ルミナスは、見送る
目が覚めて体をベッドから起こすと、窓からうっすらと朝日が差し込んでいた。隣に顔を向けるとエクレアとマナが静かな寝息を立てて眠っている。
……昨日は、楽しかったなぁ…。
美味しい食事を堪能した後、私は空き部屋を魔法でお風呂場に改造した。フリージアとマーガレットも入るよう誘ったけど丁重に断られてしまったから、大きめに作ったお風呂に私とマナ、エクレアの3人で入った。エクレアは普段使用人に裸を見せてるからか、裸を見せる事に抵抗はなく、マナは自分の胸が小さいのを気にして、私とエクレアが堂々と並び立つ姿に恥ずかしがってたけど…。
マナの寝顔を見ながら、つい私はくすっと思い出し笑いをしてしまう。
お風呂から上がって体をフリージアとマーガレットに拭かれながら、私が魔法で皆の髪を一気に乾かすと凄く驚かれた。日常生活にとても便利な力だと私がドヤ顔で言うと、マーガレットは軽く笑ってくれて、フリージアは物言いたげな顔をしてた。フリージアは堅すぎだよ。
……お父様達も気に入ってくれて良かった。
私達が入った後に男性陣…リヒト様は遠慮してたから、お父様、お兄様、イアンの3人が入って、上がった後にお父様に感想を聞いたら、お風呂場はそのまま残しておきたいと言っていた。改造したお風呂場は一階の、厨房とは反対側の奥にある部屋だ。床は平らにして僅かに傾斜をつけ、壁と床の接する箇所に穴を開けて、お風呂に浸かったときに、溢れた湯を外に流れるようにした。
私がいなくなると、湯を沸かすのが大仕事になるから毎日はお風呂に入らないそうだけど、残り湯は洗濯に使えるからお風呂場を洗濯場としても利用出来るとフリージアとお父様が話していた。
私の部屋に昨夜のように集まって、マーガレットは部屋に泊まることはしなかったけど、夜遅くまで3人でお喋りしてそのままベッドで眠っていた。
私は2人が起きないように、静かにベッドから降りて窓を開ける。爽やかな風を心地よく感じながら、朝日に照らされた街並みを眺めた。
……パン屋と肉屋の人達…大丈夫かなぁ…。
食事の席でお兄様から話を聞いて知ったけど…店側が大変な目に合うとは思わなかった。図らずも私達がパン屋と肉屋を宣伝するような効果があったようだ。前世ではパン一つで色々な食べ方があったけど、パンに工夫を加える人はそういないみたいで、パンの形も実際に丸パンしか見たことない。
窓枠に腕をのせて、頬杖をつきながら軽く息を吐く。中庭に視線を向けると、手入れの行き届いている庭園があって、色別に分けられた花々がとても綺麗に見えた。庭園の横にある空いたスペースに人の姿を見つけて、そちらに意識を向けると黒髪な事に気づく。きっとイアンだろう。毎日の鍛錬に余念がないようだ。
「 イアン 」
名前を小声で呼んでみる。するとイアンは気づいたようで、こちらを向いて手を大きく左右に振ってくれた。私も微笑みながら手を振り返す。
昨日は天ぷら作りに失敗して落ち込んだけど、イアンの行動に心臓が破裂するかと思った。
イアンの顔が間近に迫ってきて、キスしようとしてるのは分かったけど…どのタイミングで目を瞑るべきか、口は閉じていていいのか……
余計なことばかり考えてしまった。
私は窓枠に手をついて深いため息を吐く。
なぜ私はあの時、顔を逸らしてしまったんだ。
『 次は…止めないからな… 』
イアンの言葉が頭を過ぎって、熱くなってきた頰に手を当てる。
幸せすぎて悶え死にしてしまいそうだ。
……ん? 誰だろう。
イアンの元に走ってくる二人組がいる。「おはようございますッ!」とデカイ声がこちらまで聞こえてきた。……あ、マイクだ。
