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第9話:任天道道場

まず、読者が一番気になるとしたら、この得体の知れない「任天道」という武道の輪郭であろうか。

ストリートシンガー浅海があの夜、「立ち技最強」とうそぶいたように、任天道は打撃のみの格闘技だ。「11法手」という理念に基づいており、両拳、両足、両肘、両膝にくわえ、打撃に両肩、前頭骨を利用するところでは他の格闘技を一線を画す。

防具は肉薄のオープンフィンガーグローブのようなもののみであるため、練習時間のほとんどはミットやサンドバックを使ったものであり、組手は最後の10分、希望者だけにかぎられた。

その道場が、厚木市の隣の海老名市にある。

美衣奈が見学に来て、なによりも驚いたのは、その激しい練習メニューに女の人が加わっていることである。技術こそ男性陣には劣るものの、勢いの良さではまったく引けを取っていない。余談だが最近は本当に女性の格闘技人口が増えた。


美衣奈は練習の見学後、敬二郎に促されて「師範代」と呼ばれていた人に事情を聞いてもらうことになった。

「・・・だから、勝てるようになりたいんです!」

説明を終えると、彼はうんうんと何度かうなずいて道場の床に腰を下ろした。残りの二人もそれに習う。

ところでこの「師範代」という人は仙人みたいな老人かと思いきや若者である。まぁこの格闘技に限らず打撃系の道場を経営する者は、その激しさゆえに年齢も若い場合が多いのだが、先入観からか、意外にその事実は知られていない。

その若者はなぜか美衣奈にも敬語であった。

「プロレスってショーじゃないんですか?」

さらにのっけから問題発言だ。

「ううん。パフォーマンスと手加減はしてくれるけど、ショーじゃないです」

「それはショーなんじゃねぇの?」

この合いの手は敬二郎。

「だって、ショーならこんな怪我するわけないじゃん」

対して、美衣奈がおでこを指差した。ちなみに他の人物がいる時は滅多にしゃべらないので忘れがちだが、右手はピノでふさがっているので、彼女が指を使う時はもっぱら左手である。

「じゃぁフルスパー(100%の力)でやるとしましょう。だとしたら歳や体格を考えても、普通は無理です」

・・・この教士は、彼女がプロレスラーであることは信じたのであろうか。それはいまのところわからないし、追求することでもあるまい。彼はあくまでも一般論として、至極当然のことを口にした。

「じゃぁ、歳や体格で負けたら、絶対勝てないんですか?」

だが美衣奈が引かない。それどころか、真剣さが自然に口調を強くした。一ヶ月前、いや、先日の美衣奈では考えられないことである。

それを聞いてしばらくこの道場の責任者はその少女を見ていた。やがて、笑みを唇の端に浮かべると、視線を落とし、右の手の平を見た・・・

「!?」

はずだった。次の瞬間・・・というか、少なくとも美衣奈には同時に見えた。彼の拳は敬二郎の鼻先5mmの位置に到達していたのである。

「このパンチをパンチングマシンで計測するとまぁ、だいたい20kgから30kgぐらいですかね」

細川さんもしっかり打てればそれくらいは普通に出る威力です。・・・を付け加えた彼は、なおも続けた。

「・・・この威力でも、条件が揃えば、鼻が折るには十分です」

補足すれば、当然の事ながら、ボクシングのグローブのようなものをはめてはそれは不可能であり、素手か、肉薄のグローブで的確にヒットできた場合に限る。

「だから理屈としては、間と機会をしっかり掴めば、体格は関係ないです」

「・・・・・・」

美衣奈には正直、今の話はあまり理解ができなかった。できなかったが、要するに彼がいわんとしていることはこういうことだろう。

「勝てるの?」

「勝てます」

彼があっさりと言い放つ。

「ただし、現実には難しいですよ。小さい子が大きい人に立ち向かうなら、その不利を補ってなおあまりあるほどの技術が必要なんですけど・・・。

まずリーチ差を補うための工夫、力の差を補うためのスピード、数少ないチャンスで的確にしとめられる正確さ・・・それを体格と体力の差だけ、余計に高めないと勝てません」

そこが難しい・・・彼は続ける。

「だって、相手は素人じゃなくて、格闘家でしょ?それもプロの・・・。細川さんがその人たちより2倍3倍練習するって事がどれだけ難しいかは、分かりますよね?」

しかも単純に時間を2倍3倍にするのではなく、密度をそうしなければならない。これが容易に実現できるのなら、例えばプロボクシングにあのような細かい階級は存在しない。逆に言えば、それくらい体格の差というのは絶対的だということである。

「最後に・・・これが一番大きいんですけど、精神的なものの差です。つまり、細川さんは小学生ですよね」

「あの・・・中学生です」

「え!?お前中学なの!?」

敬二郎の声が美衣奈と重なる。が、話の腰を折りたくなかったか、それは師範代のほうがたしなめた。

「中学生でも一緒です。自分は自分より実力のある大人と対戦するんだ・・・って気持ちがあるでしょ?相手だって「子供とやるんだ」ってなると思うんですけど、それが大きな精神的余裕の差になるんですよ」

格闘技はテレビゲームではない。データが数値化して、その絶対値がどの相手にも一定ということはありえないのである。コンディションや相手に対する優または劣等感、自分に対する自信などの精神状態で自分の能力などはいくらでも変動する。つまり、美衣奈が実力をつけたとしてもそれを発揮できるかはまた別であると、彼の言葉はそんなニュアンスで締めくくられているのである。

「なるほど・・・」

敬二郎が隣でそりゃもっともだとしきりにうなずいている。

美衣奈はというと、一昔前の海外電波のように、彼の言葉を数瞬遅れてキャッチしながら、しばらくした後にようやく長口上の意味を察した。

「結局、無理なの?」

「だから一番始めに言った通り、普通は無理です。まぁ・・・5年10年かければ、いくつかの問題はなくなるわけですからぜんぜん話も違いますけど・・・でも今の時点では、まぁ・・・難しいでしょうね」

「難しくてもできるの?」

「細川さん次第です」

「じゃあやる」

彼女にとって理屈は二の次であった。その後先を考えない旺盛な行動力で、そもそも東京まで出て来たのである。

それが、彼にも伝わったようだ。口元に先ほどの笑みがこぼれる。

この衝動と勘のみで行動する力が、あるいはこの少女を化けさせるかもしれない・・・。

彼は何も言わずに立ち上がると、敬二郎にミットを持ってくるよう命じた。

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