幕間8 帰ってきたジェノン フローラの想い
毎回お待たせして申し訳ありません。今回の話はジェノンの姉フローラ視点です。
マーク兄さんとジェノンがダリエ村から帰ってきた。私は朝早くから仕事で、出掛けていった二人に会えずじまいだったので、どうして二人がダリエ村に向かったか、その内容は知らなかったの。だからジェノンと二人で旅行なんてずるいわ、羨ましいわマーク兄さん、とそれだけを思っていたわ。
そんな私の浅はかさを笑うように、マーク兄さんは左腕を負傷し、ジェノンは他人が見れば分からないでしょうけど、生まれた時からジェノンを見ている私には、何かいつもと違う様子が手に取るようにわかる状態で帰ってきた。
何か思い詰めたような決意を持ったその雰囲気に、私はダリエ村で何かあったのだろうと確信めいたものを感じざる得なかった。とりあえず私は、その件は後でまた問い詰めるからねと心に決め、今は怪我をしたマーク兄さんの左腕の話を聞くことにした。
とは言っても兄さんの左腕は、紅漆黒の外套の中に隠れていて見えなかった。でも負傷したと言ってるけど、兄さんはいつもと変わらない様子だし、たいした怪我でないだろうと予測していた私は、その左腕を実際に見て、驚愕で開いた口が塞がらなくなってしまった。
驚くのも当たり前じゃない!だって紅漆黒の外套に隠れていたその左腕は、肘辺りまで真っ白に変色していたのよ!兄さんが私のその呆然としている様を見て、「口、開いたままだよ」といつもの可愛いげのない表情で指摘してきたわ。私はそんなのいまどうでもいいですとばかりに兄さんを軽く睨むと、ううんと小さく咳払いをして気を取り直す。
この肌が白くなる症状、ひとつだけ心当たりがあるわ・・・それは亡者化よ。私は震える手で兄さんの左腕に触れる。あれ?以外に暖かい、亡者化しているなら、冷たいはずだけど・・・体温を感じるわね。体温があるということは、亡者化じゃない・・・でもこの白い手は・・・亡者化症状のはず。
「フローラさんの想像通り、これは亡者化症状です」
いままで静かに佇んでいた第二騎士団のメディーさんが、私が混乱と迷いを読み取ったのか、そうはっきりと断言した。メディーさんは、兄さんの状態を監視するため、同行してきたとのこと。
第二騎士団のメディーと言えば、突撃・白兵を主とし、勇猛果敢、苛烈で知られる第二騎士団に所属する、ファイマ領でも有名な女丈夫。学校でも彼女に憧れ、戦闘学科を選ぶ女性が多いと聞くわ。だけども初めて拝見したそのお人柄は、優しく温和、まさに正反対の印象だったので、凄く驚いちゃった。
「何故このままにしているの!早く【浄化】や聖水を使って解毒しなくちゃ!」
私は兄さんの亡者化を治すため、急いで自分の部屋にある聖水を取りに行こうと、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったのだけど、横にいたジェノンが行かせないとばかりに私の手を掴み、大きく首を横に振った。
「駄目なんだ、姉さん。兄さんのあの腕は聖水も【浄化】も効果がなかった・・・驚くことに【光照らす聖浄】でもね」
「えぇ!?そんなことってあるの?だって・・・じゃ・じゃあ兄さんは!」
【光照らす聖浄】は私が作る聖水より効果が高い。それで治らないのなら、もう兄さんは!!