どうやらイアンの鍛錬に加わるらしい。
ベッドの方から話し声がして顔を向けると、マナとエクレアの2人も起きていて、エクレアがマナの寝癖を手ぐしで直そうとしている。2人がすっかり打ち解けた様子に嬉しく思いながら「おはよう。」と私は挨拶をした。
「お、おはようございます…ルミナス様。」
「おはようございます!」
エクレアが照れたような笑みをして、マナは満面の笑顔で挨拶を返してくれた。
再び中庭に視線を戻すと、組手のようなものをし始めるようで、1人が距離を取り2人が向かい合わせになっていた。私がお兄様と話した時に修練場の事を聞いたけど…『修練場はあるけど、兵士で腕の立つのは昨日護衛した2人だよ。2人は離れで暮らしているし、手合わせをするなら庭を使っても構わないから。』とお兄様が提案した。イアンも私の隣で聞いていたし、きっとお兄様が2人に話しておいたのだろう。
扉を叩く音がして私が入室の許可を出すと、フリージアとマーガレット、メイド達が続々と部屋に入ってくる。私達3人はソファに座って楽しく食事をして身支度を整えると、エクレアの見送りをすることにした。
「ルミナス様…本当にありがとうございます。」
大事に使わせていただきますわ。と言って、エクレアが胸に小さな木箱を抱えながら、嬉しそうに笑みを浮かべた。私も喜んでいるエクレアの姿が嬉しくて自然と笑みが零れる。
今私達は城の外にいて、エクレアと向かい合わせで立っている。お父様とお兄様に別れの挨拶をした後に、エクレアは私の前まで来た。
エクレアの後ろには二頭立ての箱馬車の他に、二頭立ての幌馬車が停まっていて、その側には馬に乗る護衛の兵士が数人いる。伯爵家に仕える人達は、離れで寝泊まりしていると昨夜エクレアから聞いていた。
「ルミナスから何をもらったんだい? 」
私の隣にいるお兄様が、私とエクレアを交互に見ながら質問して「…石鹸ですわ。」とエクレアが、恥じらうようにして答えた。
部屋から出る前に私は、持ち込んでいた木箱の中から小さな木箱を取り出してエクレアにプレゼントしていた。中には石鹸が3個、仕切りをつけて並んで入れてある。幌馬車には、他にも小分けにして木箱に入れてる石鹸があるし、エクレアはお風呂に入った時に石鹸に興奮していたから、渡したかったのだ。
「ニルジール王国に行く前に、マドリアーヌ領にも立ち寄らせていただくわね。」
「―――っ…はい。」
私の言葉を聞いてエクレアは、木箱を抱えている腕に力を入れて、顔を綻ばせた。
「皆様のお越しを、お待ちしておりますわ。」
エクレアは木箱を片手に持ち直し、カーテシーをして背筋はピンと伸びたまま、腰を曲げて深々と頭を下げた。
「道中気をつけて帰って下さい。」
「エクレアさん! また沢山お話ししましょうね!」
「エクレア…また貴方に会うのを楽しみにしているわ。」
イアン、マナ、私はそれぞれエクレアに言葉をかける。ちなみにリヒト様は姿を現していない。きっと私の影の中にいるだろう。エクレアは御者の手を借りながら馬車に乗り込み、私達は馬車が道を曲がって見えなくなるまで見送りをした。
「ルミナス、今日の予定は決まっているのか?」
お父様が声をかけてきて……私は悩む。
マナは私に付いて行動すると、私の部屋で昨夜聞いていたし、先ほどイアンと合流した時に修練場を見に行くか質問したけど、ルミナスの行きたい場所に行って良いと言われてる。護衛の2人と一緒に、鍛錬や手合わせが出来るようになったからだろう。
……そうだ! あそこに行ってみよう!
私は見てみたい場所があったのを思い出した。




