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第7話:敬二郎との出会い(前編)

第6話割愛

時間軸的には「家出」の後、プロ興行をもう一試合行いました。

タッグで「新坂」というレスラーを相手に自分が何も出来なかったことを悔やみ、何とかしたい気持ちになっています。

美衣奈のプロニ戦目も無事に終わった。


それにしても「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものだ。

プロレスを始めて三週間で二戦。格闘技経験無しの十三歳といえば、いまだに無事でいる要素など一つも見当たらないはずなのに、なぜか彼女は今日もしっかりと二本の足で地面を踏んでいる。

この、少々荒唐無稽とも言える事実・・・にわかに信じがたい読者もおられようが、人生も歴史も、その分岐点となる場所において、人はいくつもの荒唐とも言える「偶然」を垣間見る。もし、美衣奈の人生にとってここが分岐点であるなら、彼女は今まさに、その「いくつもの偶然」という「奇跡」の中で生きているのかもしれない。

さて、少々余談が過ぎた。

ともかく美衣奈は今、プロのレスラーとして、その序章を順調に歩み始めていた。


プロ二戦目から数日たった今、美衣奈の影は再び女児塾の地元である小田急線本厚木駅の北口にあった。

今度は脱走ではなく、プロレスについて真剣に技術を学ぶため、とりあえずその指南書を探しに来たのである。

それは決して先輩達と同じ練習はできないという後向きな理由ではなく、自身の体格や性格を考えると、同じふうに戦っては絶対に勝てない。何か自分のスタイルを構築しなければという考えに基づいている。


そういう考えに至ったのは先日行われたタッグ戦にあった。

彼我同様にコンビを組むリングの上では自分という存在は限りなく無に近い。それをシングルでやった初戦とは比べ物にならないほど痛感した。パートナーを助けたいのに何もできないその無力さとジレンマの中で、試合中は只々わなないて、リング内の惨状を直視できないでいた。あまつさえ、あの失態である。

悔しかった。

痛いよりも何倍もこたえた。

試合後の控え室で溢れる涙を抑えることができなかった。

強くなりたい・・・。

・・・その雫も枯れるころ、それが、胸に浮かんだたった一つの言葉だった。


だが結論から言うと、指南書探しは徒労に終わる。

プロレスの技の紹介や有名選手の自伝はあっても、技術を一から説明する本となると、なかなかお目にかかれるものでもない。

特に美衣奈は前述の通り、この年齢と体格で、並居る強豪と相対さなければならないのである。よしんばプロレスの技術書が見つかったとしても、今の美衣奈に実践できるものでは到底ないだろう。

そんなわけで、さしたる成果も得られなかったものの、とりあえず彼女は一冊の雑誌を片手に、本屋から外へと姿を現わした。

その雑誌の名は「週刊プロレス」。

・・・プロレスに疎い筆者でも、「それはちがうだろ・・・」といいたくなるがどうなのだろう。


「そういや美衣奈。おでこも元に戻ったな」

デビュー戦で糸織の栓抜きにやられたおでこの腫れも、すっかりと元どおりになっていた。

「ほんと。良かったよ、もぅ・・・。治んないかと思ったもん・・・」

ただし、その中央についた傷痕はいまだにひたいを斜めに走っている。

でも実は、美衣奈は意外にこの傷が気に入っていた。

「ハリーみたいでしょ」

そう、場所も形もハリーポッターの象徴とも言えるひたいの傷そのままであり、まるで自分が一歩魔法使いに近づいたような気にさせてくれるのだ。当初は顔の傷・・・と気にしていたが、気に入ればタトゥーのようなものである。

「で、どうすんの?もう一軒本屋当たってみるか?」

「んー・・・どうしよっかなー」

交番前のスクランブル交差点を渡って空を見上げれば、外はもうすっかり夜も更けていた。加えて・・・地元と比べてもぜんぜん暖かいので忘れがちだが・・・息を吐けば白い綿胞子が生まれて消えるような季節である。試合の疲れ(気疲れ?)も残っているし、そう思うと、早くも暖かい布団が恋しくなってくる。

「帰ろっか」

だがまもなく、美衣奈の足は帰途への歩みを止めた。

ちょうどそこは、以前途方に暮れて立ち尽くした場所であった。

当然の事ながらここから見える光景は数日前と同じである。駅ビル、タクシーロータリー、街路樹、その町並みを奏でるストリートシンガー・・・だが、彼女が足を止めたのは感慨からではない。

「ねぇ、あの人って、いっっつもあそこにいない?」

指を差さなくても、ピノもストリートシンガーのことを指していることくらいはすぐに分かったようだ。

「自縛霊だな」

「あ、なるほど」

「馬鹿だな美衣奈」

「あんたでしょ!!?」

・・・ともかく、まさか本気で自爆霊とは思っていないだろうが、美衣奈は彼に多少の興味をいだいたようだ。再び歩き始めた彼女の歩調は帰路から外れていた。


駅ビルの一角、白いタイルの上にだらしなく座り、ニットの帽子に黒いダウンのジャンパーを着ている彼は、自分よりも多少年上に見える。もっと近づけば、いままで街のざわめきにかき消されていた彼の歌がアコースティックのギターとシンクロして、美衣奈の耳に入って来た。

