がここに来てくれるから。私たちは父上とこれから大事な話をするから…な?」
「…はーい。」
サリシアの言葉に完全に納得がいった訳ではないみたいだが、ライラは了承の返事をしここで母親を待つことになった。
…ち、父上って…今サリシア王女言ったよね!サリシア王女の父親…この国の国王陛下!?
ルミナスは緊張のためか、背筋がピンと伸び肩に力が入る。
…私、挨拶ちゃんとできるかな…。それに色々聞かれるよね…。
ルミナスは不安を抱いたまま、これから国王の執務室に向かうことになった。




