SAMURAI
ホテルのロビーラウンジ。アーロンの一人語りにバネッサ、ラルフ、エヴァンの3人は聞き入っていた。
「母さんが退院する頃には僕は納豆を食べられるようになっていた。最初は無理して食べていたんだけどそのうちだんだんおいしいって思えるようになってきた。箸だって梅川さんに教わって自在に使いこなせるようになった。教員免許を持っているという梅川さんは僕の勉強もみてくれた」
「何よりも家族を驚かせたのは、梅川さんがハイリネン家を去ることが決まった時、僕が梅川さんにしがみついて号泣したことだった」
「わずかな間に僕の子供らしい感情を呼び覚ませてくれた梅川さんは両親に請われて僕の家庭教師として継続して通ってくれることになったんだ、うれしかったな」
あるときアーロンと梅ちゃんはテレビで時代劇を見ていた。アーロンはすでに梅川さんのことを梅ちゃんと呼んで懐いていた。
「梅ちゃんは時代劇好きだね。サムライかっこいいな」
アーロンはエア刀を振り上げて見えない相手を斜めに斬り捨てる真似をした。
「アーロンもサムライになりたい?」
「え? なれるの?」
「こう見えて私、実は女サムライなのよ」
「本当? なりたい! 僕もサムライになりたい!」
両親に了解を得た梅ちゃんはアーロンを知り合いの剣道道場に連れて行った。家に引きこもりがちのアーロンが外の世界、しかも武道に興味を持ったことは親としても大歓迎でふたりは梅ちゃんに深く感謝した。
初めて訪れる場所でアーロンはいっせいに自分に向けられる視線にはもう慣れていた。外国人であることだけでも目立つのに、アーロンの肌は白磁のように白く、髪は妖精のように銀色だった。
しかしそんなことよりもアーロンの心を強く打ったのは道場主である横道先生と梅ちゃんとの手合わせだった。立ち会い、打ち合い、鍔迫り合い、もちろんこれらの言葉はあとで知ったのだけど、アーロンはわれを忘れて見入ってしまった。
即座にアーロンは入門した。
不登校のアーロンだったが道場には熱心に通った。アーロンを剣道に夢中にさせた理由の一つはその防具だった。面をつけている間は顔をさらす必要はない。人の視線を気にせず稽古に集中できる。
練習熱心なアルビノの外国人の少年に向けられていた道場仲間の好奇の視線が好意的な目に変わるのにそれほど時間はかからなかった。
横道先生の熱心な指導のおかげもあって、アーロンはめきめきと腕を上げた。
アーロン10歳の誕生日に梅川さんがプレゼントしたのは防具一式だった。
それら全てに拝理念と名前が刺繍されていた。うれしくてうれしくてアーロンはその夜、防具を抱いて眠った。
「拝理念ていう日本語はまるで法律家としての真髄みたいな意味なんだよ」
アーロンは10歳の子供に戻ったような屈託のない笑顔で語った。
「その防具をつけて大会にも出て、けっこう勝ち進んだよ」
「父さんの日本での勤務が終了してアメリカに帰ることになったんだ。それが梅ちゃんとの別れだった」
「空港まで見送りに来てくれた人たちはほとんど父さんの会社関係の人だったけど、その中に横道先生と梅ちゃんがいたんだ」
「梅ちゃんと横道先生は僕が家族以外で初めて心を許した人なんだ。その次に心を許したのはここにいるキミたちだけどね。あ、バネッサには心もカラダも許しちゃったけど」
アーロンはバネッサに向かってウィンクした。
「僕はふたりに駆け寄って泣き出してしまった。日本に来て梅ちゃんと横道先生と剣道に出会ってなかったらホント、マジでどんな屈折したヤバイ人間になっていたか。まあ帰国したあともヤバイことしてたけどね」
アーロンは自虐的にそう言うと肩をすくめた。
「泣いている僕に梅ちゃんは言ったんだ。『アーロンはサムライでしょ? サムライは泣かないものよ』って。そう言う梅ちゃんも横道先生も泣いていたけど」
「アメリカでも剣道は続けたかったんだけど、僕の住んでる町にはその施設はなかったんだ。もしあのまま剣道を続けて精神を鍛錬していたらあんなバカなことはしてなかったかもしれないな」
姉の結婚話が自分のアルビノのせいで破談になったことに責任を感じたアーロンは逃げるように家を出て遠い街で体を売っていた。その時エヴァンと出会ったのだった。
「それが僕と梅ちゃんの話なんだ。梅ちゃんとは帰国してから一度も会っていない。今回、DELUGEのライブが日本であるって聞いて、どうしても会いたくてやってきたんだ」
「探しましょう! 私も会ってみたい!」
バネッサが立ち上がった。
ラルフはすでにテーブルに備え付けのナプキンで涙と鼻を拭っていた。
エヴァンは物書きとしてのインスピレーションをかきたてられていた。この男、書くためには身内さえもネタにする。
初めて賞を取った小説もゲイをカミングアウトした自分と家族の私小説だったし、アーロンが被害者になったハワード市長による猟奇事件のルポも書いた。
父親が参加したロックバンド「ロートレック」の再結成ライブにいたるまでのノンフィクション「ロートレックの軌跡」もそれなりに評価された。父親レイクのバイセクシュアルを公にすることを父親も家族もバンドメンバーも許可してくれて、エヴァンは客観的に自由に書く事ができた。レイクの息子ということでメンバーが好意的に取材に応じてくれたのも執筆に大いに弾みをつけた。
その本の原稿料が今回の日本への旅行費用に当てられたのだ。
「では、梅川さん捜索隊ここに結成します!」
バネッサが宣言した。
「あはは、梅ちゃんは別に失踪したわけじゃないんだけどな」
アーロンが笑った。
「横道先生なら梅ちゃんの住所を知ってると思うんだ。横道道場のサイトにアドレスがあったからメールしてあるんだ」