「♪寒さも知らぬ、黒いモグラが、太陽を見ようと旅立った 岩ばかりの毎日と、土まみれの空に飽きて、地上の光を見れば、「変われる」はずだと思った」

決して上手とは言えないが、声は良い。

「♪この日のためにつめを磨いて、もうずいぶんと時が経つしだんだん忘れて来てるんだ。・・・自分を信じることを」

ここでギターが一際大きく震える。

「♪そしてモグラは飛び出した。ありきたりの・・・」

と、そこで、急に歌がとまった。気持ちに力が入ったところで肩透かしをくらったようで、美衣奈は思わずつんのめりそうになる。

「あの・・・なんでやめるの?」

そして思わず声をかけてしまった。

譜面用紙に行きかけた彼の目が美衣奈のほうを向く。その目はほんの一瞬、警戒色を帯びたが、すぐに元に戻った。声の主をみればそれが少女であったためだろう。

「ここまでしかできてねぇんだよ」

するとやはり自分で作ったんだ・・・。

「すごいね」

「なにが?」

「歌、作れるんだね」

「あぁ・・・」

青年は感心なさげにうなずくが、まんざらでもないらしい。その証拠に次の声が少し弾んでる。

「思ったことをがーーんってよ、表現していくのっておもしれーからさ」

「思ったことをすぐに歌にできるの?」

「ギターが嫌がんなきゃ、詞はのるよ」

美衣奈は純粋にすごいと思った。ただいびつな箱に張ってある六本の弦で、どうしてそんなことができるんだろう。

女児塾でも興行の際には旗揚げ時のメンバーがバンドを組んで試合前のリングを彩るが、先輩達はあくまで既にある曲を練習して弾いている。

みんな確かに上手である。でもそのことと彼が今ギターでやっていることとは同じ「音楽」でも、まったく別のことに思えた。

「へぇぇぇぇ・・・・」

大袈裟にも映るほどに大きく感心していると彼は少し照れたようにあぐらを組み直す。

そして上目遣いで美衣奈を見ると、言った。

「なんか言ってみ。音、のせてやるよ」

「え?」

いきなりの注文に美衣奈が戸惑うのも無理はない。だって、歌詞なんて今まで考えたこともないのだ。

「べつに、偉そうな事言わなくたっていいんだよ。なんか好きな事いってみれば?」

その戸惑いを察した彼が苦笑混じりに促す。美衣奈は「好きな事?」と一度反復すると、

「好きな食べ物とか?」

「まぁ食べ物でもいいよ。「カレー」についてアツク歌った歌もあることだし」

「あたしはマシュマロが好き!」

「そう?じゃぁ・・・まぁ、マシュマロで・・・」

なんだか気持ちがのってきた。マシュマロ・・・。

「あたしは、マシュマロが大好きです」

「ふんふん」

うなずく青年。

「・・・でもおいしいからって一杯食べると、夕ごはん食べられなくなるから気をつけなきゃ」

「ふんふん」

「今のが一番」

「え?」

今のは既に歌詞だったのか・・・。

「で、二番が・・・あたしは、マシュマロが大好きです」

「はい」

青年がやや圧倒され出す。

「・・・でも嫌いなマシュマロがあるの。それは・・・」

美衣奈が一度、大きく息を吸う。そして一気に言い放った。

「ゴキブリホイホイを1ヶ月仕掛けた後に10匹くらい動かなくなってる黒光りした蟲たちを片づける時、つい覗いちゃったホイホイの中で見つけちゃったカビの生えたマシュマロ~!」

「なにぃぃぃ!?」

自分の予想していた枠を軽く突き破って大きく広がってしまった言葉に思わず唖然となる青年。

「・・・思い出しただけでもキモチワルイです」

・・・・・・・・・・。

そして、しばらく沈黙の空気が流れる。

「これが二番」

「え!?三番もあるの?」

「ううん。もう限界」

よかった・・・。青年は内心で胸をなで下ろした。

「あたしの歌、できそう?」

「え?・・・あ、うん。まぁ・・・」

さっきできるといった手前、そう答えるより仕方なかったが、彼はその後しばらく首をひねったまま、動かなくなった。

目の前にはものすごい期待に胸を躍らせている少女が瞬きもせずにこっちをみている。何とかしないと・・・。

「わかった・・・Cで行こう」

独り言で自分を励ますと、ギターを抱える。まもなくギターはCの音色を刻み始めた。

「♪あたしは、マシュマロが大好き~。とってもオイシイから好き~~、でもおいし

いからって一杯食べると、夕ごはん食べられなくなるから気をつけなきゃ・・・」

「わっ!すごい!!」

紙面では表現しきれないのが歯がゆいが、即興にしては実に見事な旋律が、白い吐息に包まれながら、やわらかく空気にとけていった。その、不思議な甘さをおびた音色に、美衣奈が感心しないはずがない。

だが、青年の歌はそこで途切れた。

「わりぃ、二番は今度考えてくる」

「あ、うん。ありがとう・・・ねぇ、今の歌、あたしも歌っていい?」

「そう?じゃあもう一回」


冬の寒空の中、気がつけば厚木の街の一角はましゅまろ色に染まっていた。

・・・そしてこれが、後に美衣奈の中で大きな存在となってゆく浅海敬二郎との出会いだったのである。

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