「その心配はいりません。亡者化症状は止まっています。【宿魂の眼光】で確認しましたので、間違いありません」
私の想いを先読みしたのか、メディーさんがそう説明してくれた。メディーさんの声は、聞くだけで落ち着く甘く優しい声音だ。私はその声に冷静さを取り戻し、胸をなでおろすと、椅子に座り直し、更なる説明を聞くことにした。
「ではマーク殿がどうしてこうなったのか、説明させてもらいますね」
メディーさんが落ち着いた優しい声で、ダリエ村の顛末を話始めた。
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「・・・というわけです」
話を聞き終えた今でも信じがたい話の連続だった。これは私の理解の範疇を超えているわね。新型の亡者鬼、治らない亡者化症状、その上とんでもなく速い亡者化の進行速度、そしてその兄さんを助けるために腕を切り取ったアルバさん、繋がるはずのない腕が繋がったマーク兄さん、短い間になんと濃い内容なのかしら。
「もちろん、今ここで話したことは・・・わかってますね?」
メディーさんが口に人差し指をあてる。はい、わかってるわ、他言無用ってことでしょう。当事者の身内で、しかもあの父の身内だから、特別にお話してくれたのですね。
確かにこんな大それたこと、迂闊に吹聴して回るば、大変なことになるでしょうね。まあ私は誰にも話すつもりなんてないのですけど。いずれどこか折を見て、国から情報が降りてくるのでしょうね。
「というわけで、私の腕は今のところ、ただ小指が欠けて、色が白いだけだで、何も問題はない。心配かけてすまなかったね」
兄さん、物凄く頭がいいのに、玉に馬鹿になるわね・・・小指が欠けて真っ白になった腕よ、何で何も問題がないのよ?むしろ問題だらけじゃない。
「その言葉は買い物に行って留守にしている母さんと、仕事に行っている父さんにしてください」
途端にマーク兄さんが渋面した。人一倍家族思いなあの二人に、兄さんは一体なんて説明するつもりなのかしら?
「うーむ・・・よし!その話はまた後日にしよう。私はまだ片していない仕事があるのを思い出したので、急いで領主館に行かなければ!」
そう言うと兄さんはそそくさと椅子から立ち上がると、メディーさんを引き連れてさっさと行ってしまった・・・逃げたわね、あとがひどいわよ、兄さん。
兄さんとメディーさんが去り、居間には私とジェノンの二人が残った。いい機会だわ、私は先程の説明でジェノンにだけ聞きたいことが出来たから、この二人きりの状況は好都合だった。実は先程のメディーさんの説明で、納得していないというか、ある疑念を持ったの。これは私だから気付いたのかもしれないわね。
「ジェノン、ひとつ聞きたいことがあるの、いい?」
「えぇ、構いませんよ」
私は回り道はせず、いきなり確信をつくことにした。
「マーク兄さんを斬ったのは、本当にアルバさんなの?」
私の質問に、微かだがジェノンの双眸が揺れた。それを見て私は自分の考えが正しかったことを知った。
「やっぱりジェノンだったのね」
「・・・なぜ?そう思ったの?」
肺腑をえぐる私の言葉に、ジェノンは絞り出すように、口を開いた。苦しそうなジェノンの表情に、私は苦しめるためにそんなことを言ったのじゃないのよとばかりに、黙ってジェノンを抱き締めた。私の両胸に顔を挟まれたジェノンは、照れ臭いのか、恥ずかしそうに体を捩り、逃げようとパタパタ動いていたが、私は決してジェノンを離さなかった。
愛しい弟、可愛い弟、私の弟。
ジェノンを抱き締めながら、私は昔の事を思い出していた。10才になった私はその年、初潮を迎え、子供を産める体になった。とは言っても私自身、毎月の径血が不便だなと思うぐらいで、あまりそのことを深く考えたことはなかったの。だけれどもそれについて、深く考える機会は、私が思っているよりも早くやってきたわ。
その年にジェノンが産まれたの。母さん似の小さい、本当に小さい赤ん坊は、ぷくぷくとした手足を精一杯動かし、生命の輝きを放っていた。ジェノンを初めて抱っこした時の温かさに心和み、私の指先を小さい手で握ったとき、その力強さに驚き、初めて見せてくれた天使の笑顔に幸せを感じた。
なんて愛しいのだろう、子供という存在が、こんなにも私を幸せにしてくれるのかということを、そして子供を産むということが、とても尊いということを、私はジェノンで知ったわ。そしてその幸せはジェノンが大きくなっても、一向に枯れることはなく、さらに膨らんでいった。
