幕間5〈守護の指先〉と古の森とジェノン
みなさま、新年あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
俺たち〈守護の指先〉が古の森に足を踏み入れるのは、これで4度目になる。ルーガニアのファイマ領にその昔から存在する帰らずの森とも恐れられている古の森は、俺たちルーガニア国民にとっては国を豊かにする天然素材の宝庫でもあるが、幾人のも命を奪っていった恐怖の対象でもある。かく言う俺もだが、入ってみるまでは、その森の存在に恐れおののいていた。だが、入ってみたらなんてこともない、ごくありふれた普通の森だった。
「古の森っつったって、別に怖くもなんともないなぁ。」
殿を歩いている俺にだろうか、陽気な声をあげたのは、学生時代からの親友のギークだ。俺たちは15才で王都の学校を卒業した後、そのまま冒険者になった。俺とギークの親は王都の貴族だが、お互いに長男でなかったため、家も継げなかった。我が国の法律では成人になる18才まで、親が子の面倒を見ることになっているが、我が家は貴族と言っても名前だけの貧乏貴族であったので、家に迷惑をかけるわけにもいかず、自分の食い扶持を稼ぐため、手っ取り早く収入の得ることが出来る冒険者の道を選んだ。ギークも俺と似たような理由で冒険者を選んだようだ。
「こーら、そんなこと言わない。古の森の恐ろしさは、家や学校、冒険者ギルドでも何回も聞いたでしょ。」
周囲を確認しながら先頭を歩いているサーラが、ギークの声を聞いて、後ろを振り返らずに注意を促す。しかしその足取りはいつもより軽い。サーラも心情ではそう思っているのだろう。彼女は王都の北にあるロイド領、そこのグルコス平原出身の猟師の娘だ。父親の狩猟を小さいときから手伝っていたので、獲物を見つけたり、捕らえるのがとても上手い。気配にも敏感で俺たち〈守護の指先〉の斥候と遊撃を担当している。サーラはまだ幼い弟・妹が多いので、家計を助けるため、ロイド領の学校を卒業した後、すぐに王都に出てきて冒険者になった。
その王都に出てきたばかりのサーラを俺たち〈守護の指先〉に誘ったのが、俺の横を歩いているリティアだ。彼女はごく普通の平民の出だが、聖属性の素質があり、この〈守護の指先〉の回復担当だ。この聖属性の素質を持っているものは少なく、怪我を治したり解毒が出来る貴重な人材なので、大抵は国か教会に保護されるのだが、リティアは魔力量が通常の人より少ないという欠点を持っていたので、国に保護されることなく、学校で同級だった俺とギークに付き合って冒険者になった。魔力が少ないといっても部隊に回復役がいるといないとでは、安定感がまったく違う。リティアが俺たちの生命線でもあるのは間違いない。
この部隊名〈守護の指先〉だが、ルーガニアの英雄、守護騎士ジルオール・レイヴァン様の強さに少しでも近づきたい、指先ぐらいの強さでもいいと憧れて俺が考えて命名した。ルーガニアっ子であの方に憧れない人はいないといっていいほどの英雄なのだ。実際俺たち以外にも守護が着いた部隊名は結構あって、その人気ぶりがよくわかる。
ギークはルーガニアのもう1人の英雄、必滅剛槍のグラン様の方が好きらしいが、俺は断然ジルオール様派だ。どっちが強いかとかでよく揉めてしまうが、きっとジルオール様の方が強いに違いない。
冒険者ギルドではまず見習いから始まって初級、中級、上級と依頼と試験をこなす度に階位が上がっていく。その内訳も細かくて級の中に1~5まであり、見習いを終えると初級1になり、何度か依頼成功するごとに2・3と上がっていき、初級5になると中級試験を受けられる。そして俺たちが冒険者となって1年が経とうとした頃、その中級試験に晴れて合格、ようやく中級の仲間入りを果たし、直ぐに俺たちはファイマ領にやってきた。目的は古の森だ。
古の森は高級素材が数多く存在していて、冒険者としての実入りがとてもいい場所なのだが、魔物も多く生息していて危険度も増すので、中級にならないと入ることを許可されない。だがその危険な魔物も、倒すことが出来れば、魂石を手に入れられ、これもギルドで買い取ってもらえるので、初級と違って稼ぎが格段に良くなる。
古の森での活動は順調だった。3度の冒険で初級の10倍以上の稼ぎを得ることができ、おかげでみなも古くなった装備を新調することが出来た、魔物にも遭遇したが、俺たちの敵ではなかった。いつしか俺たちは自分達の実力を過信し、順調すぎるゆえに有頂天になっていた。あれほど学校や冒険者ギルドでも古の森の恐ろしさについて注意されていたのに、その時が来るまでは完全に失念してしまっていた。
古の森の挑戦も4度目になり、今まで順調にいっていた俺たちは気が抜けてしまっていた。浅い層なら俺たちの実力で倒せない魔物なんていない、何度も魔物を屠っていた俺たちはそう思っていた。
運よく高級食材の紅サンガダケという茸を見つけた俺たちは、他の部隊に見つかるより先に全て採取してしまおうと全員でそれをもぎ取っていた。いつもならこんなときでも、必ず2人は見張りにつけるのだが、増長していた俺たちはそんな基本のことさえも守らなかったのだ。そしてそのときはやってきた。
ガコォォォン!!
