ルミナスは、夢を見る
「かおる先輩。ボーっとしてると、成田課長にまた怒られますよ〜。」
「……え? あ、うん…そうだね。」
可愛らしい声が耳に入り、ハッとした私はパソコンのキーボードに置いていた手が止まっているのに気づき、慌ててタタタッと打ち込みをする。私の向かい合わせでデスクに座る新人社員の未央ちゃんは、ため息を吐いて自身もパソコンに向き直り、軽快な音を響かせながらキーボードを打ち込んでいた。
……なにか、忘れているような。
光熱費か家賃の支払いだろうか。スーパーの特売日? 晩御飯、またカップラーメンでいいかな。
考え事をしながら打ち込んでいたからだろう。この後私は打ち込んだ書類を提出したけど、入力ミスがあり上司の成田課長の叱咤を受けることになった。
私が務める会社は制服があり、更衣室で出勤と退社の際に着替えをする。着替えをしながら未央ちゃんが「結局怒られてましたねー。かおる先輩ってば、ボケてきたんじゃないですか?」とキツイ言葉を吐いてくるが、私はハハッ…と苦笑いだけ浮かべた。周りに他の人もいるが、新人の未央ちゃんの私に対する態度に、誰も注意をする者はいない。
私の方が勤続年数も長いし、所謂『先輩』と未央ちゃんに呼ばれているが、会社内で私に話しかけてくるのは未央ちゃん位だ。
未央ちゃんは可愛らしく愛嬌もあり、入社して間もないが仕事の要領もよく上司からの期待もある。
一方、私は同僚が次々に寿退社していった中、一人取り残された30歳の暗い女。顔面も内面も未央ちゃんとは正反対だ。唯一私が自慢出来たのは無遅刻・無欠席だったことだけど、それも先日寝坊してパァになった。
「かおる先輩は暗殺者が好きなんですよね? わたしなら騎士団長の息子が良いです。騎士って響きが、なんかカッコ良いですもん。」
「そっかぁ…。」
街灯の明かりが照らす夜道を二人で歩く。未央ちゃんが剣を振るう仕草をしながらキャハハと明るく笑うが、私は素っ気ないし無愛想だ。別に暗殺者だから好きとかじゃ無いんだけどなぁ。それにラージスは設定で騎士団長の息子ってだけで、騎士じゃないけど……と内心思うけど、突っ込むことは言わない。
以前、帰宅途中にアランのボイス音を、イヤホンで聴きながら歩いていると、何聞いてるんですか? と未央ちゃんが私のイヤホンを外して耳に当てた姿がやけにスローモーションに見えたものだ。無口な私が乙女ゲームの話になると饒舌に語り出したのを見て、未央ちゃんに爆笑されたのは痛い思い出だ。
偶然同じマンションだった私達は、たまにこうして帰り道を共にして、未央ちゃんは私が乙女ゲームに夢中なのを知る、唯一の人物だった。
未央ちゃんを嫌いな訳じゃないけど、未央ちゃんの存在が眩しすぎて恐縮してしまう。
年上の威厳など私には皆無だ。
それから数日後……私は資料室で成田課長が未央ちゃんに、セクハラ紛いの行いをしてる現場を目撃する。
「先輩…なんで助けてくれなかったんですか!」
「その…私…」
急ぎ足で夜道を歩いていると、未央ちゃんが私の後を追って走ってきた。未央ちゃんは、私が資料室に入ろうとした事に気付いていたようだ。そして、見て見ぬ振りをした事も……。成田課長は既婚者だけど、女癖が悪かった。特に若い子が好きなようで、今まで新人社員の中にはセクハラが理由で辞める子もいたのだ。私は入社してから今まで、飲みに誘われた事も無いけど。40代前半の成田課長は、甘いマスクと優しい言葉で女の子を誑かしていた。
「もういいです! 先輩は当てにしませんからっ! 今度セクハラしてきたら訴えてやります!」
「え…や、やめておいた方が良いよ。」
思い留まるよう説得しようとしたけど、未央ちゃんの決意は変わらないようだった。
それが、未央ちゃんと交わした最後の会話だった。
「……ッみ、おちゃ……?」
目の前の光景が信じられなくて、私はその場に立ち尽くしたまま、手に力が入らずにドサリと持っていた鞄を落とした。ベチャッと水溜りに落とした時と同じ音が鳴る。
未央ちゃんが会社を休んだ日、残業して帰宅してきた私はマンションの入り口に入る前に、頭上から女性らしき声の悲鳴が聞こえて足を止めた。
暗がりの中、上から真っ直ぐ固いアスファルトに向かって頭から落ちてきたためか、未央ちゃんだとは顔の判別がつかなくなっている。ただ、その手に握り締められた携帯電話には見覚えがあった。ヒカキミの、アランのストラップが付いている。私が好きで何個も同じのを持っていたから、未央ちゃんにもあげたんだ。
