幕間7 マークの述懐
父ジルオールはルーガニア王国でも有名な生きた英雄である。30年前のアルガルド大陸全体を揺るがした魔物大恐慌と云われる魔物の大氾濫が起きた際、壊滅しかけたルーガニア王国を、今は亡き先王陛下や、グラン爺さんたちと獅子奮迅の働きによって救ったと云われている。国民の人口が半分になるほどの激戦で、生き残ってた者は、当時の状況を次代に伝え、決して魔物が氾濫しないよう、注意を促している。
その礎があって、今のルーガニアはその大恐慌の傷跡すら残っていないほど、大きく復興・繁栄を築いている。それは生き残った人たちが総力を挙げて国を人を守った結果であろう。平民であった父はその功績の結果、国より男爵に授爵され、ルーガニアの貴族になった。父は男爵といっても物凄い特殊な男爵で、正式名称は国家特別栄誉男爵という。土地や寄親・寄子を持たない代わりに、その位は公爵位と同等という破格の扱いだ。なぜ父がそんな特殊な爵位を得たかというと、大恐慌が終わり、その戦いで大活躍した父を自分の派閥に入れようとする貴族が後を絶たなくなり、そのことで嫌気が指した父が行方をくらまそうとし、父を失うという国の損失を防ぐために、国が慌てて作った爵位である。公爵と同等の位なので、父に命令出来る権利を持つのは王族だけになり、そこで貴族の取り合いはようやく収まった。
そんな偉大な父に憧れた6才年上の我が兄ダンテは、その名を継ぐべく私が物心ついた頃には、もう父に剣技を仕込まれていた。兄さんは学校に入学してすぐに同学年のみならず、その剣技で上級生とも互角の勝負をしていた。そして兄さんは特に指揮能力が高く、攻撃より守りに長けた集団戦術が得意であり、粘り強くどんな状況でも諦めない戦いをすることから不屈のダンテの異名を持つ。
兄さんの重責は私らより大きいに違いないと思う、何せあの英雄の長男なのだ、少々の功績では世間から認めてもらえないだろう。まあ世間が認めようと認めまいと父の男爵位は特別な爵位で1代限り、そのまま世襲は出来ない。父の後嗣であるダンテ兄さんは、国家特別栄誉と公爵格が無くなり、ただの男爵位となってそれを継ぐことになる。あの無駄に元気で逞しい敬愛する我が兄なら、騎士の正道を進み、いずれは男爵位を誰に憚ることなく継ぐだろうと私は信じている。
そんな私も父の英雄譚に憧れを抱き、幼き頃、剣を片手に練習をしたのだが、私にはまったくその手の才能がなかった。剣を振れば柄は手からすっぽ抜け、どこかに飛んでいくし、自分の剣で誤って何度も足を斬ってしまったこともある、といった具合にその結果は暗澹たるものだった。それでも少しは頑張ってみたのだが、私の体は私が思っている以上に鈍間だった。もともと私は争い事が苦手な性格もあり、父や兄と同じ道はそうそうに諦め、勉学の道に進むことにした。私は勉強は好きだし、本を読むのも好きだったのでこの道は武の道と違い、非常に歩きやすかった。
そして学校を卒業して成人になったころ、私は何をしていいかを悩み始めた。勉強はできるが、私にはそれだけだ、それが一体将来に何の役に立つのか?父や兄のように国のために家のために人のために戦えるわけじゃない。私は自分が勉学ができるだけの無才であることに日夜苛まれていた。そんな私の惨めな心を救い、希望の道を示してくれたのは、以外な人物だった。それは私の弟、ジェノンだった。
弟ジェノンはそれはもう、幼少時から奇妙奇天烈な子供だった。赤ん坊時代から泣かないし、3才になった頃には家の近所を1人で走り回っては倒れていた。5才になりグラン爺さんと初めて向き合ったときも、泣きもしなかった。私やダンテ兄さんなんて、グラン爺さんのあまりの巨大で異彩な迫力に、汚い話だが小便をちびるぐらい恐れ戦いた記憶がある。そのグラン爺さんの訓練は傍目で見ていても、過酷を極める。だがジェノンは倒れても倒れても立ち上がり、何度意識を失うことがあっても、その訓練を受け続けていた。
辛くないのか?と訊いてら、少しずつ強くなってくるのが日に日に分かるので楽しいですよ、と本当に嬉しそうな笑顔でそう返してきた。私からしてみれば何も変わっていないように見えたが、ジェノンにはそう感じていたのだろう。
そのジェノンが言う変化に私が気付いたのは、ジェノンが6~7才になった頃だった、動きに変化が現れたのだ。それはもう別人のように顕著な変化だった。元々運動の才能がない私が語るのもおこがましいのだが、その槍を突く動作は躍動感溢れ迫力が増し、体捌きは素人目に見ても無駄がなくなっていて、ほれぼれとするほど美しかった。幼少時から体力もなく、決して戦いの才能があると思えなかったジェノンだが、きっと並々ならぬ修練の賜物なのだろう、その努力という花は蕾から見事に花開いていた。
