ルミナスは、息を吐く
「そうか。」
……え? それだけ?
お父様は私の方に目を向けないまま、机の上に重なって置いてある書類を一枚ずつ慣れた手つきで手に持ち、目を通しつつ片手に持つ羽ペンにインクを付けて、サインか何かを書き込みしながら、右から左へと流していく。
今私とイアンは、執務室の椅子に座って仕事をしているお父様に向き合って、横並びで立っていた。
私達が執務室を訪れた時に、室内にはセドリックがいたけど退室してもらい、フリージアが飲み物を用意しようとしたのも断って、執務室の中はお父様と私、イアンの三人だけだ。
広場で子供を助け、その後も魔法を使って広場内には私が作った休憩所を残したままなのも全て話した。
事前に魔法を使う事を言わずに行ったから、てっきり叱られるかと思っていたけど…お父様は特に動揺する様子もない。
「広場内にいた者達を驚かせてしまいましたが…」
「…お前が気に病む必要はない。」
私の言葉を聞いたお父様は羽根ペンを机の上に置き、目を細めて気遣うような口調で話した。
「グラウス王国で日常的に魔法を使っていたのだろう? ルミナスは魔法を隠す気はないようだが、領民や城内の者達に、目にしていない魔法の事を説明をするのは難しいからな。」
「では…城内でも魔法を使って良いでしょうか? わたくしの身の回りの世話をする者達には、知っておいてほしいのです。」
お父様は顎に手を当てた後「…そうだな…。」と一言呟きながら椅子から降りて、扉に向かって歩きだした。成り行きを見守っていると、お父様はドアを開けて、扉の外にいる誰かと話をし始める。きっとセドリックかフリージアだろう。お父様が話終えると、私とイアンはソファに促されて、この場で待つように言われた。
座って待っていると、扉を叩く音とセドリックの声がして、お父様が入室を許可するとセドリック、フリージア、マーガレット、メイドが数名中に入りソファがある方の壁際にズラリと並び立つ。
「ルミナス。セドリックとフリージアにも、私は今まで秘密にしていた。…あまり派手なのは使わないようにな。」
私の隣に座るお父様が腕を前に組んで、目配せしてくる。お父様は魔法を見せるために使用人達を集めてくれたのだ。メイド達も昨日から私の世話をしてくれた人達だろう。
私はソファから少し離れて、皆から見えるように向かい合わせで立つ。私の視界にはソファが横向きにあり、お父様とイアンが向かい合わせで座っていて、壁際に使用人達の姿がある。セドリックとフリージアの表情に変化は見られないけど、これから何が始まるのか固唾を飲んでいるように見えた。
「わたくしには特別な力があるの。今から目にする事に驚くと思うけど…恐れを抱く必要はないわ。」
皆の視線が私に集中する中、ニコリと安心させるように微笑んだ。
私は腕を前に突き出して、魔法を同時に行使する。
手のひらの上には小さな火の玉と水の玉を出現させて、室内には冷たい風を軽く吹かせた。
「ほぉ…。ルミナスは凄いな。」
お父様の感心するような声が私の耳に入る。
私が褒められて、イアンは誇らしげな表情をした。
使用人達は皆、目を見開き言葉が出ないでいる。
魔法を全て消すと、私は上げていた腕を下げて軽く息を吐く。
「…今見せたのは、力のほんの一部に過ぎないし、わたくしには他にも様々な事が出来るの。滞在中わたくしの側にいれば、それを目にしていく事になるでしょう。もし…わたくしを怖いと思うなら無理に世話をしなくて良いのよ。」
「そんなっ! どうかお世話をさせて下さいッ!」
マーガレットが自身の胸に手を当てて、取り乱したように声を上げた。
「マーガレットッ! 分を弁えなさい!」
すかさずマーガレットの隣に立つ、フリージアの厳しい声が室内に響く。緑色の鋭い眼光がマーガレットに向けられていて、マーガレットは顔を青ざめて口を固く結びながら、佇まいを直した。
……フリージアの怒った顔を、幼い頃にも見た記憶がある……あの時は……
「大変申し訳ございませんでした。」
