イアンは、悶え苦しむ
115話 客室に案内された後からの、イアン視点になります。
……落ち着かない…。
俺は客室に案内され、大きなソファに腰を下ろし、ソワソワとしながら視線を彷徨わせる。
部屋は俺の自室の倍の広さはある。床には綺麗な絨毯が敷かれているし、ベッドがデカイ。この部屋を俺一人で使って良いのだろうか? 壁には燭台に蝋燭が三本立てられ、室内は明るい。蝋燭をこんなに使って勿体ないと思ってしまう。
俺は立ち上がってベッドに歩み寄り、ベルトを外して剣をベッド側の壁に立てかける。部屋の隅には馬車から降ろした木箱が数箱あり、中には着替え、胸当てやナイフ等が入っている。戦闘は無いと思いながらも、用心に越した事はない。まだ目は冴えているが、蝋燭の火を消してベッドに横になるか……
そう考えていると、扉を叩く音とルミナスの兄上、ブライトさんの声がした。
「イアン王子。ルミナスが女性だけで集まっているので、私も真似してみたのですが…入ってもよろしいでしょうか?」
「え…」
俺はすぐに扉を開けたが、手にワインボトルとグラスを二つ手に持つブライトさんの姿に呆気に取られる。とりあえず断る理由も無いので「どうぞ…」と許可を出して中に入ってもらった。
……もしかして、シルベリア侯爵もいるのか?
俺は扉から顔を出して廊下を確認するが、他に人の気配は無く、扉をゆっくりと閉めた。
「父上も誘ったのですけど…一週間あるのだから、話なら別に今夜でなくても良いだろうと断られてしまいました。」
俺はブライトさんの言葉を聞いて安堵した。シルベリア侯爵の鋭い眼光は、心の内を読まれているような気分になって、どうにも緊張してしまう。ソファは室内に一つなため、ブライトさんと俺は間に一人分ほどのスペースを空けて並んで座った。
「リヒト様をお誘いするのは躊躇しましたので、私一人で来たのです。」
ブライトさんが喋りながら、慣れた手つきでグラスにワインを注ぎ、テーブルの上に置いた。
「ブライトさん。今は二人きりですし…敬語をやめてもらえませんか?」
ルミナスも年下の俺に敬語だった。敬語じゃなくなってからは、それだけで距離を縮められたように感じて凄く嬉しかったものだ。ブライトさんは、フッと柔らかい笑みを浮かべ「では…今だけ、そうさせてもらうかな。」と俺に対する口調を変えた。
「改めて…ルミナスとの婚約おめでとう。」
「あ、ありがとうございます!」
ブライトさんがグラスを手に持ち、俺もグラスを手に持ってワインを飲む。
そう、ルミナスと俺は婚約したんだ。数ヶ月前ルミナスに告白された後、城に戻ると報告する前に姉上にすぐ気づかれた。俺の態度が明らかに変だったらしい。
「ルミナスからの文には驚いたよ。マーカス王子の件があって、当分は男性に興味を抱かないと思っていたからね。」
「俺自身…未だにルミナスに好意を寄せてもらえるのが、信じられないくらいで…。」
俺がグラスをテーブルに置いて俯くと「ルミナスは、とても素敵な笑顔を見せるようになった。」と優しい口調でブライトさんが言って、俺は顔を上げてブライトさんに視線を向ける。
「父上はルミナスのことを心配して、領地に帰らせたがっていたけど…私はルミナスが、グラウス王国で暮らせて良かったと思っているよ。」
ブライトさんは、ゆっくりとした口調で話し続ける。ルミナスの笑顔を見るのが俺は好きだ。
ブライトさんの言葉が嬉しくて、俺はにやけそうになってしまう。
「ルミナスが特別な存在だと、最近父上から話を聞いたよ。父上や私は、もちろんルミナスが大切な存在だし、これからもルミナスの助けになりたいと思っているけど…ずっと側にはいれないからね。」
ブライトさんは眉を下げて話した後「これからも妹を…ルミナスをよろしく頼みます。」俺に向かって頭を深く下げてきた。
