イアンは、助言を受ける
ルミナス達が厨房でクッキー作りをしている頃、イアンは中庭でマイクとダルと修練用の木剣を使用し、手合わせをしていた………
「…俺の鍛錬に朝だけでなく、日中も付き合ってもらって…」
大丈夫なのか? と、俺がマイクの剣を払いながら問うと、「大丈夫ですっ!」と後ろに一歩下がり剣を両手で構え直したマイクが、元気な声で答えた。
ダルは俺とマイクの手合わせを少し離れた場所から見ている。2人共、俺と朝だけでなく日中も付き合う許可は得ているようだ。
組み手や手合わせをして思ったが、マイクもダルも力は強いが姉上に比べればまだまだだし、速さもライアン王子の方がずっと鋭い太刀筋をしていた。
不満を感じているわけではなく、やはり1人で剣を振ったり鍛錬しているより、相手がいる方が学ぶことは多いし、自分の経験になると思っている。
……ルミナス…大丈夫だろうか。かたぬき? するだけだから平気と言って、マナと2人で行ったみたいだが……
気合いのこもった声を上げて、上から振りかぶってきたマイクの剣を横に飛んで避けながら、ふとルミナスの事を考える。集中しろ!と自分を心の中で叱咤しながら、横なぎに振ってきた剣を俺はしゃがんで避けて、低い体勢のままマイクのすね目掛けて剣を当てた。マイクが、うぐ…ッ! と一瞬痛みに耐えるような声を上げて、俺は……
「うちの兵士は、まだまだ未熟だな…」
低い声が耳に入り、マイクの胴に当てようとした剣をピタリと止めて、後ろに飛び下がる。
マイクとダルには今の声は聞こえなかっただろう。
顔を振り向かせると、こちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
―――え!? なんでここに……
俺はギョッとする。見えた人影が、眉間の皺を深めて不機嫌そうなルミナスの父上……シルベリア侯爵だったからだ。
「……よこせ。お前達は下がって良い。」
シルベリア侯爵を前にして背筋を伸ばし頭を下げていたマイクは「ハッ!」と短く返事してシルベリア侯爵に木剣を手渡し、ダルとマイクは言われた通りに下がって姿が見えなくなっていく。
―――は!? え、俺と手合わせするのか!?
急な展開に俺が困惑していると、俺と向かい合わせで間に5人分ほどの距離を空けたまま、シルベリア侯爵は両手で剣を前に構えた。
「……イアン王子。私に遠慮なく、本気で当てにきていただきたい。」
「は…っ……はい!」
シルベリア侯爵の心の内は分からないが、真剣な表情で言われた俺は中腰になり、剣を鞘に納めたままの構えを取る。シルベリア侯爵の力を知らないため、どんな一手にも素早く対応し、向かってくる剣を薙ぎ払うつもりでいた。
構えを見たシルベリア侯爵は、ピクリと一瞬肩を揺らせて、鋭い眼光を俺に向けてきた。
緊張のためか、暑さのせいか…じわりと背に汗を感じながら俺は軽く息を吐き、シルベリア侯爵の出方を伺う。
ダンッ! と勢いよく地面を蹴り、真っ直ぐに俺に向かってきたシルベリア侯爵は、剣を頭の位置まで上げると振り下ろしてくる。斜め下から振るった俺の剣が当たると、なんの抵抗もなくシルベリア侯爵の手から剣は離れて上に上がった。
……片手持ち…?
両手で構えていた筈が、剣を振り下ろした時にだろうか…シルベリア侯爵は片手持ちに変えていた。
なぜ、と一瞬思考した後に……
腹部に痛みが走る。
シルベリア侯爵の右拳が、俺のみぞうちに放たれていた。片膝を地面につきそうになった俺の視界に、シルベリア侯爵の容赦ない蹴りが迫ってくる。
すかさず地面に手のひらをつけて、シルベリア侯爵の軸足目掛けて低い体勢のまま前に出る。
するとシルベリア侯爵は俺の動きを予測していたのか、蹴りの軌道を変えたようで、今度は背中に痛みが走り地面に前のめりに俺は倒れた。
くそッ!