頭を深く下げたマーガレットが視界に入り、思考に耽っていた自分の意識を、私はマーガレットに向ける。
「構わないわ。……そうね。マーガレットには滞在中わたくしの装いの見立てを頼んでるから、側に来てもらわないと…わたくし困ってしまうわ。」
私は頰に手を当てながら、ため息混じりに話した。
するとマーガレットは顔をゆっくりと上げて、ホッとしたような表情をしている。
「私達はダリウス様に仕える使用人でございます。ルミナス様はダリウス様のご息女であり、領地にいらっしゃる際のお世話を今後も、誠心誠意務めさせていただきます。」
いつもの落ち着いてハキハキとしたフリージアだ。
フリージアが頭を下げると、両隣に立つセドリックとマーガレット、メイド達もきっちりと私に対して頭を下げた。
その後お父様が飲み物を運ぶように頼み、マーガレットがメイド達を引き連れて再び戻ってくると、三人分のグラスがテーブルに置かれて、部屋を退室していった。執務室内は私とイアンが並んでソファに座り、お父様がテーブルを挟んで向かい合わせで座る。
マーガレットとフリージアが壁際に立ち、室内には五人が残った。
「イアン王子、城内で過ごされて何か不便はございませんか?」
「いえ、特には…。ただ…」
イアンが手に持っていたグラスをテーブルに置き、お父様の問いかけに、少し迷うような視線を私に向けてくる。「なんでも言ってね。」と私が言って微笑むと「ルミナスの…その…お風呂の湯に浸かったり、体を洗えたらと思いまして…」と小声で続きを話した。
「おふろ…? 体を… まさか…っ! ルミナスと共に体を洗いたいと言っているのか?」
お父様はガラリと態度を変え、眉間の皺を深めて鋭い視線をイアンに向けた。
私がグラウス王国でお風呂に入っていた事を、お父様には伝えていない。イアンは旅の間も私が作ったお風呂に毎日入っていたから、すっかりお風呂の虜になったようだ。
「と、と、共に!? 違うっ! そうじゃない…! なぁ、ルミナス!」
イアンが焦りながら顔を真っ赤にさせて、私に助けを求めてくるような目で訴えた。ソファに垂れていた尻尾の先がビクビクと揺れていて、目に見えて動揺している。
……側に尻尾があると、思わず触りたくなっちゃうんだよなぁ…。
イアンの黒色の尻尾は毛並みが良くて、何回か触りたいとお願いしたけど、未だに尻尾を触らせてくれない。つい尻尾に目がいったけど、イアンの困り顔を見て私は、お父様へと視線を移す。
「お父様は勘違いしてますわ。わたくしグラウス王国では毎日、寝る前に体を洗ってお湯に浸かっていましたの。イアンはわたくしの作ったお風呂に入りたいのです。」
自分の裸を見せるのも、イアンの裸を見るのも今の私には無理だ。羞恥心で気絶してしまう。
「む…。そうか…。…申し訳ありません、イアン王子。つい…取り乱してしまいました。」
お父様が私からイアンに視線を移して、気まずげに話すと「いえ…。」とイアンは力のない声で返して、グラスを手に持ち、中身を一気に飲み干した。
お父様はお風呂に興味を持ち、今夜は私の作ったお風呂に入る事になった。セドリックがお父様と段取りを話し始めて、お湯は私が出して髪も乾かすから人手はいらないし準備も不要なことを告げると、お風呂に入る時はセドリックとフリージア、マーガレットがタオルの用意や着替えなどを手伝うそうだ。セドリックとフリージアもお風呂に興味を抱いている様子だった。せっかくだからお風呂を大きめに作って、男性陣と女性陣とで、交代でお風呂に入る提案を私はする。
お父様は私の提案をのんで、今夜は皆でお風呂に入ることが決定した。
「ルミナス。リヒト様は朝の食事以降、客室から出てきていないようだ。セドリックが昼に食事を持って訪れたが、室内からの応答が無かったと言っていた。室内で休むとは聞いてはいたが…大丈夫であろうか?」
お父様がチラリと私に視線を向ける。私もリヒト様の事は気になっていた。
「わたくしも、この後リヒト様に声をかけ」
【その必要はない。】
私の言葉を遮り、静かな声が指輪から発せられた。




