Fly High
アメリカに帰る航空機の中。アーロン、バネッサ、エヴァンとラルフの4人は日本の、というより金沢の思い出にひたっていた。
ショーコの息子のタケルと訪れた能登半島もすばらしかった。ラルフは自然の海水を浜にまいて塩を作る『揚浜塩田』で作られた塩がいたく気に入りお土産に買い込んだ。
ただバネッサだけはちょっと顔色がすぐれなかった。口数も少なかった。
「バネッサ、疲れた?」
心配して訪ねたアーロンの目を見ようともせずバネッサは窓の方に顔を向けたまま答えた。
「はっきり言うわよ。あなたって、意地悪というか……ちょっと無神経だと思った」
「意地悪? どこが」
「子供を……望めない私の前で『子供にアルビノは遺伝しないか』とか……ちょっと無神経すぎやしない?」
バネッサとは反対にアーロンは穏やかに微笑んでいた。まるでバネッサのことばを予測していたかのようだった。
「僕はいつかキミとの子供が欲しい」
バネッサの顔が瞬時に険しくなった、でもその目は怒りよりも悲しみに満ちていた。
「アーロンあなた頭おかしくなっちゃったんじゃない? 意地悪というよりバカよ」
「バカでもいいさ。でも僕はキミとの子供が欲しい」
「私に言わせる気? 私はもうお母さんにはなれないこと、あなたが一番よく知ってるでしょ!」
バネッサの気色ばんだ声にエヴァンとラルフも小さなもめごとに気づいた。
「ラルフだってお母さんになるよ」
あくまでも穏やかでやわらかな口調でアーロンが言った。
「……」
「僕が一人前になって結婚したら、いつか僕たちの子供を持ちたいんだ。両親がいて子供がいる、キミの家族のような、僕の家族のような、そんな暖かくて幸せな家庭が僕の希望なんだ」
「でも……」
「ダニー・トンプソンの力を借りるよ。ラルフが投げたキミが受け取るはずの幸せのブーケをキャッチしてしまったんだ。彼には君を幸せにする義務と責任がある。快く相談に応じてくれたよ。そしてキミのお姉さん夫婦も」
「ビクトリアが? どういう意味?」
「いつか僕たちの子供の代理出産を引き受けてくれるって」
「私の意見も聞かないで勝手に話を進めないでよ!」
アーロンはバネッサの手を取った。バネッサは拒まなかった。
「あの時、キミが銃弾に倒れたとき僕は命さえ助かれば何もいらないって思った。キミが子宮を失ってどんなに絶望したかなんて考えもしなかった。ふられて当然だよね」
「僕はキミと結婚したいと願ったけど、子供をもうけることには消極的だった。アルビノという十字架を子供に背負わせる可能性は低いと言っても0ではない。それより心配だったのは『親がアルビノ』ということ、これは100%逃れられない事実だからね」
バネッサはアーロンに手をゆだねたまま黙っていた。
「タケルと出会って、僕の願いは間違っていなかったと確信したよ」
塩田を見学しているときアーロンはタケルとふたりになる機会を得た。
「タケル、聞いてもいいかな?」
「どうぞ」
「お母さんがアルビノで、そのなんというか……」
「いじめ? もちろんいじめられたよ、かなりね。バケモノの子とか」
「そんな……」
自分からふった話題なのにアーロンは絶句した。
「それからどうしたって聞きたいわけ?」
アーロンは小さくうなずいた。
「グーで殴ったよ、母ちゃんをバケモノ呼ばわりするヤツの顔面をね」
アーロンは姉のイリーナを思い出した。弟をいじめたクラスメイトを彼女もまたグーで殴り飛ばしたのだった。
「アーロンはアルビノの自分が子供を持つべきか迷ってる?」
「そんな時期もあったけど今は違う。バネッサが銃撃されて命を失いそうになった事件は知ってるよね」
「もちろん、ファンだからね」
「命は助かったけど命と引きかえに子供を産めない体になった。僕はそれでも助かっただけで神に感謝したよ。だけど彼女にふられた。その時、彼女がどんなに僕との子供を望んでいたかを知ったんだ。アルビノを受け継ぐかもしれない僕の子を」
「僕もバネッサも家族の暖かい愛情に包まれて育った。結婚しても子供を持たないという選択をするカップルもいるし、望んでも恵まれない人もいる。だけど僕たちの親友のエヴァンとラルフは親になるという決断をしたんだ。その勇気ある決断は僕の気持ちを大きく動かした。そして」
アーロンはタケルの目を見つめて言い切った。
「キミと出会って、僕も親になる自信がついた。というより親になりたくなった。ありがとう、タケル」
「憧れのバネッサの婚約者のキミにはちょっとジェラシー感じるけど、キミ達のすばらしいニュースを楽しみにしているよ」
アーロンとタケルは軽く拳を合わせた。
再び機内。
アーロンに手をゆだねたままバネッサは涙ぐんでいた。
「私とあなたの子供をこの手で抱ける日が来るなんて、そんなこと考えてもなかった」
「Dr.トンプソンはその世界じゃあ権威なんだよ。彼の神の手を借りて大勢の子供にめぐまれないカップルが親になっている。キミが抵抗あるならビクトリアじゃなくてもいいんだ。第三者に代理出産を依頼したっていいんだ」
「そんな話、姉さん一言も言ってなかった。ひどいわ、私だけが知らないところで。でも」
バネッサは泣き出した。
「私もすごくあなたとの赤ちゃんが欲しい。姉さんが産んでくれるならもっとうれしい。アーロン、ありがとう。あなたのことすごく愛してる。愛してる!」
「知ってるよ、僕もだよ」
アーロンはバネッサを抱きしめた。そして優しくキスをした。
アーロンの胸の中で嗚咽するバネッサ、そのふたりを見てラルフもちょっと泣いた。
その大きくて愛しいパートナーをエヴァンもまた強く抱きしめた。
幸せなふた組のカップルと、大勢の人生をその翼に乗せた旅客機は一路、アメリカに向かって大空に航跡を残していった。
終