ルミナスは、進む
咄嗟に体が動いた。
両手のひらに、石のざらついた感触が伝わったと同時に視界が一気に高くなる。
速く!
速く!!
私は、しゃがんだまま目を凝らして、井戸に向かって人々の頭上を越えながら猛スピードで進む。
井戸の前に降りて、移動に使った石の道を元に戻すと井戸の縁に手をかけ、中を覗いた。
イアンも駆けつけてきて、足を縁にかけ、今にも飛び込もうとしている。
私はそれを手で制してバシャバシャと、腕を必死に動かしている子供に向けて手をかざす。
子供の足下に水の壁を作り出して、沈まないように固定すると、ゆっくりと水を上昇させる。
井戸から姿を現した子供を、私は迎え入れるように両手を広げ、自身の胸に力強く抱きしめた。
水は崩れるようにして真下に落ちて石畳を濡らす。
「大丈夫? どこも怪我はないかな…痛くない?」
「……ぅ、うん…」
子供を恐る恐る地面に降ろすと、自分の足でしっかり立つ姿にホッとする。私はしゃがんで子供の頭や額、腕や足を触りながら丁寧に怪我がないかを確認した。5歳くらいの子供は全身水浸しで、私を見ながらも今の状況に戸惑っているようだった。
私は立ち上がって、はぁ〜…と安堵のため息を漏らす。子供が無事な事に胸を撫で下ろしていると、ポンと肩に手を置かれた。隣に立つイアンに「ルミナス…」と控えめに声をかけられる。
……うわぁ……。どう説明しよう…。
辺りを見回すと広場内はシン…と静まり返り、人々は思考を停止したかのように固まっている。
複数の足音が耳に入り、マナがすぐ側まで走ってきていた。マナの後方からは、エクレアがスカートの裾を軽く持ち上げながら向かってきていて、兵士も一緒にいる。私とイアンに付いていた護衛の兵士も、走ってこちらに向かってくる姿があった。
「……っ…カイ……」
「ママっ!」
手に持っていた桶は地面に転がっていて、母親が弱々しい声で名を呼んだ。カイ君は母親の声を聞いて側に駆け寄り、勢いよく抱きついている。
母親の姿を見て安心したのだろう。
カイは泣き出し、ママ、ママ…! と何度も声を上げて、母親は我が子を抱きしめながら目に涙を溜めていた。
「無事で良かったね! ルミナスさんに助けてもらったお礼を言わなきゃダメだよー!」
マナが側に来ると、カイを見ながら笑顔で話しかけていた。母親がハッとしたような顔で私に視線を向けてきて「さっきのは…」と僅かに声を震わせている。
広場内が徐々にざわつき始めた。
「…みんなを驚かせてしまったわね。わたくしには特別な力があるの。理解が追いつかないと思うけれど、それで納得してちょうだい。怖がらないでくれると嬉しいわ。」
風魔法を使い、広場内にいる人達に聞こえるようにして、私は静かな声で語りかける。
母親とカイの前に立つと、カイは母親を抱きしめていた手を離し、振り返って私を見つめていた。
「…風邪を引いたら大変ね。乾かしましょう。」
私は微笑みながらカイに向かって手をかざし、普段自分の髪を乾かしている要領で風魔法を行使する。
暖かい風がフワリと広がり、カイの全身とカイを抱きしめていた母親の服、私のドレスを乾かした。
「―――っルミナス様! すごいっ!」
すごい、すごい…! と興奮した様子でカイは自身の身体や髪に手を当てている。
母親は呆然とした様子で立ち尽くしていた。
……子供って順応性あるね。
グラウス王国にいるミミちゃんや、他の子供達の姿が頭を過ぎる。
「……っ…あ、…ありがとうございます……」
母親は困惑しているようだったけど、カイの肩を掴みながら私にお礼を述べて頭を深く下げてきた。カイ君は未だ興奮冷めやらぬまま、「ありがとうございます!」と元気な声を上げる。
「井戸に登ったらダメだよ。もうしないでね。」
私が微笑みかけると「…ごめんなさい…」とカイは表情を曇らせて俯いていた。
イアンが桶を拾って母親に手渡そうとしているのが視界に入り、私は魔法を行使して桶の中に水を入れる。
「…えっ、あ、ありがとう…ございます……」
受け取った桶と私を交互に見て、母親が再び何度も頭を下げてくる。母親はカイと手を繋いで、歩いていった。
「…る、ルミナス…様…っ…」
エクレアなりに、一生懸命急いで来てくれたのは一目見て分かった。髪が乱れていて、汗で髪が頰に張り付き、息を切らして私を見つめている。
私はエクレアに向かって手をかざす。エクレアは薄い水の膜で覆われ、すぐにパチンと弾けるように水は消えた。
「まぁ…」とエクレアは一言零すと、頰に手を当てて驚きに目を見開いている。
洗浄魔法で汗もサッパリだ。
「ルミナス、城に戻ろうか?」
イアンが心配げな表情で話しかけてきたけど「もう少し見ていこうよ。」と私は笑顔で返す。
私とイアンの周りにいるマナ、エクレア、兵士二人に視線を移すと、マナは「お腹空いてきましたね!」と明るい声で言って、エクレアはマナの声を聞いて笑みを浮かべていた。兵士二人は口を結んだまま直立している。
思いがけず魔法を使ってしまったけど、私は魔法を必要とあれば人の目があっても使う気でいた。
使用人達を混乱させないようにと思って城では控えていたけど、今回の事はお父様とお兄様の耳に入るだろうし、私も隠すつもりはない。
エクレアと兵士達が魔法の事を聞いていたかは知らないけど、目にしたのは初めてだろう。それでも表情からは怯えや恐怖を感じなかった事に、私は嬉しく思っていた。
私はコツコツと音を鳴らしながら、未だざわついている人々に向かって足を前に進ませる。
私の隣にイアン、後ろからエクレアとマナ、兵士の二人も後ろを付いて歩いてきた。