立ち上がった俺が歯をギリッと食いしばり息を吐くと、シルベリア侯爵は地面に投げ落ちた剣を拾いにいっていた。
「……その構えは、ライアン王子から教わったのですか?」
シルベリア侯爵の質問に俺が頷いて答えると……
「イアン王子の剣は速いですが、剣を払うためではなく私の顔か…足、胴体を狙うべきでした。」
うっ…と俺は言葉に詰まる。シルベリア侯爵の体に当てるのを躊躇してしまい、剣を手から離すことばかり頭にあった。俺が口を結び無言のまま視線を僅かに下げると、シルベリア侯爵は言葉を続ける。
「……本気で、と…私は仰ったのですが……」
強調して言われた俺は、ビクリと肩が跳ねる。
ピリッとした空気と威圧感に、思わず呑まれそうになるのを耐えて、俺は視線を上げてシルベリア侯爵を見据える。
「……俺の剣筋が分かっていたのですか?」
「ライアン王子の剣を目にした事がありましたから、剣の軌道を予測し、わざと剣を振り下げる動作をしました。」
シルベリア侯爵は俺の前まで歩み寄り、剣を手渡してくる。どうやら手合わせは終わりのようだ。
「予測しただけで、イアン王子の剣を目で追えたわけではありません。…ニルジール王国で…もし戦う事があった場合に初見の相手とでも戦えるよう、武器は何を用いるか、攻撃が主か守りが主か…頭で想像しながら鍛錬に励まれると良いでしょう。」
シルベリア侯爵の言葉をしっかりと受け止めた俺は、「……はい!」と木剣を強く握りしめながら返事をする。闇雲に剣を振るっていても意味がない。
敵と相対した時は、目で追って攻撃を回避すれば良いと今まで思っていたが、シルベリア侯爵に一手先を読まれた攻撃を受けて考えを改める。
相手を想像し、予測し、常に相手の動きを考えなければいけないのだと俺は思った。
……もしかして、シルベリア侯爵は俺に助言を与えに来てくれたのか……?
ニルジール王国でアルと戦いになる可能性は高いと、俺は商人から話を聞いた時から思っていた。
シルベリア侯爵の立ち去る背中を見ながら、俺は身を引き締め直し、再び鍛錬に励む。
その日の夜………
壁に取り付けられ燭台の蝋燭が室内を照らしているなかで、俺はテーブルの上にルミナスから受け取ったクッキーを並べて、食べるべきか悩んでいた。いや、食べた方が良いのは分かっている。だが勿体なくて口にできない。
リヒト様は受け取ってすぐに食べていたが……
『イアンには、特別に全部ハートにしたからね』
照れながら差し出してきたルミナスの姿を思い出す。1枚クッキーを手に取った俺はジッと見つめて、ルミナスが言った『 はーと 』に何か意味があるのか考える。他の4枚も全て同じ形をしていた。
とりあえず今日は食べないで、また明日にしよう。
そう思いながら広げた布の上にクッキーを戻していると、誰かが廊下を歩いてこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
……ブライトさんだろうか?
もしかして前のように俺の部屋を訪ねに来たのかと考えた俺は、扉を叩く音がした後に、すぐにドアを開けて……
「は…………………へ?」
気の抜けた声を出してしまう。
目の前に立っているのが、シルベリア侯爵だったからだ。手燭を持っていて、蝋燭の火が、顔の怖さを引き立たせている。
廊下には他に誰もいなく、中に入って良いか聞かれたために室内に入ってもらったが、1日に2度も2人きりの状況になるとは考えていなかった。
ブライトさんが来た時と同じように、ワインボトルとグラスも用意してきてる。
お互いに向かい合わせでソファに腰を下ろしたが、何も言葉を発しないまま、暫し沈黙が続く。
………な、なんだ? 俺から何か話すべきなのか?
