たぶんぼー⑥ー3
しばらく何もできずに放心していたのち、僕はおもむろにジャージを履いて、ポータブルプレイヤーを片しにかかった。専用のケースにちゃんと入れて、学校へ持っていくのを忘れないよう、DVDと揃えて机の上に置いた。
部屋の戸口に立つ人から見ると、僕の寝床であるマットレスは縦に配置されていた。そこへ枕を戸のほうに置いて寝ているのだ。だから彼女からは、角度的にいって僕の頭頂部が見えたことになる。留美子と正対したわけじゃない。
ただ、それには高低差が加味されていない。つまりは丸見えだったということで、それは何度考え直しても変わることはない。
以前に友達から聞いた話の中に、ハッスルタイム中に母親が突然入ってきて、大事になった、というのがあった。そいつはその後、五日間母親と目を合わさずに過ごしたという。
それを聞いて、自分も注意しよう、と肝に銘じた奴もいたのかもしれないけれど、僕はというと、そのときは一緒に聞いていた奴らと大笑いしただけだった。
終わった――と思った。
そこに主語はない。ただ、終わったと呟いた。もしも羞恥と喪失で棒グラフを作ったなら、今の僕のほうが断然高い数値を記録することだろう。家の貯金通帳と印鑑を持ち出して、今すぐ家出して、東京へ行って、心に闇を抱えて生きていくようなバーテンダーになりたい気分だった。
僕は部屋の電灯を保安球にした。今夜は真っ暗にする気になれなかった。
留美子との関係修復期間に五日、十日……。僕自身の内側のこととなると、もっとか。いや、そもそも忘れられる日が来るんだろうか。
思考を巡らせると、恥ずかしさが横穴からにじみ出てくるようにぶり返した。
試合前によくやった緊張を和らげる呼吸法と、柔法の型にしばしの逃げをうち、薄暗い部屋の向こうにボヤッと浮かぶ田中を手刀で突く。後悔の息吹が喉から力なく漏れ出て、僕はマットレスに崩れ落ちてからもんどりうった。きっと今夜は悪夢にうなされる。
そこへ間の抜けたノック音。たぶん彼女だ。保安球の脆弱な灯りの中で、僕はタオルケットで頭までをすっぽりと覆った。
この部屋の戸には鍵が付いていなかった。返事がない場合の行動は、その人のモラルに依拠する。だから留美子は開ける。
「もう終わった?」
なんと、デリカシーの欠片もない。さすがはルミだ。
留美子は部屋にそろりと入ってきて、僕の横に腰を下ろした。
彼女の思いは理解できる。後腐れなく、この場限りにしたいんだ。でも、今はそっとしておいてくれないだろうか……。
「一人だとなにかと物騒だから、こっちに来たらって、おばちゃんが呼びに来たのよね」
僕は返事をしなかった。
留美子のこれ見よがしなため息が聞こえた。
「あのさぁ、べつにどうでもいいわよ。男の子って皆んなするんでしょ?」
こっちにとっては、どうでもよくないし、もうそれを口にするなよ……。
無言で寝返りを打ち、彼女に背を向けた。出ていけ、と怒鳴れば、気の強い彼女は言い返す。ここは黙って堪えるしかない。
留美子は「もお!」と少し大きく言って、僕の肩に手を掛けた。
タオルケットを引っ剥がされると思った。こっちも全然気にしてない素振りで、変顔で迎撃するか、それとも……。
留美子は僕の頭部を雑に挟んで、何かを押しつけてきた。
――ぼ、僕たちはキスをしているのか?
布越しなのでよくわからない。そうだとしたら、唇の位置が少しズレているし、それでなくても鼻梁が圧迫されて痛苦しい。
「仕方ないなぁ。長い付き合いだし、新一だったらいいわよ」
そんな理由があるのだろうか……。
僕は驚いて、タオルケットを徐々にズリ下げていった。目が出て、口が出た。スッと息を吸い込む。保安球の暗さと逆光で、彼女の表情は窺えない。
今度はちゃんとキスをした。
「なんでそうなるんだよ?」唇を離さずに訊いた。
「細かいことはいいじゃない」
そして、僕たちはぎこちなく弄りあった。
「コンドーさんは?」
その問いに、僕はどれだけ顔を歪めただろう。僕の所有物にそんなグッズはない。友達の中には財布に常備している奴もいるけれど、僕は持っていなかった。付きあっている彼女もいないのに用意なんてしていない。「ないと駄目か?」
「そりゃやっぱり……うん」
今から買いに行くのはあまりにももどかしい。あるとすれば両親の寝室だろうけど、この時間では無理だ。僕はタオルケットを身に纏った。すると意外や、小さな悲鳴を放った留美子が、それは置いていけ、と言う。
僕は素っ裸で抜き足差し足、一階へ下りていった。気温は高かったけど、パンツくらいは履いてくるべきだったと後悔した。
そして、二分ほどでキッチンから持ち帰ったのはクレラップ。食品包装以外の使用はするな、と明記してあったけれど大丈夫だろう。
留美子は心変わりすることなく待っていてくれた。僕の持続力も健在だ。さっそく巻き始める。彼女が嫌そうな表情で作業を見守っている。
「二重にしてよ。――もぉ、ちょっとかしてみて」
留美子が僕の股を割って入ってくる。彼女の髪や首元からはいい香りがした。男の性感をわからない彼女が、これが邪魔、それが邪魔、と大胆に部品を弄りたおしながら巻いていく。
「お、おい、そんなに締め付けるな」
と、言い終わったと同時くらいに、僕は暴発した。
えー、と留美子が言って、突然の静寂は訪れた。
しかし、ここで僕が気落ちしてはいけない。さっと片して、次弾装填準備にかかった。
が、留美子はマットレスから降りた。
今度は僕が驚く番だ。「おい……」と声をかける。
彼女は、う~ん、と唸ったまま、パジャマを着けて下着を手の中に丸めると、部屋を出ていった。
トイレかな? いや、わかっている……。留美子は帰ってこない。