切り株から紅サンガダケを採取していた俺は、物凄い金属音がしたのであわてて起き上がり振り向いた。振り向いた先で見たのは、あり得ない速度で吹っ飛ばされ、地面を転がっていくギークの姿だった。俺は衝撃の光景に一瞬で頭が真っ白になった。一体ギークに何が起こった!慌ててギークに近寄ろうとしたのだが、黒い大きな固まりが視界に入り、俺の足は止まってしまった。
赤く禍々しく輝く4つの目、太く鋭い爪に丸太のような四肢、体長は4mは超えるだろう、いままで倒した魔物と明らかに一線を画する迫力、その全身から発する殺気に押され、俺の足は恐怖からか前に進まなくなる。なんだ、コイツは。
「4つ目熊・・・」
リティアの小さな呟きが俺の耳に入る。そうだ!4つの目!俺はそうとう気が動転していたらしい。あんな4つ目の分かりやすい特徴を見ても思い出せないくらいに。古の森に来たばかりの中級者がもっとも気を付けなければならないと言われている、中級者殺しの異名を持つ浅い層で最強の魔物、コイツがそうか。俺は逃げ出したいのを我慢して、精一杯の虚勢を張り、剣を引き抜く。ジルオール様に憧れて使い始めたバスタードソードだ。
「サーラ、弓で援護を!リティアは後ろに下がれ!!」
「でも、クリス、このままじゃギークが!」
俺はギークに近づこうとするリティアを止める、回復魔法を使うつもりなのだろうが、倒れているギークのすぐ後ろに4つ目熊がいる。すぐにでも助けてやりたいが、4つ目熊をどうにかしない限り無理だ。
俺は柄を両手で握りしめ、ヤツ目掛けてバスタードソードを振り上げ、叩きつけるように思いっきり降り下ろす。
ガン! カン!
信じられないことにバスタードソードはヤツの体毛に弾かれ、援護で飛んで来た矢も刺さることなく弾き返されてしまった。今の一撃で俺の両手に痺れが走る。なんて固さだ!俺は諦めず何回も斬りかかり、サーラも何度も矢を放つが、ヤツに傷1つ負わせることが出来なかった。
ガアァァァアァァ!!!!
4つ目熊が咆哮をあげながら、俺に向かってその太く鋭い爪で殴りかかってくる、俺は慌てて後退、顔面を巨大な黒の固まりが通りすぎていく。心臓がドクドクといままで感じたことがないぐらい激しく鼓動する、あれに当たっていたら、一撃で顔と胴体が離れて俺は死んでいただろうと思うと、全身から冷や汗が止まらない。
たったひと振りの攻撃、それだけで俺の心は完全に折られてしまった。無理だ、コイツには勝てない。
俺たちが攻撃してこないことに満足したのか、4つ目熊は大きな口を開け、俺たちの目の前でギークにその牙を突き立てようとしていた。このままではギークは食われてしまうと分かっていても、俺はどうすることも出来ず、ただ震える体でその光景を見ているだけだった。
その時だった。
ブン!!
