ルミナスは、景色を眺める
国境に架かる橋の手前には、道沿いに木造二階建ての建物があって、馬車は建物の横に止まった。お兄様に何の建物か尋ねると、30年前の争いが収まった後に急遽建てたものだそうだ。オスクリタ兵が突然攻めてきた経緯があるから、この場所で兵が数名、見張り人の務めをしていると教えてくれた。
馬車から降りて辺りを見回すと、馬車が通ってきた道の左右は木々が生い茂っていて、建物の裏手には厩舎があり、馬が鼻を鳴らすような音が聞こえてきた。
「雲行きが怪しくなってきたな…。」
イアンの呟く声が聞こえて空を見上げると、黒い雲が流れていて、陽が陰り始めている。村にいる時から雲が多いな…と思っていたけど、雨が降ってくるかもしれない。
「崖を見たらすぐ都市に戻ろう。」
私が横に顔を向けて話すと「そうしようか。」とイアンから返ってきた。草を踏みしめながら歩き出すと、建物の前に胸当てを付けて腰から剣を下げている兵士が5人横並びに立ち、私達に向かって頭を下げている姿が見えた。ずっと頭を下げ続けている兵士達の前まで歩み寄ると「頭を上げていいよ。長居はしないから。」とお兄様が穏やかな口調で言って、兵士達はゆっくりと頭を上げた。
「私は兵士達と話があるから、ルミナスは行っておいで。橋の上から見ると崖を一望できるよ。」
落ちないようにね。とお兄様は振り向いて、後ろにいる私に話しかけた。「はい。」と返事して私は橋に向かって歩き出す。兵士達は緊張しているのか、5人共強張った表情をしていた。
兵士達の横を通り過ぎる際に、若い兵士と目が合った私は「お勤めご苦労様。」と労いの言葉をかけてニコリと微笑み、そのまま足を止めずに進む。
「うぐ…っ…」と何かに耐えるような声が微かに聞こえて足を止めて振り向くと、肩を震わす兵士の背中と、お兄様が可笑しそうに笑う姿が目に入った。
「ルミナス…ほら、行こう。」
「ルミナスさん! 先に行っちゃいますよ!」
隣にいるイアンと先を歩くマナの声に反応した私は、兵士の様子に気になったけど、橋に向かって再び歩き出す。私達の後ろからは、兵士達に馬を預けて歩いて付いてくるダルとマイクもいた。
コツ、コツ…と石橋の上を、ゆっくりと歩く。
橋の中央部分まで行こうとしたけど、そこまで行かなくていいやと思って、途中で足を止めた。
馬車が通る時に邪魔にならないように、腰の高さ程ある手すりに、両手を乗せる。
今は馬車の通りはないけど、ここに着く前に幌馬車が道を通っているのを、馬車の窓から見たからだ。
湿った風が吹き抜け、橋の上から眺める景色は壮観だ。垂直に切り立った崖の下は大きな川が流れていて、下を覗くと結構高さがある。前世のテレビで見たような、バンジージャンプができそうだ。
……絶対にしないけど。
「リヒト様は、この場所で昔フラム様達と戦ったんですか?」
【…そうだな…。あれから随分と経ったが…この場所は、わたしが剣を振るった場所だろう。】
足下の影を見ながら質問すると、指輪からリヒト様の声がした。以前フラム様達から話を聞いていたから来てみたかった。
この崖を登り降りは不可能だし、橋が無ければ行き交う事は出来ないだろう。国が分断されたように見えるこの場所は、当時のリヒト様の想いの強さが窺える。
……兵士…?
