たぶんぼー④ー3
小学生の頃は道着のまま通っていたんだけど、今は着替えてから帰るようにしている。
更衣室でへたり込んでいる数名を残し、皆一礼して三々五々に散っていった。おっさん連中の中には、これからどこかへ寄っていく人もいるらしい。留美子の姿を探すと、彼女は下駄箱のところで、他校の数名とお喋りの最中だった。
僕と彼女の家は同じ方角(お隣さんなので当たり前だが)なので、だいたいは一緒に帰っている。しかし、元々僕たちの間にそんな約束はない。
うちの父ちゃんは、
「暗い夜道で留美子ちゃんを独りにして、何かあったらお前はどうするつもりなんだ」と言うが、僕は漠然と彼女なら大丈夫だと思っていた。実際に何かがあったこともない。
いちおう、ちらりと目で合図を送ったつもりで、僕は先に帰宅した。
風呂から上がって、ようやく晩飯にありつける。リビングでテレビを観て、そろそろ父ちゃんが帰ってくるかなという頃に、書庫へ寄って漫画を数冊選び、二階の自室へ上がる。
ちなみに我が家でいう書庫とは、漫画本とDVDの保管部屋のこと。うちの母ちゃんが、自他共に認めるアニメオタクなので、八畳の部屋を丸々それだけのために潰しているのだ。
自室の電灯を点けて、本を置く。漫画を読み始めてしばらくすると、部屋の窓ガラスがボンッと鳴った。
じつに面倒くさいが、僕は立ち上がってカーテンを開いた。
見ると、留美子がリールのハンドルをせっせと回して、凧糸を回収しているところだった。その凧糸の先にはボールが括りつけてある。携帯電話を買ってもらえない、僕たちの呼び出しアイテムだ。
僕は窓を開けて「なんだよ」と応答した。
「新一、ちょっとあんた、なに一人で先に帰ってんのよ! ――まぁいいわ。今からそっちへ行くから、もうちょっと窓開けて」
彼女はそれだけ言うと、二つ折りの脚立を梯子にして、ニョキッと伸ばしてくる。
ここは二階で、お互いの部屋までは二メートル四十センチほどの距離があった。いくら身のこなしに自信があるといっても、かなり危険だ。
安定しているから大丈夫だって。
いやいや、窓枠が痛むだろ。
何度そう訴えても、彼女は邪魔くさがって、いつもこの方法で渡ってくる。しっかりと固定できるような設備を考えてみるか……。駄目だ。それだと、こっちが渡って来てほしいみたいに思われてしまうかもしれない。
そうして、梯子を回収するのはいつも僕の役目だ。髪が乾ききっていなくて、外の風が冷たく感じた。
留美子は僕の部屋へ来ると、まずミニ冷温庫(商店街の福引で当たった)から無許可で缶コーヒーを取る。それから、僕が読もうとしている漫画を横取りする。そして、フローリングに直置きしたマットレスに横たわる。
どう考えても、寛ぎすぎだろう。
僕たちは漫画をパラパラと捲っていた。この部屋にはオーディオやテレビがない。沈黙は、そのまま静寂となる。
「三巻は?」
「まだ、読んでる」
「もぉ! (読むのが)遅い」
もっとじっくり、一コマずつ噛みしめるように読め、と僕は口にしない。遺伝よね、などと言われたくないからだ。
「ねえ、なんか喋ってよ」
そっちに用があるから来たんじゃないのかよ。
「あぁ今日、何回怒られた?」
「その話、パス」
パスって、なんじゃいオラァ!
「あぁ館長、相変わらず臭かった?」
「うん。口呼吸だけでなんとか耐えた。はい、次」
お前なぁ……。
「あぁ――それで、返事はどうするんだよ」
「何の?」
「何のって、しらばっくれんなよ。北里のことに決まってんだろ」
「ああ、それのこと」
言って、留美子は大きな目で僕をギロリと睨んだ。鼻をフンと鳴らして続ける。
「北里先輩、かっこいいし、背ぇ高いし、スポーツマンだし、優しそうだし、悩みどころよね」
「でも、三年だし、もうすぐ受験だろ? あの人も忙しいんじゃねえの?」
「向こうから告ってきたんだよ。だったら、忙しくはないんじゃないの? それに真弓が言ってたんだけど、北里先輩って、スポーツ特待生で推薦がほぼ決まってるんだってさ」
「あ、そう」
留美子はわざわざ声に出して、大きな溜息をついた。
「まあいいわ。漫画貸りていくね」
「これは今読んでんだから嫌。下から違うの持っていけよ」
チッ!
あ、舌打ちしやがったか、この野郎……。
留美子は缶コーヒーを飲み残して、階段下りていった。
「おばちゃーん、漫画貸してぇ」
「あら留美子ちゃん、来てたの?」
彼女は脚立を置き去りにして、おそらく勝手にうちのサンダルをパクって帰っていった。
そして次の日――留美子は、北里にOKと返事をした。