変な汗を掻きそうになりながら、俺が口を開こうとすると……
「イアン王子のクッキーは…全てハートだったのですね。」
ボソリと低い声で呟かれて、シルベリア侯爵の視線がテーブルの上に置いたままのクッキーだった事に気づく。
「はい。はーと、という形みたいですが…俺は初めて目にするので、何の意味か先ほど考えて…」
やっと会話が出来そうだとホッとしながら、クッキーを仕舞うために敷いていた布で包みながら話すと、シルベリア侯爵は「私とブライトには1枚だけでした。何の形かブライトがルミナスに聞いてましたが……それは愛情を表現する形のようですよ…」と返されて、俺は体が強張る。
嬉しいけど。
意味が分かってスッキリしたけど。
き、気まずい……ッ!!
肩を落として、少し落ち込んでいるように見えるシルベリア侯爵の表情を見た俺は、すかさずクッキーを片付けてベッド横にあるテーブルの上に移動させる。シルベリア侯爵…目で追っていますが、俺は譲る気はありませんからね。
「と、ところで…何か用があって来たんですか?」
「…イアン王子に話しておくべき事がありましたので…」
話題を変えた俺に対し、シルベリア侯爵は軽く咳払いをすると、ワインをグラスに注いで俺の前に1つ置き、姿勢を正した。その姿を見て俺はゴクリと唾を飲む。何かシルベリア侯爵にとって、大事な話をする気がしたからだ。
「ルミナスの母…私の妻についてなのですが……」
そう話を切り出したシルベリア侯爵は、ルミナスの母上との出会いと、ファブール王国がルミナスの母上が魔法を使用した結果滅びたという経緯を俺に話聞かせてくれた。
その内容を聞いて俺は息を呑む。
ファブール王国が滅びた経緯と、ルミナスが魔法を今普通に使いこなしてる凄さを改めて知ったからだ。
ルミナスの魔力は、とてつもない大きさだとアクア様は以前話していた。上手く使えてなかったら、もしかしてグラウス王国も消し飛び、ルミナス1人だけがあの場に残っていたらと考えてゾッとする。
守りたいと言っていたルミナスが、皆を殺すなんて……
「…ルミナスには、まだ話していないですよね? なぜ、今俺に…?」
「ルミナスとブライトに、もちろん話すつもりです。ここを発つ前日は家族で過ごすと約束をしましたから、その時に……イアン王子はルミナスの口から聞くかもしれませんが、妻とのことは……私の口から申し上げたかったのです…」
シルベリア侯爵は自身の両膝の上に手を置くと、俺に向かって頭を下げてきた。
「ルミナスを……よろしく頼みます…。」
静かな重い声が、俺の胸に響いて伝わってきた。
深く、ルミナスへの愛情が込められた言葉だと俺は感じた。シルベリア侯爵はルミナスの事が心配でたまらないのだろう。魔法を自在に使いこなす姿を目にしても、ルミナスの母上の件があるから胸の中で不安が拭いきれないのかもしれない。
ブライトさんも…そうだったように、シルベリア侯爵もルミナスをどれだけ大切に想っていても、ずっと側にいられるわけじゃない。
俺の生涯の務めなんだ。
「はい。……必ず、幸せにします。」
シルベリア侯爵は俺の言葉を聞き頭を上げると、僅かに口角を上げて、柔らかい表情を浮かべたように見える。それからすぐにシルベリア侯爵は部屋を後にして、半分以上残ったワインボトルはそのまま部屋に残していった。
俺は緊張で乾いた喉を潤すために、ボトルのままワインを一気にゴクゴクと飲み干すと、ベッドに転がりそのまま眠りにつく。
翌朝……
腹が減って起きた俺は、寝ぼけたままクッキーを一気に完食してしまい、何故もっと味わって食べなかったんだッ!…と後悔の念に打ちのめされることになった。




