広場の一日
119話 ルミナスが広場に行く前からの、パン屋の息子視点の話になります。
日が昇る前から俺は親父と住み込みで働いてる見習いと一緒にパン作りをして、日が昇ると窓の戸を開けて接客と生地作りをする。見習いは一日雑用と親父の側でパン作りを学んでいて、母さんは俺が小さい頃に亡くなり、姉さんも嫁いだから店の中は男だけだ。
窓から広場を見ると、馬車が続々と広場内に入ってきて、市の準備や井戸で水を汲む人達で人が徐々に増えていく。
いつもの日常だ。
けれど、この日は馬に乗った兵士が現れた。
突然兵士が来た事に、広場内にいた人達は驚いて作業の手を止め、歩く足を止めて広場の中央に視線を向ける。
「ダリウス様のご息女ルミナス様がエクレア様と、グラウス王国のイアン王子、ならびにご友人のマナ様と共に市内を見て回るッ! ダリウス様は普段通りに過ごしてほしいと仰っていたが、広場に訪れたら決して失礼のないようにッ!」
馬に乗る兵士が声を張り上げた。
広場内が騒めく中、兵士は馬を走らせ颯爽とその場を去っていく。
「お、親父…っ。ルミナス様が来るかもしれないって…もしパンを買いに来たら…」
「ルミナス様がうちに来るわけねェだろッ!」
手ェ動かせッ! と店の奥にある石窯の前で、パンを焼いてる親父に怒鳴られた。俺は慌てて視線を手元に移して、再び台の上でパン生地を捏ねる。
……確かに親父の言う通りだ。店で作るパンは庶民向けで、城では良い小麦を使ったパンを焼いている。店のパンを、わざわざ買ったりしないよな。
朝市で買い物をする人で、広場内の人が更に増えていく。俺は親父に怒鳴られないように、腕を動かしながら先ほどの兵士の言葉を思い出していた。
……エクレア様はブライト様の婚約者だったよな。
ブライト様は以前から何度も広場に顔を出していて、エクレア様と来た時もあった。ブライト様は気さくな方で俺にも話しかけてくれる。話の内容は妹自慢だったり、婚約者自慢だったりするけど…。
「おはよーっ! パン8個くださいっ! 」
肉屋の娘が籠を手に持ち、明るい声で注文してきた。朝の客は大体、広場で店を構えている人や近くに住む人達だ。
「ルミナス様って、どんな方だろうねっ!」
俺は籠を受け取ると、後ろを振り向いて台の側に置いてある桶の水で手を洗い、エプロンで拭きながら話に耳を傾ける。見習いが親父の焼いたパンを台の上に次々に運んできていて、俺は籠にパンを入れていった。
最近はルミナス様の話題で持ちきりだ。
俺は店の中にいても、客や他の店を構える人から噂話を耳にする。ルミナス様は幼い頃から城の外に滅多に出る人じゃなく、姿を目にした事のある人は殆どいないようだった。
朝来る客が途絶えると、後は疎らにしか客は来なく、日が暮れる前に再び増える。最近の客は顔馴染みばかりだ。パン屋は市内に何軒かあるし市には野菜や果物を運んでくる近くの農民が多くて、村には竃があるから店で買う人はいない。
宿屋で働く人が他国の商人の宿泊が減っていると前に話していたから、市で商品を売る商人も減り、パンを買う客も減っているように思える。
……なんだ…?
