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魔霧の森の魔女物語

三年目の猫

作者: 七瀬美織

 

 


 三年間、私は飽きもせずに続けてきた事がある。


 人通りのない抜け道で、猫に挨拶する事だ。その猫が、何処からかやってくるのか不明だが、毛艶の良さから飼い猫だと思われる。茶褐色のシマ模様のある長毛種の猫を、見かけるたびにかまい続けてきた。


 そして、三年後のある日、猫はにゃーにゃー甘え鳴きをしながら、私の足もとに擦り寄ってきた。


 私は、飛び上がりそうになるほど歓喜した。






 初めの頃は、私の姿が見えただけで、その猫は逃げていった。


 私が小動物に好かれないのは、昔からだから諦めてはいた。しかし、心は少なからず傷ついていた。彼らは、まるで天敵に出会ったかの様に逃げていく。誰も取って食おうなどと考えていないのに …… 。


 こちらの好意が、全く伝わらないもどかしさ、寂しさ、苛立ち、諦め、様々な負の感情を押し殺して、再び猫と対峙する。


 茶褐色のこんもりとした毛玉を確認してから、ジリジリと距離を詰める。


 逃げられる …… 。


 目が合った!


 逃げられる …… 。


 視認したかと思ったら、ふわふわの長いしっぽが抜け道の角に消えて行った。


 ………… また、逃げられた。


 あ、いた! ぞ、 …… 逃げてしまった。


 眠ってるかと思えば、また逃げて行った。


 また、逃げられた。


 あ、逃げた!


 あ、あ、あっ! あと少し! で、逃げられた。


 とことん、逃げられ続けた …… 。


 おや?!


  今日は猫が塀の上で眠っている。必死に気配を消して、そっと近づいてみる。

 …… 初めて手を伸ばせば触れられそうな距離にまで近づけた!!


 わわっ、猫が目を覚ました!!


 猫は、瞳を真ん丸にして、全身の体毛をしっぽの先までぶわっと逆立てて、あっという間に逃げ出した!



 ……………… 失敗した。






 それから、猫は抜け道に姿を見せなくなってしまった。私は、いつになく落ち込んだ …… 。


 そして、抜け道で猫の姿を探すことをやめてしまった。もう、猫だっていい迷惑だろう。


 淡々と細い道を足早に歩く日々は、酷くつまらなかった。


 最近、お前は元気がないと、相棒に心配された。相談してみろとか、理由はなんだとか、いい加減しつこくて煩いので、正直に事の顛末を話した。相棒は、問題の解決を勝手に引き受け、周りを巻き込み作戦会議を始めた。相棒が、執務の時間よりも随分と楽しそうなので、軽く(・・)蹴飛ばしておいた。




「 …… ヴェルメイア様」

「何だ? マチアス政務官殿」

「陛下がお呼びです」

「 …… 私は忙しい。だから、昼寝の邪魔をするな」


 わざわざマチアス政務官に、私を呼びに越させるとは、相当面倒臭い話なんだろう。マチアス政務官は、室内でも常に帽子を被っている変わった奴だ。


「昼寝をするくらい、暇なんでしょう。諦めて、早く執務室へ来て下さい」

「はい、はい。わかった。『愛してる』から、もう少し寝かせてくれ …… 」

「! …… ヴェルメイア様 !!」


 真っ赤な顔をして怒りながら、真面目なマチアス政務官は、私が執務室へ入るまでついてきた。最近の流行りで『愛している』は、挨拶がわりで『ご苦労様』と同じ意味だから、特にマチアス政務官に言ってみろと、相棒に言われたので、その通りにしてみたが不評だったらしい。


「マチアス、ご苦労。ヴェルメイア! お前に紹介したい人物がいる!」


 満面の笑みで私を待っていた相棒に、一人の女官を紹介された。彼女は、猫を飼っていたことがあり、その扱いに詳しいと相棒は言った。折角だが、肝心の猫に会えないのだから、意味がないのではないのか ……?