初めて喋ったジェノン、よちよちと歩くジェノン、手に持った槍を嬉しそうに私に見せるジェノン、目を閉じると、そのひとつひとつの大事な煌めく思い出が鮮明に蘇ってくる。
そんな私だから、いつもジェノンを見てきた私だから、すぐに気づいたの。メディーさんの話で、アルバさんが兄さんの腕を切ったと言ったとき、一瞬だけどジェノンの瞳から光が消えたことを。私も見たことがないジェノンの暗い表情、それはまさに悔恨の情。
そんな顔を見せられて、私は大人しく引き下がったままではいられない。ジェノンの心を、痛みを癒してあげたい。抱き締めたまま、ジェノンの母さん譲りの柔らかな赤毛を、ゆっくりと包み込むように何度も何度も撫でる。
暫くするとジェノンが震える肩、震える声で、ポツポツと思いの丈を話し始めた。私は何を言うわけでなく、ただただ静かにジェノンの話を、心で受け止める。
やがて話終えたジェノンがゆっくりと顔を上げた。照れ臭いのが一目で分かる、バツの悪そうな顔だった。だけど、憑き物が落ちたような、清々しい顔になっていた。そうよ、ジェノンに暗い顔は似合わないわ、私はこっちのジェノンの方が大好きよ。
「姉さん、ありがとう。何かさっぱりしたよ」
「ふふふ、どういたしまして」
「あぁ、そうだ、姉さんにお願いがあるんだ」
「何かしら?」
私に抱かれたジェノンは少し強引に話を変えると、私から離れ、鞄から折り畳まれた手拭いを、大事そうに取り出した。ジェノンが離れ、冷えていく私の肌、もっと長く抱き締めたかったのに、凄く寂しい。
だけど今はジェノンのお願いをちゃんと聞かなくちゃ。ジェノンはそんな私の心情を知ってか知らずか、小さく大事に折り畳まれた手拭いを優しく開いていき、私に中身を見せると、もう一度ゆっくり手拭いを折り畳み、それごと私に差し出した。中身は白い小さな・・・指だと思う。
「指?」
「はい、兄さんの小指です。拾ってきました。僕は小指を防腐・保存する方法を知らないので、姉さんにお願いできないかと」
やっぱり指だった。先程見た真っ白な兄さんの小指、綺麗に洗ったのだろう、泥一つ付いていなかった。流石に欠けた指は、気持ち悪いと思ったのだけれども、それが兄さんの指だと思えば、不思議に気持ち悪いと感じなかった。
「分かったわ、兄さんの小指、大事に預かっておくね」
「お願いします」
ジェノンはこれで本当に心配事がなくなったのか、憂いのない笑顔を見せる。私はそんな元気になったジェノンをもっと喜ばしたくて、もうひとつ明るい話題をあげることにした。
「ジェノン、兄さんの左腕だけど、治す方法があるわ」
「本当ですか!?」
「えぇ、私が薬学士なのは知っているわね、身体回復ポーションには特級ポーション、所謂霊薬と言われるものがあるのだけれども、それなら兄さんの症状をきっと治せるわ。もちろん千切れた小指も再生するはずよ」
「そうか!動転して忘れていました、僕も聞いたことがあります」
伝説とまで言われた特級ポーション、その効能は伝説通りなら、どんな病気も怪我も癒し、欠損部位も再生する。実は私はその製造方法、それに必要な素材を知っているわ。私の薬学の師匠に教えてもらっていたの。ただその素材を集めるのも、製造法も半端なく難しいわ。でもきっとジェノンなら、きっと必要な素材を集めてくると信じている。私が話をするにつれて、ジェノンの瞳に希望の火が灯っていく。
「僕はきっとその素材を集めてくる、だから姉さん、その時はよろしく頼みます」
「任せなさい、必ず作ってみせるわ」
私も大変な約束をしちゃったわね。今の私では、霊薬を作る方法は知っていても、それを完成させる技術が足りないわ。でもジェノンが素材を集めてくるまでに、腕を磨いてきっとそれを手に入れて見せる。
マーク兄さんの症状、今は落ち着いているけれども、ずっとそのままだとも限らない、いつ再発するかわからないわ。それまでに私たちでマーク兄さんを助けるのよ。だって兄さんも私の大事な家族ですもの。
「マーク兄さん救出作戦よ。ジェノン、頑張りましょう」
「はい!姉さん!・・・ははは」
「あら、どうしたの?急に笑い出して」
「えっ、うん。どうも僕は姉さんには一生敵いそうにないやって思って」
それを聞いて、私は声をあげて笑う。それはそうよ、だって私は貴方の姉だもの。いくつになっても弟を守るのは姉の役目なのだから、弟が敵うわけないじゃない。
だからジェノン、これからもずっと私があなたを守ってあげるからね。
明日、次話を投稿する予定ですので、よろしくお付き合いお願いします。