広場にいる人達が落ち着きのない様子で、時々顔を横に向けている事に気づき、俺は窓から顔を出して外を覗く。
人や馬車の合間から赤い服が目についた。派手な色を見て、もしかしてルミナス様だろうかと思いながら顔を引っ込める。
獣人の王子と婚約したルミナス様。
もしかしたら、これから獣人の客が増えるかもしれない。俺はルミナス様や獣人のイアン王子の姿を一目見てみたくて、窓から再び顔を出す。
赤い服を目で追っていた俺は、急にその姿を見失い、代わりに柱のようなものが視界に入る。その上に視線を移せば、フワリと広がる赤い服と、白く長い髪が揺らぐ姿が目に映った。
一瞬の出来事だった。
再び俺は姿を見失い、窓から身を乗り出す勢いで体を出しながら、キョロキョロと辺りを見渡していると、不意に澄み切った声が耳に入ってくる。
広場内で動きを止めていた人達が、ぎこちなく動き始める姿を……俺は体をゆっくりと戻しながら、呆然と眺めていた。
「なんだァ? 今の声は…?」
後ろから親父の声が聞こえて、ビクッと肩が揺れる。「…俺にも…何がなんだか…」と俺は後ろを振り向いて、なんとか声を出した。
何が起こったのか分からないけど、目にした光景と声の感じから、俺は先ほどの声はルミナス様じゃないかと思った。親父は、そうかァ…と一言漏らして、再び奥に戻ろうとする。
「親父は…気にならないのか? もしかしたら、ルミナス様が広場で何かしたかもしれない。…俺が様子を見に行ってこようか?」
内心、気になって仕方がなかった。すると親父はピタリと足を止め……
親父の重い拳が、俺の頭に降ってきた。
「――――いッ……っ!?」
俺は鈍い痛みに頭を抱えながら、その場にしゃがみ込む。恐る恐る顔を上げると、太い腕を前で組みながら親父は、不機嫌そうに俺を見下ろしていた。
「馬鹿野郎ッ! てめェが店を離れたら、接客はどうすんだッ! いいから仕事に集中しやがれッ!!」
「わ…分かってるって…。」
親父の迫力ある声にビビりながらも、俺は立ち上がる。親父はフンと鼻を鳴らすと奥へと戻っていった。
俺が産まれる以前、他国の商人の行き来が増えて客も増えた分諍いも頻繁にあったようだ。ダリウス様は市内に兵の見回りを増やし、金銭でのトラブルが起きないように、計算の仕方を領民に徹底して学ばせた。俺はダリウス様と言葉を交わした事は無いけど、ダリウス様は市内や領内の村々を回り、領民の言葉に耳を傾けてくれる人だという。
俺は文字の読み書きは出来ないけど、姉さんから計算を教わったから、こうして接客が出来る。今はブライト様が月に数回、子供を集めて無償で計算の仕方を教えているそうだ。
親父はきっと兵士の言葉を聞いた時から、何があっても普段通りに過ごせばいいと思っていたのかもしれない。ダリウス様が、そう仰ったと兵士が言っていたから。
俺は赤い服を探すことも目で追うこともやめて、接客とパン作りに専念しようと決めたが……
普段通りにはいかなかった。
「親父ぃーー! 大変だ! パンが足りねぇよ!」
店の前には人だかりが出来ていて、1人1個買ったとしても明らかに台の上にあるパンだけじゃ足りない。奥から親父が来て、客の多さにギョッとしていた。客が言うには、ルミナス様が食べていたのと同じものがいいらしいけど……
なんのことかサッパリだった。
「みんな落ち着いて。」
穏やかな声が耳に入り、俺は窓から顔を出す。
馬に乗り、茶色のマントを羽織っているブライト様の姿があった。
「ルミナスは変わった食べ方をしていたみたいだね。みんなが興味をもつのは嬉しいけど、店の人を困らせてはダメだよ。」
ゆっくりとした口調でブライト様が語りかけ、俺は台の上にある分のパンを売り捌くと、買えなかった客は諦めたような顔をして店の前からいなくなった。
客がいなくなり広場の様子が見えるようになると、宿屋のある辺りにも人だかりが出来ている事に気づく。
「ルミナス達の後をつけて、こっそり様子を見ていたんだけどね。…市で買い物するとは思ったけど…」
予想外のことが起きたよ。と言って、ブライト様が可笑しそうに笑う。
親父は俺が客にパンを売っている間に、店の外に出てブライト様と言葉を交わすと店の奥に引っ込み、これから来る客に備えてパンを焼いている。
「なんで、あんなに客が…」と俺が思わず呟くと、ブライト様が俺の疑問に答えてくれた。
ルミナス様達はパンに切れ目を入れ、ソーセージを挟んで食べたらしい。パンを手に持ちながら歩くルミナス様達の姿と普段食べるパンとは違う様子を見た人達から話が密かに広がっていき、ルミナス様が立ち寄ったパン屋と肉屋に押しかけることになったそうだ。
肉屋も人だかりが出来てたから、さっき行って来たよ。とブライト様が言っていた。
「私の自慢の妹を目にして…どう思ったかな?」
ブライト様の言葉を聞いて、俺は頰が熱くなるのを感じる。あんなに綺麗な人だとは思わなかった。
それに…ブライト様と客の会話を聞いて知ったけど、ルミナス様は農民の子供がイアン王子に失礼な態度を取っても処罰を与える事はせずに、逆に泣いてる子供を優しく宥めたり、井戸に落ちた子供を助ける為に真っ先に行動したそうじゃないか。
『怖がらないでくれると嬉しいわ。』
ルミナス様の言葉が頭を過ぎる。
特別な力が何かよく分からないけど…ルミナス様の行動力と優しさに憧れを抱く人がいても、怖がる人なんて絶対にいない。
「 とても…素晴らしい方だと思いました。 」
俺の言葉を聞いたブライト様は、満足そうに微笑みながら頷くと、馬を歩かせて店の前から去っていった。
ブライト様が周りに声をかけたからか、日が暮れる前は普段通りの客足だった。けれど他にも噂を聞きつけた人達が、こっちに来たら……
俺は明日から、店が慌ただしくなりそうな予感がした。
次話はルミナス視点になります。