風を切り裂く音がしたかと思うと、銀色の光が飛来し、その銀色の光は一直線に4つ目熊の左肩に吸い込まれるように刺さった。あれだけ俺が攻撃しても傷1つつけられなかった体毛に深々と刺さった銀色の光、左肩に刺さったままビィィィンと音鳴りのするそいつの正体は、飾り気のない1本の武骨な槍だった。突然の出来事に誰もが呆然としている中、その槍に遅れること刹那、俺の横を赤い風が通りすぎていった。
赤い風と感じたそれは人だった、目の覚めるような赤髪、背は低く、腰には短い剣を差している。赤髪の人は4つ目熊に目にも止まらない速さで接近、勢いを止めることなく4つ目熊の脇を通り抜け振り向き、そしてまた一瞬近寄ったと思ったら、すぐに後ろに跳躍して4つ目熊から距離を取る、そこで赤髪は動きを止めた。あまりの目まぐるしい動きに、俺の目では何が起こったのかほとんどわからなかった。
ようやく動きを止めた赤髪を見て、俺は人生で一番驚愕したと思う。そこにいたのは年端のいかない少年だった。まだ幼さの残る少年があの4つ目熊と戦っているのだ!
見ると4つ目熊の右脇と背中に傷が出来ている。俺には見えなかったが、少年が斬ったのだろう。いつのまにやら、少年の右手には短剣が握られていた。俺には少年がいつ短剣を抜いたかすらわからなかった。
4つ目熊と少年の距離が少しずつ縮まっていく、それに伴って緊張感が増し、空気が張りつめていく。少年が臆することなく4つ目熊に突っ込み跳躍した。4つ目熊がそれに合わせて右腕を振り上げ殴りかかかる。
駄目だ!!
ギークのように吹っ飛んでいく少年を想像して、俺の背筋は凍りついた。だがそんな俺の絶望の予想を上回り、どうやったかはわからないが、4つ目熊の背中に張り付いていた少年。そして少年はヤツの顔面に短剣を突き刺した。そこで雌雄は決した、1度大きく脈動した後、4つ目熊がそのまま崩れ落ちる。
まるで伝説のごとき戦いを見ているかの様だった。先ほどまでは恐怖で震えていたが、今はこの戦いを目の前にして俺は興奮と感動で震えている。4つ目熊から槍を引き抜いた少年が、俺の方へ振り向き、まるで何もなかったかのように口を開いた。
「倒れた人は無事ですか?」
そうだった!ギークは無事か!!
リティアが直ぐ様ギークの容態を確認する。
「息がある!生きているわ!!」
容態を確認したリティアはすぐに回復魔法を唱えた。
よかった!ギークの野郎、生きていてくれた!!
「あの、4つ目熊の魂石ですが・・・」
少年が俺に声をかけてくる、まだ子供特有の声変わり前の甲高い声だ、観察すればどこにでもいそうな凡庸な顔をした少年だった。本当にこの少年があの4つ目熊を倒したのだろうか?俺はもしかしたら夢を見ていたのだろうか?しかし、後に残った魂石を見て、現実だと思い知る。
「それは君のものだ、ヤツに傷の1つもつけることはできなかった俺たちに権利はない。」
そうだ、俺たちでは4つ目熊に手も足も出なかった、少年がここにいなかったら、ギークは確実に殺されていたし、俺たちもどうなっていたかわからない。多分、いやきっと全員殺されていただろう。少年は命の恩人なのだ。もし仮に今その魂石の権利が俺たちにあったとしても、俺は絶対にその魂石をこの少年に渡すだろう。
少年は俺の答えを聞いて無言で魂石を拾い、一言短く俺に声をかけ、来たときと同じ、風のように去っていった。どんどん背中が小さくなっていく。俺は慌てて声をかけたが、聞こえなかったのだろうか、少年はすぐに見えなくなってしまった。
知りたいことも教えてもらいたいこともたくさんあった、名前も聞けなかった。
俺はもう見えなくなった少年に向かって、せめて気持ちだけでも届くようにと、ありがとうと感謝の念を送った。
お読みいただき、ありがとうございました。




