表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/15

たぶんぼ―③

 留美子は窓を閉め、鍵までかけた。

 その横顔と唇が何かを呟いている。彼女は手櫛で忙しなく髪を整えると、耳へ掛け直した。

 明らかな異形でないかぎり、耳の形の善し悪しは判断できないし、それ単体に興味を抱く人は少ないだろうが、僕は他人の耳に注意がいってしまう。それは、僕の右耳の上部分が少しだけ欠けているから。インフェリオリティーコンプレックス……そこまでじゃない。少し気になる程度だ。

 この耳は、道場での稽古中、魔人のように強い奴と闘って……。


 あれは小学五年生のとき。二学期が始まってすぐの頃だった。

 勉強部屋にいた僕は、寝転んで漫画を読んでいた。そこへ、窓の向こうから留美子の呼ぶ声がする。

 立ち上がって見ると、向かいの窓から彼女が、ちょいちょいと手招きしていた。いつものことだ。

 網戸を開けて顔を突き出すと、彼女も同じようにして、言った。


「ちょっと相談っていうか、手伝ってほしいことがあるんだけど。今からすぐに出られる?」

 まったくもって嫌な予感しかしない。

「話くらいは聞くけど」

「じゃあ、ちょっと出掛けるから、支度して」

「聞くだけだって言ってんだろ。耳クソが詰まってんじゃねえの?」

「はいはい、詰まってていいから、早くして」


 渋々ながらも、付きあってやろうと思ったのは、ただ単に僕が暇だったから。それに、毎日外を駆けまわっていた、夏休みの癖が抜けていなかったのだと思う。


 僕は玄関の鍵を掛けて、周囲に留美子を探した。

 すぐ出掛けると言っといて、彼女のほうが遅いというのはどうだろう……。誰かに聞いてほしくて、僕は渾身の舌打ちをした。

 隣家へ迎えに行って、玄関のドアを開けると同時に留美子を呼んだ。


「おーい、ルミ! すぐに出掛けるんじゃねえのかよ」

「ごめん、ごめん」

 留美子は一メートルの竹尺を手にして、すぐ脇の和室から出てきた。

「なにそれ?」

「あとで説明する」

 そこへ留美子の母親が、台所から手を拭いながらやって来た。

 留美子のおばちゃんは、いつも優しい。顔が似ていなければ、とても彼女の母親だと信じられないほどだ。それを留美子に言うと「う~ん、まぁね」と濁す。何が不満なんだ。


「おばちゃん、こんちは」と僕。

「あんたたち、すぐに出掛けるの? アイスクリームを作ったんだけど、食べてからにしたら?」

 おぉ、アイス!

「あとでいい。三十分くらいで戻るから」

 僕はぎろりと留美子を睨んだ。なによ、と彼女は竹尺で僕の胸を突く。

 男だって、ピンポイントで乳首を突かれたら痛いのだ。たとえば逆に、僕が留美子の胸を突いたなら、マグマのごとく怒りだすくせに……。

 まったく、世の中は男女差別に溺れている。



 僕は留美子の家の自転車を漕いだ。用が済めばアイスが待っている。となれば、この暑さも前フリのようなものだ。

 後ろの荷台で横乗りになった彼女は言った。

「ねえ、学校の向こうにあるゴミ屋敷って知ってる?」

「ああ、あのくっさい家だろ。テレビに出てくるようなのよりは全然マシだけど、夏場にあの家の前は通りたくないよな」

「そこに用があるのよ」

 はあ? と驚いた僕を逃がすまいとしたのか、腰へ回された腕に力が入るのを感じた。

 僕はちらりと後方から車が来ていないことを確認すると、Uターンした。竹尺でぴしゃりと頭を叩かれて、またUターン。小さく一周しただけだ。

「聞いてよ」と言って留美子は続けた。


 それによると、彼女の友達の妹が、その家で飼われている大きな犬に吠えたてられたそうだ。その子が驚いて飛び退ったところへ運悪くトラックが通過して、事故になった。狭い路地だったので、トラックのスピードが出ていなかったため、コツンッくらいで済んだらしいが、そのときに妹ちゃんは転倒して、顔に擦り傷を負った、という話だった――。


「ね、(むごたら)しいでしょ?」

「ふ~ん、そりゃ災難。で、それでどうしようって……」と言って、口をつぐんだ。なんとなく留美子がやろうとしていることがわかったからだ。

「だから、あの馬鹿犬に仕返し……教育してやるのよ」

 やっぱりかぁ……。

 留美子の計画は、犬が眠っている隙にそっと近づいて、頭を叩いて逃げる、という穴だらけで杜撰(ずさん)なものだった。

「ぎゃっひーん、て言わせてやるのよ!」


 僕たちはもう五年生だ。そんなのは低学年の男子児童の発想だろ? 女子のほうが精神的に大人だという噂は嘘だったようだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