それからも慢心すること無く、ジェノンは現在に至っても、己を鍛え続けている。最近グラン爺さんとやっている訓練なんて、完全に常軌を逸している。打ち合いで棍棒と棍棒の先端を合わせるなんて、何度説明してもらっても現実にその目で確認しても、出来るとは思えない。私はこれでまだ初級なんですよーって朗らかに笑う、遥か高みに上ってしまった弟を、呆然と見詰めるしかなかった。
とまあジェノンは凄い男なのだが、とにかく変わった子でもある。普通8才になるとみながみな、揃ったように学校に入学するのだが、ジェノンは入学しなかった。1人友人も作らず、黙々と小太刀や槍を振るい続けていた。ジェノンは協調性がないわけでもなく、勉強が嫌いなわけでなく、頭が悪いわけでない。むしろその反対で非常に聡明で本が好きで調和的だ。ジェノンはよく私の部屋にある本を読んでいるが、当初私は弟がそれを理解できているとは思っていなかった。だがジェノンはそのすべてを理解していた。どう考えても子供が理解できる内容でないものがほとんどなのだが、当たり前のように理解できてしまう。その規格外の能力は、まだ幼いながらも、父や兄以上に英雄の資質を感じさせる。
私はそんなジェノンの眩い才能が羨ましくて、恥ずかしながらまだ子供の弟相手に愚痴を言ってしまった。もう数年前の出来事なのに、そのことを昨日のように思い出す。
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「ジェノン、私は君が羨ましい。君は武の道でも勉学の道を目指しても、一廉の人物になるだろう。その点私は勉強が出来るというだけの凡才だ。今も成人したが何をしていいのかすらわからない。」
「マーク兄さんは何になりたかったのですか?」
「私?そうだな、子供の頃は父のように英雄になりたかった。ダンテ兄さんのように強い騎士になって、立派な国を守る人にもなりたかった。だが私には戦いの才能なんてまったくなかったんだよ。それでやることもなく得意な勉強をしていただけだ。」
「そうなのですか?今でもその想いは変わってないのですか?」
私はジェノンの質問に考える、心の内を問うてみる。
「あぁ、本質的なところは変わってないと思う、私も父や兄の同じように国を守りたいと思っている。」
「なら、そうすればいいんですよ。」
「簡単に言ってくれるな。それが出来ないから悩んでいるのだよ。」
ジェノンの当たり前ですというような返答に苛立ちを隠しきれない。私に父や兄や弟ほどの才能があれば、こんなに悩みはしなかった。
「兄さん、戦いに必要なものは何だと思いますか?」
そんな私の苛立ちなど、まるっきり気にしない様子のジェノンは言葉を重ねてくる。必要なものか・・。
「それは兄や父のような武力や、王家が持っているような圧倒的な魔法だろう。」
そうだ、まさに英雄のごとき力があれば敵を一網打尽に出来る、圧倒的な破壊魔法が使えれば、敵を葬り去ることなぞ造作ないことだ。
「僕は違うと思います、英雄がいても人数差には勝てません。いくら英雄が強かろうとも敵が何十倍何百倍もの大軍であったなら、局所的に勝つことは出来ても、大局的には勝つなんてことは出来ないでしょう。魔法だって、そんな威力の高い魔法を何発も打てるはずがありません。」
ジェノンは私の言葉を間、髪を容れずに否定した。私はジェノンの言うことを考える、なるほど戦いは数か、昔読んだ軍学書にもそう書いてあったな、それは道理至極であり、単純明快な話だ。
「兄さんは自分に武の才能がないばかりにそれに憧れ囚われ、視野狭窄に陥っているのですよ。だからそんな簡単なことですら気付けないのです。」
何とも情けない話だ、まったくもってジェノンの言うとおりだ、私は深くため息を吐く。
「だとするなら、兄さんは兄さんの出来る戦いをすればいい。兄さんは学校でも秀才と云われるぐらい頭がいい。僕は戦いに勝つには数だと言いましたが、数を揃えるにはお金がいります、騎馬もいるでしょう、その分、人も馬も食事が要ります。もちろん、薬も道具も揃える必要があるでしょう。じゃあそれはだれが工面するのですか?」
さらにジェノンは言葉を続ける。私は弟が言わんとすることが解った。それは確かに戦い一辺倒の人間には出来ないことかも知れない。
「内政・・・か。」
私の答えに満足したのだろう、ジェノンがニコリと笑う。