私の左隣にいるマナは「高いですね〜!」と明るい声を出しながら景色を眺めている。右隣にいるイアンは顔を横に向けていて、私と同じように橋の向こう側にいる人達が気になるようだ。
……こちら側にいた兵士達みたいに見張りをしてるのかな? それにしても多いような…。
10人位いる。背中をこちら側に向けていて、腰には剣を下げているようだし、手には槍を持つ人もいる。向こう側は橋と繋がる道が三方向に分かれていて、正面は道幅が広く、左右は生い茂った木々の間に道幅の狭い獣道がある。馬車が一台通れるくらいの道幅だ。道沿いに建物は見当たらなく、馬は木に繋げているようだ。
「イアン、マナ…私に付き添ってくれて、ありがとうね。」
「色々見れてマナは楽しいですよ! …この川って飛び込んだら気持ち良さそうですね〜…」
ツインテールの髪を前に垂れさせて、橋の真下を見ながらウズウズしてるマナは、今にも飛び込みそうな勢いだ。
「…馬鹿なことするなよ。」
戻ろうルミナス。とイアンがマナに呆れたような視線を向けながら歩き出して、私も後を付いて歩く。
「あっ! ま、待って下さい!」と後ろから声がして、マナの慌てっぷりに思わず笑ってしまった。
……オスクリタ兵がこちら側に来ることは無いだろうし、気にしなくても大丈夫かな。
草に足を踏み入れて、兵士達と一緒にいるお兄様の元へ戻ろうとし……
「なんだか、揉めてるみたいだ…。」
イアンが足を止めて橋の方に顔を向けた。
私も振り向いて橋に視線を向けると、向こう側で幌馬車が橋を渡らないように、オスクリタ兵達が行く手を塞いでいるようだ。
何を話しているか聞こえないけど、遮っていたオスクリタ兵達が避けると、馬車が橋を通りこちら側に渡ってきた。
御者は乱暴な手綱さばきで、あっという間に私達の前を通り過ぎていく。
イアンが難しい顔をしていると、お兄様が私達の方まで歩いてきて「オスクリタ王国では、商人が国境を通る時に、身元や積んでいる荷物を確認しているのです。」と話してくれた。
「ルミナスの件があって、商人に扮した野蛮な輩が我が国に入らないようにしてもらっています。取り締まりを強化した結果、不満を感じている商人もいるのでしょう。」
続けざまに話したお兄様の言葉を聞いた私は、ベリルや盗賊達の事を思い出す。ライアン王子からクレア嬢が話した内容も教えてもらったけど、ベリルは商人に扮してサンカレアス王国内で暗躍していたし、グラウス王国の牢屋にいる盗賊のカイルも、商人と護衛という名目で国を渡り活動していた。
ライアン王子が国に訪れた時に、私とイアン、サリシア王女と4人で牢屋に向かってカイルから話を聞いた事がある。奴隷を男爵の元に運んでいた話を聞いた時は怒りが湧いた。
ライアン王子は察しがついてたようで、モリエット男爵領に騎士達が赴き、屋敷の地下室が酷い状態だと報告を受けていたそうだ。苦々しい顔でライアン王子が教えてくれた。
ライアン王子が国を発つ時に、サリシア王女に邪魔だから持って帰れと言われて、今まで放置していた盗賊達の積荷を幌馬車ごと引き取らせた。
サリシア王女は積荷の中を確認済みで、カイルからは、荷物の中身はマーカス王子からクレアに贈った品々だと聞いていた。ライアン王子はそれを知った時、深いため息を吐いていた。
……グラウス王国で暮らしていると、商人の必要性はないように思える。けれど…これからお互いに交流を深めて、人や物の行き来が増えてきたら……
「ルミナス…」
何か考えごとか? 大丈夫か? とイアンが気遣うような眼差しを私に向けながら問いかけてくる。
「大丈夫だよ。馬車も準備できてるし乗ろうよ。」
次は私の隣に乗ってね。と耳打ちすると、イアンは笑顔で頷いた。馬車は私達が乗りやすいように、向きを変えて待機している。
私は知らない事が多すぎる。
知識は魔法で解決できるものじゃないし、商人の事も詳しく知らない。身元を確認する時に、どうやって確認するんだろう? 身分証明書なんてあるのかな?後でお兄様に色々と教えてもらいたいな…。そう思いながら馬車まで行こうとしたけど、イアンが動かない事が気になって「イアン? 」と私は声をかける。
……また、揉めているのかな?
橋の向こう側の声をイアンは聞いているようだった。けど、向こう側は馬車の姿が無いように見える。
「ルミナス。マナとブライトさんと一緒に、馬車の中にいた方がいい。」
険しい表情をしているイアンが言い放つ。
なぜ急すのだろう。
雨が降ってくるから?
私が躊躇して、その場に留まっていると……
「急いでるんだッ! そこを避けてくれぇーーッ!!」
男性の切羽詰まったような叫び声が、私の耳に聞こえてきた。