「あ…あ、あ…あああ……」
頭が混乱して思考が定まらず、その場にいたくなくて………逃げ出した。
ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい
心の中で何度も謝罪の言葉を繰り返しながら、当てもなく走り、すれ違う人が私を見て驚いた表情をしていた。もしかしたら血が私に付着しているのかもしれない。心臓がバクバクと早まり呼吸が苦しくなる。ヒッヒッと息を切らしながら、前をよく見ていなかった。
クラクションの鳴る音と光。
私の…橘 薫の終わり。
――――――――
「……っう…うう…」
どうやら私は夢を見ていたようだ。でも、思い出した。夢で見たことは、実際に私が前世で体験した……私が今まで忘れていた記憶だ。
瞳を開けた私の視界は、暗闇で一切の光が見えない。その場にしゃがみ込み、膝の間に顔を埋めながら嗚咽を漏らす。今となっては、他殺か自殺か……なぜ未央ちゃんが死んだか真相は分からない。冷静に考えたら、もしかして携帯電話とストラップが一緒なだけで、別人の可能性も……いや、マンションの入り口からの明かりだけでハッキリと見えなくても、背格好や服装は女性だったし未央ちゃんの可能性は高い。
ズブズブと足元から底なし沼に、落ちていくような感覚に陥る。ゆっくりと立ち上がった私は、虚ろな瞳で足元が闇に浸かっていくのを眺めていた。不意にだらりと下げた腕に、何かが当たるのを感じて視線を腰に下げた袋に向ける。
……なんだっけ。
手に握りしめたままのネックレスを自身の首に付け、もう片方の手に握っていた指輪を袋の中に入れた私は、中にある物を取り出す。何か大切な物を入れていた気がしたからだ。
イアン
暗闇の中で見えないが、両手でソレを触り猫の形をしているのが分かった。そして同時にイアンの存在を思い出す。
袋の中に猫の置物を戻した私は辺りを見回す。暗闇で何も見えず、自分がどこにいるのか、イアンやアクア様達が今どうしているか一切分からない。リヒト様が私をどこかに閉じ込めているのかと考えて、ネックレスを口元に近づける。
「リヒト様。 ここから出して下さい。」
【わたしの光…アイリス】
「わたくしの名前はアイリスじゃなくて、ル・ミ・ナ・スです!」
話を聞かないリヒト様に、私は自身の名を強調しながら声を上げる。
足元を見れば、闇に浸かっていたのが元に戻っているようだった。先程は固定されたように足が動かなかったけど、今は足踏み出来る。
「アイリスさんは貴方の愛した人ですか? 貴方の光は…アイリスさんだけじゃ無いですよ。アクア様、フラム様、リゼ様…それに、貴方にはアイリスさんとの間に、お子さんがいたのを理解していないのですか?」
【もう側を離れない。アイリス…わたしの光…】
……だめだ。何を言っても無駄みたい。リヒト様を倒して……いや、魔人を倒すことなんて出来るのかな? 傷は自己治癒するよね? そもそも攻撃魔法は私無理だしなぁ…。どうすればリヒト様に分かってもらえるのだろう。
私はハァーっと深いため息を吐く。
「……リヒト様が聞く耳を持たないなら…」
私はネックレスの宝石が付いている部分を、ギュッと握った。
「無理矢理にでも、理解してもらいます。」
私の魔力をネックレスに流し込む。魔力を流すのは危険かもしれないと思ったけど、私の魔力は元々リヒト様の魔力だから、きっと大丈夫だろう。話しても分からないなら、リヒト様の心に直接訴えかけるように、私の知る限りのアクア様達の事やルミエール女王の事を頭に浮かべながら魔力を流し、強く想う。
『 皆の想い 』どうか、どうか、リヒト様に届いて。
【―――ッやめるんだ!】
「キャアッ!」
暗闇の中で私の腕や首が何かによって拘束される。ネックレスに触れる事が出来なくて、首もギリギリと締め付けられて苦しい。「……ぃ…ぁ……」イアンの姿を頭に浮かべながら声を絞り出す。うまく呼吸できずに意識が朦朧としてきた。リヒト様は私が魔力を流した時、焦ったような声を上げたから、何かしらの効果はあるんだ。
もう、一度……
【ルミナーーース!!】
イアンの私を呼ぶ声がした。拘束が緩まり、私は再びネックレスを握り締めて魔力を流し込む。
暗闇だった私の視界に、光が入ってきた。