 しかし、妙な命令をされた女官が気の毒になり、相棒の執務室を間借りして話を聞くことにした。ソファーに座ると、いつもの執務室付きの文官が、お茶を入れてくれた。うむ、今日も美味しい。


 結論から言えば、私は愛猫家を甘くみていた。相棒も。


 いや、彼女が特別だったのかもしれない。彼女は、最初こそ緊張して、遠慮がちに話していたが、飼っている猫の話から熱が入り、キラキラと瞳を輝かせて、延々と猫の可愛い自慢が始まった。どれほど自分が猫を愛しているのか、その奇跡の存在に生涯を捧げているのか、謎の猫愛教にまで発展していったのだ。


 彼女曰く、猫は神だ …………………… 。


 しかし、彼女が猫に詳しいのは事実で、様々な猫の習性や付き合い方を伝授してくれた。そして、彼女は、ほとぼりが冷めれば猫はまた戻ってくるから、大丈夫だと微笑んで、布教を …… いや、猫話を終了した。


 ああ …… 。夜が明ける前で、本当に良かった。


 次の日から、私は裏道を静かにゆっくりと行き来するようになった。


 だが、猫はいない。


 しかし、猫愛教の女官によると、猫はお気に入りの場所を幾つも持っているそうだ。その場所を、ぐるぐる点検しながら移動しているそうで、異常がなければ、そこで眠ったり寛いだりするそうだ。


 つまり、私は異常事態なのか …… 。


 私は、猫にまた会えるように、心の中で、そっと猫の神様に祈った。


 あれ? 入信したつもりはないぞ! いや、いや、いや、猫愛教なのか? ちょっと、神頼みをしただけで、まだギリギリ大丈夫だ!


 私は、くだらない思考に気を取られていたせいで、視界の隅に捉えた猫の姿を、見落とすところだった。気がついたのは、塀の上で眠る猫の前を、あっさり通り過ぎてしまってからだった。


 おおっ!いた!いた!いた!


 さりげなく振り返って視認したが、そのまま歩調を変えずに歩き遠ざかる。


 彼女曰く、懐いていない猫は、目が合えば警戒して、近づけば逃げていくそうだ。だから、初めは無関心を装って、敵意や害意がない通行人に徹する行動をとる作戦だ。猫だって、自分に興味が無い通行人なら、警戒する必要がないのだろう。


 それから、猫の姿を見かける日が増えた。私は、ただ通り過ぎるだけで、くるりんと円らな琥珀の瞳と目が合っても、こちらから視線を逸らして猫社会の好意を示す行動をとる。なるべく、無関心を装い普通に歩いた。

 本当は、じっくり見たいし、触ってもみたい。しかし、それで逃げられたら元も子もない。そして、猫がのんびり眠る姿を見るだけでも、十分に癒された。


 それから、通り過ぎる時の猫との距離を、ほんの少しずつ縮めていった。


 日なたで、眠る猫をじっくりと見つめる。猫は、私の気配を感じても、逃げなくなっていた。

 猫の体を包む柔らかそうな茶褐色の毛並みと、時々ピクピク震える三角形の耳に触ってみたい。風に揺れている長い髭が生意気だ。しっぽが左右にゆったり揺れて、先の方だけピコピコ動くのが可愛くて堪らない。


 今日こそは、猫愛教の女官に教わった、例の技を使ってみようと決意した!


 うっすらと目を開けた猫の鼻先に、私は、ゆっくりと、人差し指を近づけていく。もう少しで、鼻に付く直前に猫は少しだけ顔を上げた。そして、寄り目気味になりながら、私がさしだした人差し指の先の匂いをかいだ。やった!すぐに、指を引っ込めて静かに立ち去る。しつこくしてはダメなんだそうだ。

 それから、猫に会うたびに、指をさしだし匂いをかがせる。ちょんと鼻先に触れて、撫でたいのを我慢して、すぐに立ち去る。これを、挨拶代わりに繰り返した。


 猫とはいつでも会える訳ではない。私が裏道を歩く時間は、決まっていないからだ。もちろん、猫だっていつも同じ時間に居るわけではないのだろう。多くても、月に4、5回の逢瀬だった。急ぐ時は、仕方なく声をかけるだけの時もあった。


 猫との信頼度は増していると思えた。私の小さな友達に会えた日は、なんだか幸せだった。


 そして、ある日の事だ。いつもの挨拶のあと、じっと猫の瞳が見上げている。


 いいの? 問いかけるように猫に近づいて手を伸ばす。そっと小さな頭を撫でてみた。


 それから、柔らかな顎下を擽る。猫は、ゴロゴロと喉をならして頭を手に擦り寄せてきた。更に、猫は塀から降りて、にゃーにゃー甘え鳴きをしながら、足もとに擦り寄ってきた。


 う、嬉しい。泣きそうだ …… !


