ルミナスは、心がざわつく
数ヶ月前の争いの時、オルウェン王は船にオスクリタ兵を乗せて、海を渡ってグラウス王国に入らせた。私やイアンはオスクリタ兵がどんな命を受けていたか、村を襲った時の状況も…詳しい事情は聞いている。全てサリシア王女が、捕らえたオスクリタ兵に問い詰めたからだ。
漁師をしている者の話によると、オルウェン王は海辺の近くに造船所を作り、船大工達が集められて船の建造が始まった。
自分が普段乗っている船とは規模が違う様子に驚きながらも、特に気に留めてはいなかった。
まさか、その船に自分が乗せられる事になるとは、思いもよらなかった…と話していたそうだ。
サンカレアス王国は海に面していない国だから、船を利用する者はいない。グラウス王国で海を見に行った時は港が無く、あるのは魚を捕る時に使う小舟だけだった。その小舟も乗る目的で利用していなく、泳いで自分で舟を押しながら沖まで行けるから、取った魚を入れて岸辺まで運ぶのに使っていると聞いた時に、私は目を丸くした。
身体能力の高い獣人だからこそ、出来る事だろう。
海では船が行き交うのも見なかったし、この世界で海路の交易は盛んではないのかもしれないと私は思っていた。
オスクリタ王国の造船所は、今は船の建造がされていない筈だ。ナハト国王が国内の現状を綴った文をグラウス王国の陛下へと送ってきた事がある。その際に私やイアンも文の内容を聞いていた……
イアンは船の建造をせずに無人であろう場所に、何の目的があってダイス会長が訪れたのか…と疑念を抱いたのか、村人を混乱する為に使われた船に良い印象を持っていないのかもしれない。
ダイス会長はどう答えるのだろうと、私が成り行きを見守っていると……
「その事は私も疑問に思っていましたから、先ほどダイス会長から話を聞いております。」
私からお話致しましょう。と言って、お兄様が微笑む。フリージアとマーガレットがテーブルの上に、音を立てずにグラスを5人の前に置いていく。
「下がって良いよ。」とお兄様がフリージアに言って、2人は応接室を退室した。
「…ルミナスはコメルサン商会の名を、聞いた事があるかな?」
お兄様に質問されて、私は首を横に振る。
商会の名前をルミナスが耳にした記憶は無い。
単に聞き流している可能性もあるけど…。
「コメルサン商会は、装飾品の販売で名を上げた商会で、ルミナスも随分とお世話になったんだよ。サンカレアス王国内の職人の手により加工された装飾品は、コメルサン商会の商人を通して販売されていたからね。」
お兄様がチラリと横に視線を流すと、ダイス会長が相槌を打っていた。
「…けれど今は、装飾品の販売は別の商会が引き継いだようで、コメルサン商会の名は聞かなくなったと私はエクレアから話を聞いてたんだ。門兵からの報告で許可証を提示した商会の名や商人を父上が把握してるけど、都市内に入るコメルサン商会の者も、この数ヶ月で途絶えたしね。」
お兄様は一旦そこで話を切り、グラスを手に取って口へ運んだ。私も部屋で喋りっぱなしで喉が渇いていた為グラスを手に取る。マーガレットに好みがあるか前に尋ねられてから、私のワインは甘口のものだ。不思議といくら飲んでも酔う事が無い。度数が低いわけじゃないと思うから、傷を負っても自己治癒するように、私の体は酔わないのかもしれない。
試した事はないけど毒も効かないのかな?
試す気にはなれないけど…。
お兄様がグラスを置くのが視界に入り、私もテーブルの上へと戻す。マナとイアンも飲み物を口にしていたようで、テーブルに戻すタイミングが一緒だった事に、私は思わず顔が綻んだ。
「…イアン王子。なぜダイス会長が造船所を訪れたかなのですが…ダイス会長は旅をしながら、コメルサン商会で新たな事を始めようと模索しているそうです。造船所もオスクリタ王国の王都に赴いて許可をもらい、兵士の監視が付く中で見学なされたそうですから…」
ご心配には及びません。とイアンに対して穏やかな口調で告げたお兄様は、薄く笑みを浮かべた。
「そうだったんですか…。商人には良いイメージが無かったので、つい…疑って見てしまいました。」
イアンは沈んだ声で言って、気まずげに視線を彷徨わせていた。
……そういえば…商人に扮した盗賊の件以外にも、大分前にサリシア王女が……
『 カルメラは男から自分が扱う商品を見せたいとの誘いについて行った 』
湖で話を聞いた時……
商品を扱っていたなら、その男はきっと商人で間違いない。その男について詳しく聞いた訳じゃない。私に話していた時のサリシア王女は怒りに満ちた顔をしていたし、生きてはいないだろうけど。
思考に耽っていると、不意に腕を突かれて隣に座るマナに顔を向ける。
「ルミナスさん…かいちょうって何なんですか? 後しょうかい……? 初めて聞く言葉だから良く分からないんですけど…。」
マナが声を潜めて質問してきた。マナはダイス会長が名乗ってきた時から、モヤモヤしていたようだ。グラウス王国にいたら馴染みの無い言葉だし仕方ない。もしかしたらイアンもマナと同じように疑問に思ってはいるけど、口に出さないだけかも。
……何て説明したら良いかな。
「えっとね…肉屋とかパン屋みたいに、商会は商人がやってるお店の事で、会長はお店で1番偉い店主みたいな人だよ。」
私も声を抑えながらヒソヒソとマナに話すと、マナは納得したような笑顔を見せる。
「店主って…その道に長けた人がなるものだから、ダイス会長は凄い人って事ですね!」
モヤモヤが晴れて嬉しかったのか、マナの声は大きくて、当然お兄様やダイス会長にも聞こえている。
マナが「あっ…」と口を手で隠したけど……
お兄様は優しげな眼差しをマナに向けていて、ダイス会長は苦笑いを浮かべていた。
「……私など…まだ会長になって間もないですし…」
凄くないですよ。と言って、伏し目がちに暗い表情をするダイス会長の姿に、私は疑問を抱く。
「そういえば…コメルサン商会の会長は私が知っている名と違ったけど、てっきり代替わりしただけだと思って聞いてはいなかったね。」
違うのかな? と横に顔を向けてお兄様が質問した。私は前会長の名を知らないけど、ダイス会長の暗い表情が気になった。
ダイス会長は俯き気味だった顔を上げて、重い口を開く。
「私は1ヶ月程前までは、自国内で行商人をしておりました。それが突然呼び出されて、会長を務めるように告げられ…今に至るのです。他にもっと適任の方がいると進言したのですが、誰も会長の任を引き受ける者はおりませんでした。」
ダイス会長は、ゆっくりとした口調で話した。その表情はどことなく憂いを帯びているように見える。
「前会長はどうされたの? …コメルサン商会に副会長はいなかったのかしら?」
私はダイス会長に続けざまに質問した。
装飾品の販売をしていたコメルサン商会は、オルウェン王やジルニア王子と繋がりがあったかもしれない。ニルジール王国の国王がそれを知って会長と、もしいるなら副会長も捕らえているのでは…と私は推測する。
確証を得たくて質問したけど……
「前会長と副会長は……帰らぬ人となりました。」
ダイス会長の言葉を聞いた私は、心がざわつくのを感じた。