「はい、兄さんは戦いを後方から支援する人になればいいと思います。施策や税金を見直す、新たに土地を開墾する、流通販路を広げる、特産物を増やす、外交を行う、そうやって内需や外需で国の財政を豊かにすることは、この国を守るために必要なことだと思いませんか。お金は大きな力になる、時に戦争を興し、時に戦争を止めることにも使えます。きっと父さんやダンテ兄さんのように表立った活躍は出来ないでしょう、ですが英雄以上に人を助けることが国を守ることが出来るはずです、これも絶対に必要な戦いだと僕は思います。」
私は今度こそ迷いが霧消した。そうだ、私は何を勉強していたのだろう、何を嘆いていたのだろう。やれることは沢山あった、私はただ自分の情けなさから、考えることを放棄して、勉学に逃げていただけだった。
「済まない、ジェノン。私は自分が恥ずかしい。弟にここまで言われないと自分で気付かないとは。そして、ありがとう、私はこれから私の戦いを始めようと思う。」
「はい、兄さん。僕は楽しみにしています。兄さんの手でこの国がもっと素晴らしくなることを。」
政治は戦いだ、ある意味殴りあいの争いよりも厳しいことが多い。陰湿で冷酷で陰謀や暗殺、足の引っ張りあいなど日常茶飯事、そこに武人同士のある意味爽やかさを感じる戦いなど存在しない。だが私はあえてこの戦場に身を置こうと思う。私の全知全霊を注いで戦おう。
「ジェノン、君は将来、何を目指す?」
「僕は自由に生きたいと思います、誰にも縛られることなく、雲のように旅がしたい。各地を巡って美味しいものを食べて、色々な人たちに出会いたい。友達も作りたいし、恋人も作ってみたい。そしてアルガルド大陸すべてを踏破して、全てをこの目に焼き付けたい。」
爛々と瞳を輝かせながら、夢を語るジェノン。アルガルド大陸全てか、何とも壮大な夢だな、それはきっと果てしない困難が待っているだろう。だが私は迷い無く踏み込んで、立ち向かい乗り越えていく弟の勇姿が脳裏に浮かんだ。自分の表情がほころんでいくのを感じる。
「そうか、なんとも君らしい答えだと私は思う、だがいつかはこのファイマにも帰ってくるのだろう?」
「僕の愛すべき故郷はここだけですからね、旅の途中で疲れたら、また帰ってきますよ、きっと。」
「そうしてくれ、出ないとフローラが爆発してしまうぞ。」
フローラと聞いて、途端にジェノンの表情が渋面に変貌する。あの弟を愛しすぎる妹を説得するのが、夢へと目指す第1の試練になりそうだ。立場が逆転したように、私は笑顔でジェノンは渋面。
「マーク兄さん、今日のことは貸し1つです、だから僕が将来家を出るときは必ず助けてください。」
切々と弟が訴えてくる。気持ちは解るが、そんなことをしてみろ、残された私は妹に毒殺されてしまうかもしれない。
「さて・・と、私はもう行かないと。領主館で採用試験があるからね、それに合格してまずはファイマの内政から手につけよう。」
話は終わったとばかりに、私はスタスタとジェノンから離れていく。後ろから裏切り者~~!という声が聞こえるが、弟よ、これが政治というやつのだよ。悪く思わないでくれ。
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あの時の理知的で澄んだ瞳も、最後のなんとも情けない表情も、本当に昨日のように思い出す。一体私の弟は何者なのだろうか?まだ子供なのに大人以上に博識で冷静、そしてすでに屈強な大人でも敵わない強さをあわせ持つ、きっと神童とはジェノンのことを指す言葉だろう。しかしダンテ兄さんといい、ジェノンといい、いやはや私の兄弟たちは本当に異才揃いだ。
そんな私は彼らと違って凡人である。だがそれがなんだというのだ、世の中には凡人にしか出来ないことがあるはずだ。なら私は凡人の中で一番を目指そう。私はもう自分をあきらめたりはしない。
その後、私は領主館の採用試験に難無く合格し、あの日から生まれ変わったように、冷静でありながら、心に情熱を秘め、ファイマ領が更なる発展をするよう、父や兄たちを影から支えるために尽力に努め始めた。
ところでそんな私を導いてくれたジェノンだが、最近は家で小太刀をゆっくり引き抜いては、鞘に戻すという作業を、何度も飽きることなく繰り返している。あれは何か意味のあることなのだろうか?私にはさっぱり理解できない。天才というやつは、いつだって常人には理解不能だということを改めて思い知った。
ただジェノンよ、兄として忠告するが、家で小太刀を振り回すのは止めといた方がいい、絶対に母から大目玉を食らうぞ。
お読みいただき、ありがとうございましたm(__)m




