ルミナスは、花を見る
「この花は何て名前ですか?」
「マリーゴールドといいます。」
マナが花を指差しながら質問すると、庭師の男性がニコニコと笑顔で答えた。マナは初めて目にする花々に瞳を輝かせている。グラウス王国では野生の花は咲いていたけど、町の中で花を育てる人はいなかった。
私たちが来た時、庭園の手入れをしていた庭師の男性は驚いていたけど、「すごいっ」「綺麗ですね!」と褒めて花に夢中なマナの姿に、庭師の男性は嬉しそうにしていた。
マナは移動しながら「この花は?」「これは?」と何度も尋ねて、庭師の男性は嫌な顔一つせずに丁寧な口調で答えていく。
雨の水をたっぷりと含んだ木や花々は、生き生きとしているように見えて、とても綺麗だ。
窓から見るより近くの方が花の香りも楽しめる。
石鹸に合うのはどれだろう…と、つい私は違うことを考えてしまうけど。
イアンは花にあまり関心が無く、『そっちで鍛錬してる』と言って空いてるスペースでずっと剣を振っている。なんだか、いつもより熱が入っているように見えるのは気のせいだろうか。アルがニルジール王国にいると知って、気合いが入っているのかもしれない。
私は花について詳しくはない。
庭師が花の名前を次々に言ってるけど、まるで呪文のように聞こえてしまう。ルミナスは城内に飾られた花よりも宝石好きだったし…前世では花屋に入ったことはあるけど、学生の頃に母の日にカーネーションを買ったことがあるだけだ。
……あれ? この花……。
私は足を止めると、しゃがんで花をジッと見つめる。
切れ込みの入った白色の花は5つに分かれていて、葉は銀色だ。なんだか花の形が見覚えのある気がした。
「その花はセラスチウムといいます。…アイリス様のお好きな花でした。」
後ろから声がして顔を振り向かせると、フリージアがゆっくりとした足取りで、私の元に向かって歩いてきていた。「…お母様が…」と呟いて立ち上がった私は、顔を知らないお母様のことを想う。
「アイリス様が暮らしていた場所には、群生地があったそうです。純白の花が広がり、まるで夏に雪が降ったような景色を見るのが、毎年楽しみだったと仰っておりました。」
フリージアは、どこか懐かしむような眼差しを花に向けていた。お母様が暮らしていた場所…ファブール王国のことだ。フリージアがお母様の出身国を聞いてるか知らないけど、この花が見覚えがあった理由は分かった。
宝石箱とハンカチに刺繍されていた花だ。
「……この庭園は、ダリウス様がアイリス様のために作らせたものです。本当はこの場所を一面セラスチウムにしたかったそうですが、商人に依頼しても花の種が中々手に入らなかったようでした。」
「そうだったのね。…お父様はお母様のために…。」
私はもう一度花に視線を向ける。
白色の小さな花と銀色の葉が広がる景色を、目にして見たいと思った。魔法を行使すれば出来るけど……流石にこの場所では出来ない。庭園を世話している庭師に悪い気がした。
……今フリージアと2人きりだし、聞いてみようかな……。
マナは庭師の男性と会話に花を咲かせているようだし、イアンは鍛錬中だ。
ゴクリと唾を飲み、私はフリージアと向かい合わせになって口を開く……
「ねぇ…フリージア。ずっと貴方は、わたくしの側にいてくれたわね。幼い頃からわたくしは、我儘で気が強く…使用人達を困らせていた自覚はあるわ。……随分と手を焼いたのではなくて? 」
「とんでもございません。ルミナス様が、心穏やかにお過ごし頂けれたなら幸いでございます。」
フリージアが事務的な言葉を返すけど、その表情は僅かに口角が上がっているように見えた。
「貴方の他に…もう1人わたくしの側で、身の回りの世話をしてくれていた侍女がいたわよね?」
今どうしてるのかしら? と私は内心ドキドキしながら質問した。この数日の間に城内で過ごして、私は思い出した事がある。幼い頃…フリージアの他にもう1人私の側に誰かが付いていた。
フリージアは僅かに目を伏せて、「その者なら、随分と前に辞めております。今どうしているかは存じ上げません。」と答えた。
「そう…」と一言零して、私は軽く息を吐く。
名前と顔は思い出せないけど、私はその人に会って謝罪をしたかった。
幼い頃のルミナスの記憶……
使用人達がお母様を懐かしむような会話をしているのを聞いたルミナスは、なぜ自分にはお母様の事を話してくれないの…! と苛立ちを募らせていた。
『 このドレスはいかがですか? とても、お似合い 』
『 嫌よっ! どれも気に入らないわっ! 』
ドレスを見もせずに癇癪を起こすルミナスに対して、侍女は困り果てていたのだろう。
フリージアも近くにいたが、ルミナスの耳に侍女が微かに、ため息を吐く音が聞こえた。
何度も、何度も、その侍女を叩いた。
言葉にならない声で、侍女を罵った。
『 使用人を叩くなど! おやめください!! 』
フリージアの怒った顔も、叱られたのも…
それが初めてだった。
『 ……っ! ……私を産まなければ、お母様は亡くならなかったのに! 』
侍女が部屋に残っていたか、出て行ったかは分からない。ただフリージアが目の前にいたのは覚えている。フリージアは何も言葉を口にはせずに、強く、強く、ルミナスを抱きしめていた……
「フリージア。貴方は亡くなったお母様の代わりに、わたくしの事を見守ってくれていたのよね。もし今…目の前にお母様がいたら伝えたい事があるわ。わたくしは今、とても幸せよ……だから…」
安心して…と言って私はフリージアに微笑む。
フリージアに抱きしめられたのは一度きり。
けれど、それ以降ルミナスは自分自信を責めるようなことはしなかった。
フリージアの心の内は分からないけれど、お父様からの命に対して、フリージアの口からお母様の話をこれまでは聞く事は一切無かった。
私が領地に来て、今だからこそ話してくれている。
「……っ……フリージア……?」
フリージアの溢れんばかりに見開かれた緑色の瞳から……一筋の涙が頰に滑り落ちた。




