最終話:いってきます!
一年。
思えば驚くほどに早い。
本来は主人公になどなりえない、とりえも、輝かしい実績もないプロレス少女を追った一年は瞬く間にすぎてしまった。
当初筆者はこの少女は女児塾を足がかりにして資金を貯め、ピノとともに魔法学校を求めて渡英するものとばかり考えていたが、これくらいの年齢の子供の成長の早さというか、刺激への感受性というかを、少々甘く見ていたようだ。
渡英をする。
だがそれは、もはや魔法という少女の夢を追ったものではなかった。
先日から立て続けに襲来する大寒波が各地に大雪を降らせ、新潟では大規模な停電、山形では特急列車を暴風がなぎ倒す大惨事が起きている。
ニュースが次々とその様子を伝える中、しかし南関東だけは突き抜けるような青空が連日広がっていた。
今日、12月の27日という日もその例外ではなく、何かの鳥が涼しげに鳴く静かな朝遠くの大雪が冷気だけを届けたかのような白い空気が、旗揚げ後、ようやく一年を迎えた女児塾を包んでいた。
「みーな。忘れものはないー?」
何のかんの言っても、美衣奈に一番近かった糸織が、最後まで彼女の世話を焼いている。
「もー、大丈夫だよ。全部かばんに入れたから」
「財布は?」
「いれたよ」
「確かめて」
「もー・・・あ・・・あれ・・・?」
旅行バッグの財布スペースに、入れたはずの財布がない。
「あれぇ・・・?」
バッグをひっくり返してみようと思ったとき、
「ほら美衣奈。財布だよ」
糸織が自分のポケットから彼女の財布を出して見せた。
「あれぇ?・・・なんで・・・?」
「あたしが抜いておいた」
「よけいなことしないでよっ!!」
いつものようにじゃれあいながら女児塾寮の前にでてきた美衣奈と糸織はここで別れる予定である。
幾人かが空港まで見送る、という話も出たのだが、ニタの「奴は女塾「から」見送ってやれ」という言葉の意味を汲んだメンバーが、ここで美衣奈を見送ることにしたわけだ。
見慣れた女児塾の風景。
その構内は多少、学校を思わせる構造をしているように思う。トレーニングルームや事務室、塾長室や講堂などのある第一ビルが本校舎、そして隣り合わせにある女児塾寮が部室棟・・・といったところだろうか。
裏にはそんなに広くない駐車場があり、ここに美衣奈の好きな椎の木が植わっている。
今、美衣奈のたっている寮の前からぐるっと辺りを見渡すと、ずっと目から離れないのが、ロードワークで皆が利用する外周コースである。平坦ながらその距離は長く、見ていると体が干上がってしまうほどの汗を流してきた経験が蘇ってくる。思えば懐かしい・・・というより、今からしばらくこの風景を見られないことが、にわかに信じられない。
でもその場所から確かに、美衣奈はタクシーで旅立つ予定だった。
「あ、タクシー会社に連絡忘れてたー」
もっとも、この糸織のミスで少々時間ができたのだが。(どうせわざとだろう)
そこにはいつの間にか見慣れた顔ぶれが集まってきていた。
皆、笑っている。美衣奈も美衣奈で、これからちょっと遠足に行ってくるような面持ちだ。
「ぱっぴー」
その中で一人、龍子だけは深刻そうな面持ちで彼女のリング名を呼んだ。
「今度、会ったときに・・・」
目が、じっと美衣奈を見据える。
「はい」
その異様な間が待てずに美衣奈は一度相づちを打った。それが防波堤を破ったかのように、龍子が一気にまくし立てた。
「今度、自分と会った時に、ぼんじゅーる♪・・・なんて挨拶したらハッ倒してやるっス!!」
「だからボンジュールはフランスなの!!」
「どこも一緒ッス!!」
彼女の渡英に一番納得していないこの龍子に、戦後が訪れるのはいつになることか。
ところで、
この場にニタの姿はない。
寮をでる前に塾長室に挨拶にいったが、彼女を見つけることはできなかった。
仕事か用事か・・・ひょっとして、去り際の美衣奈と目を合わせたくないのか・・・いや、そんなタマではあるまい。まぁ素直ではなさそうなので、なんとなくここにいないのもうなずけるか。
なににしても、前回の興行がニタとの最後の別れだったようである。
残念だが、仕方なかった。
「タクシーが来ましたよ。みーなさん」
美幸が言う。
「あ、はい!」
舞と話していた美衣奈が振り返った時、黒塗りのタクシーは音も静かに女児塾構内に滑り込んできていた。
開く後部座席の扉。
美衣奈の荷物を察したか、続いて後ろのトランクも持ち上がった。
「来たね・・・」
一団を取り囲む場の色が、急に蒼ざめていくような錯覚にとらわれる。もちろんその温度差は各それぞれにあるものの、皆の呼吸が一斉に変わった事だけは間違いなかった。
「じゃぁ・・・」
美衣奈の声も急に小さくなる。
だが、彼女の視線が皆を離れて地面に落ちたとき、不意に誰かの声がした。
「よーーし!胴上げだ!!!」
一瞬全員があっけにとらわれる。しかしすぐに意味を察した一同はその声の主を確かめることもせずに今日の主役を取り囲むと、
「え!?あ!!ちょ・・・!!だ・・・だめだよぉぉ!!パンツ見えちゃうよーーー!!!」
美衣奈は今日、ピンク色のミニスカートだ。
「ぱっぴ~のパンツなんて誰も見ないっス!!」
「そーだ見せちゃえ~~~~!!」
「いやだ~~~!!」
しかしあまりに頑強に抵抗するので、空気はまもなく冷めた。
「あーーあ、せっかくあんたの最後を飾ってやろうと思ったのに・・・」
「だってそんなこといわれたって・・・」
「よし!じゃあこうしよう!!」
また、誰かが言った。
「愛のハリ手形!!!」
張り手で紅葉型の跡をつけることである。これもみな、すぐに同意して再び彼女は囲まれた。
「全員は無理~~~~~~!!」
「うるさい!!とっとと背中出せぇ~~!!」
「腹でもいいよ!やっちまえ~~!!」
「にゃぁ~~~~~~~~~」
・・・この時彼女の全身にできた紅葉が重なったようなあざはその後数日間消えることはなかった。
「じゃあみんな・・・」
すっかり元気を取り戻させられてしまった美衣奈の声が女児塾に別れを告げたのは、それからまたしばらくたってからのことであった。
「・・・いってきます!!」
「今度日本に帰ってきた時、ロバートとかリチャードとか、そんなのと一緒だったらただじゃすまないっス!!!」
どうも今日は龍子の口数が多かった。
単純だから、そのショックは実は糸織よりも、ほかの全メンバーよりも、大きかったのかもしれない。
姿が完全に見えなくなるまで一人叫んでいた彼女の姿を、いつまでも忘れることはないだろう。
・・・美衣奈は車中で、少し泣きながら、そう思っていた。
そして、財布を抜き取った糸織のいたずらは、実は皆が寄せたメッセージをしのばせるためであったことを知り、
美衣奈の乗るタクシーを煽り倒してガンガンエンジンをふかした後、その背中を追いかけるパトカーのサイレンを尻目に一人走り去ったカタナを見て、
さまざまなやさしさに包まれた小さな蝶々の一年が、終わった。
この物語は以上です。
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