「お任せ下さい。ルミナスを…その笑顔を、俺は側で守り続けてみせます。」
俺は、顔を上げたブライトさんを見据えながら告げた。ブライトさんは嬉しそうに顔を綻ばせている。
それから会話は弾み、ルミナスがグラウス王国でどんな日々を過ごしていたか…ルミナスの幼い頃の話や、ブライトさんとルミナスが通っていた学園の事、ブライトさんがエクレアさんと婚約関係な事……お互いに色々な事を話した。
「移動で疲れているのに…長居してしまって済まなかったね。」
「いえ、お話できて良かったです。」
ブライトさんは空になったボトルと、グラスを持って部屋を出て行った。ルミナスとシルベリア侯爵は文でやりとりをして、婚約も結婚も了承を得ているが、獣人の俺と結婚することに、本当は反対なんじゃ…良い関係を築けるだろうか…と正直不安だった。だが、こうしてブライトさんと話が出来て、心が軽くなったような気分だ。シルベリア侯爵と話はまだだが……
ふと、俺は聞きたい事があったのを思い出し、扉を開ける。ついさっき出て行ったから、まだいるだろうか? 朝、鍛錬をするために庭に出て良いか聞きたかったが……
「二人は下がって良いよ。…エクレア、パーティーは楽しかったかい?」
「はい。とても…」
廊下の…階段のある方から話し声が聞こえて、俺は部屋を出た先で踏みとどまる。どうやらエクレアさんが、ルミナスの部屋から戻ってきたようだ。俺の客室は一番奥だが、エクレアさんが使用人から手燭を受け取り、暗がりの中で蝋燭の灯りが揺らめいて、ブライトさんとエクレアさんの姿が見えた。使用人の二人が階段を降りていき、ブライトさんとエクレアさんの二人は、その場に留まっている。
「昨夜のように一緒に夜を過ごせないのが残念だな。…そんなに熱い眼差しを向けられたら、離れ難くなるよ。夢の中でも君に会いにいくから。おやすみ…私の愛しいエクレア…」
振り向いて部屋に戻ろうとした俺の耳に、ブライトさんの甘い言葉と、唇が重なったような音が耳に入ってきて、俺は慌てて部屋へと駆け込み、静かに扉を閉める。
バクバクと高鳴る心臓を落ち着かせようと、頭の耳を抑えながら、ベッドに突っ伏した。
―――盗み聞きしようとしたわけじゃない! 俺の耳が悪いんだっ!
聞いてしまった罪悪感に、頭をグリグリとベッドに押し付ける。
……婚約したらキスは当たり前なのか?
俺は、いつ発情期がくるんだろう。
父上が女の人との触れ合い方を一生懸命に俺に教えてくれて、最後には『必ず相手の同意を得るように』と真剣な表情で告げられた。自制心を保つのは、どうすれば良いか尋ねたが、父上は我慢をしたことが無いそうで参考にならなかった。
まだ、あれから数ヶ月しか経ってない。いつくるか分からない発情期に内心とても焦っている。
キスも、一体いつ、どんな風にすれば良いのだろうか。トウヤはキスの経験を経たようで、自慢するような顔で俺に『自然に出来たぞ』と言ってきて、思わず殴ってしまった。シンヤはマナが好きだと言っていたくせに、全然その気がないような態度をとるから不思議だ。
ルミナスの使ってる石鹸の威力が凄まじい。
なんてものを作り出したんだと叫びたくなった。
嗅覚の鋭い奴らは、ルミナスから香る匂いに色めき立つし、国を出立した日も、湯上りのルミナスを意識しないように必死に耐えた。
俺の一番の悩みは、ルミナスと一緒にいると触れたくて堪らなくなることだ。でも、そう思うのは相手を好きだからで、発情期がきたわけではないと、父上が教えてくれた。
ルミナスの柔らかな頰に、触れたい。
細い指に俺の手を絡めて、ずっと握っていたい。
潤った唇に、口づけしたい。
きつく抱きしめ、甘い匂いを側で嗅ぎたくなる。
俺はベッドの上に転がり、ルミナスの姿を思い浮かべながら悶え苦しんだ。
次話ルミナス視点になります。




