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梅ちゃんの告白 2

梅ちゃんが次にショーコの姿を見たのは数年ぶりに帰省した時だった。家政婦としての仕事もそれなりに充実してやりがいもあった。ある一定期間だけその家庭に入り、その家族とかかわり、そして契約が終わるとすべての関係は終了する。その潔さこそが家政婦と顧客との正しい在り方だと梅ちゃんは思っていた。

どこの家庭でも梅ちゃんはとても評価が高かった。ある家庭の契約期間中にその一家がバカンスで海外に出かけることになり、梅ちゃんもその間休暇を与えられた。

ふと久しぶりに金沢に帰省してみようかなという気持ちになった。里心がついたというわけでもないが、今もなお芸妓としてひとり頑張っている母親に元気な姿を見せて少しは安心させたいという気持ちになったのは事実だった。


母親はずいぶん年老いてはいたが、長火鉢の前でしゃんと正座する姿は毅然としていた。女手一つで大学まで出してもらって、ようやく就いた教職を辞することになってしまった親不孝を梅ちゃんは心苦しく思っていた。

知り合いから次々と舞いこんでくる娘の見合い話も母親がやんわり断ってくれていることも梅ちゃんは知っていたし、感謝もしていた。婚約者を亡くしてから誰かと結婚する気持ちにはならなかった。


帰省の最終日、梅ちゃんは海外から帰ってくる派遣先の家族に故郷金沢の味をふるまいたいと市場へ出かけた。

以前は市民の台所と呼ばれていた市場だったが今ではその大半が観光客向けの店舗になっていた。それでも昔から変わらない市場独特の活気はやはり残っていた。

ある鮮魚店の手前で梅ちゃんの足が止まった。威勢のいいお兄さんたちの声に混じって聞き覚えのある女性の声が聞こえた。


「奥さん、きときとな(新鮮な)魚持ってってー」


白い肌を隠すこともなくにこやかに声を張り上げていたのはショーコだった。あの頃と比べたらいくぶんふっくらしていたが、間違いなくショーコちゃんだった。

ショーコは常連客らしい老婦人に魚の包みを手渡しながら「おまけしといたよ、いつもありがとね」と満面の笑顔で接客していた。


買い物客の流れの中で障害物になっていることにも気づかず立ちすくむ梅ちゃんをショーコの目が捉えた。


「先生! 梅川先生!」


毎日の接客で鍛えられた張りのある声でショーコに呼びかけられて、梅ちゃんははっと我に返った。


「井上さん……」


「先生、会いたかった」


「え?」


「ずっと先生に謝りたかった。今の私があるのも先生のおかげだもん。はい、いらっしゃいませ」


ショーコはにかんだ笑顔のまま店先にやって来た客に愛想よく接客を始めた。

小さく会釈してその場を立ち去ろうとした梅ちゃんをショーコの声が止めた。


「先生ちょっと待ってて」


梅ちゃんはショーコの言葉に従った。

しばらくしてショーコは大きな買い物袋を下げて梅ちゃんのところに駆け寄ってきた。


「先生、これお魚。きときとなお魚よ、食べて」


無理矢理に手渡されたその袋はずっしり重かった。

その重さはショーコがこれまで背負ってきた苦痛よりも、もっと大きな今の幸せの重さなのかもしれないと梅ちゃんは思った。


次に梅ちゃんがショーコに会ったのは芸妓をしていた母親の葬儀の時だった。

遺族席にひとりでいる梅ちゃんに、焼香をすませたショーコが丁寧に頭を下げた。

ショーコはますますふくよかになっていたが、よく見たらそれは妊婦のせいでもあった。


「あら!」


驚いた梅ちゃんに向かってショーコは小さく指を三本出した。ショーコは三人目を妊娠していたのだった。


「そして今こうやって故郷に帰ってきて、ショーコちゃんとは仲良しになったの。あの時は生徒と教師の関係での10歳の年齢差はとてつもなく大きいと感じたけど、65歳の今の私と55歳のショーコちゃんとの10歳の差は友人としてなんの障害にもならないの、同じ10歳なのにね」


その時、『かふぇ あーろん』の引き戸が静かに開いた。



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