 私は、座り込んで柔らかな毛並みの背中を撫で、軟らかな身体を堪能した。


 相棒に、報告すると、ずいぶんと驚いていた。そして、生ぬるい目をして、その場にいる者達と何やらこそこそ話していた。解せぬ!


 猫教の女官にも、教えたいと言ったら、彼女は随分前に結婚退職して遠方にいるそうだ。結婚おめでとう! 猫愛教の教祖様に報告出来ず、残念だ。


 それから、猫とは親交を深めていき、なんと抱っこも出来るようになった。膝に乗せて背中を撫でていると、いつまでもこうしていたくなる。 …… 幸せだ。


 私は、飼い主ではないので、食べ物は絶対にあげない。だって、私より、私があげる食べ物の方が好きになったら、悲しくなる。

 相棒にその事を話したら、涙を流して大爆笑された。何故だ?!



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 余の文官の一人は、猫の獣人だ。彼は、茶褐色の髪と琥珀色の瞳をした優しげな風貌の好青年だった。彼は、いつも三角帽子を目深に被り獣の耳を隠していた。

 それは、多くの人間族は、獣人を嫌っているからだ。忌々しいことに、国によっては、獣人を奴隷として従属させたり、迫害の対象としていた。

 しかし、ファルザルク王国は例外で、才あらば種族は問わず立身出世が望めた。彼は優秀な文官で、誠実な仕事ぶりが認められて、国王執務室付き政務官となった。余の政務官は、他国の人間に謁見等の外交で会う事が多いのだ。彼が獣人である事を隠すのは、理不尽で不愉快な視線や余計な軋轢を避ける為でもあった。


 そんな彼の息抜きは、昼休みに猫の姿で昼寝をする事だった。大人の男が、どうしてあんな小さな猫の姿になれるのか不思議だった。しかし、身近に美しい女性の姿から、巨大な竜になる竜族がいるのだから、そういうものなんだろう。

 ヴェルメイアは、余の契約竜だ。余の竜騎士団の団長としての職務は名ばかりで、実務は副団長が務めていた。しかし、彼女は律儀に他の契約竜達の訓練に付き合うために、お昼過ぎには竜騎士団のある官舎へ通っていた。

 それ以外の時間、彼女は国王である余の傍にいて、いつもだらだらしていた。しかし、余と身辺の者達を、幾度も暗殺者の危機から護ってくれた。


 そんな、最強の竜族に猫の獣人が片思いをしている事は、周知の事実だった。あいつは、三年間、いったい何をしていたんだか …… 。

 それから、竜族の女性と茶褐色の猫が、裏道の塀の上で仲良く昼寝をする姿を、王宮の回廊からよく目撃した。

 彼女が、猫と挨拶がわりにキスをして、一緒に風呂に入り、ベッドで眠ったと話した時は、思わず頭を抱えた。


 彼女が真実を知り、羞恥に絶叫するのは、それからもう少しだけ後の事だった …… 。




 彼女は、契約竜となる時、こう言っていた。


『私は、猫になりたい。猫の様に、三食昼寝付きの贅沢三昧の日々を過ごすのだ!』






お読みいただき、ありがとうございます。

改稿前『魔霧の森の魔女』の初回掲載日が2016年 05月28日の同題名閑話を、発掘して改稿して短編投稿した、完全リサイクル作品です。


『私のかわいそうな王子様』に、二人の息子が

ちらっと出てます。(宣伝?笑)


『三年目の猫』は作者の実体験から書いています。ご近所様の飼い猫様は、私が撫でるとゴロゴロ、にゃーにゃーいってます。

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