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第51話:最後の試合

23時・・・。

明日の試合のための持ち物をボストンバックに詰め終え、軽くシャワーを浴びる。

試合の前の日は余計な体力を消耗するから風呂には入らないんだよ・・・とは、琴が教えてくれたことだ。以来、美衣奈はずっとそれを守っている。

パジャマを着て、髪の毛に「うるおい成分ジェル」などをなじませる。そしてその髪を一つにまとめてからベッドへ・・・。

目覚し時計に明日の起床時間をセットをし、それからゆっくりと布団に身を預け、見慣れた天井を見上げた。


「試合」を、こんなに意識したのはいつぶりだろう。・・・はじめてかもしれない。すべてがいつもと同じ、自分の部屋なのに、なんだか別の場所にいるように感じる。

明日が、女児塾で最後の試合なのだ。

それを意識すると、不思議と始めてここに入門した日のことを思い出す。

ほぼ一日かけて到着した新宿で途方にくれて、女児塾チーフスタッフの前場に声をかけられて・・・そして魔法学校だと信じて身を寄せたあの日に、今日、そして明日という日が来ることが決まったんだろうか。

それとも、東京に来ようと思ったその日から?

ホグーツを知った日から?

魔法を信じた・・・つまりピノが生まれた日から?

まさか・・・自分が生まれたその日から?

・・・もし、そのどの瞬間からだとしても、焼き付けたように変えられぬ過去によって未来は同じように焼き付いてしまうということになる。

生きるということがそれの繰り返しであるならば、結局、生まれた瞬間に自分のたどる道筋というものは決まってしまうということになるのではないだろうか。

まぁ根拠はないので真理を追究するような難しい論議はおいておいて、それがもしそうだとしたら、それを怖いと考えるか、楽だと考えるかは人次第だと思う。

美衣奈は後者であった。いや、「今日に限っては」後者であったというほうが正しいかもしれない。

美衣奈の今日はやけに潔い。

決まっているのだ。

明日の試合の結果も、自分がBBSで何をするかも、そして、その結果自分がどうなるかも・・・。

そう思えば、怖いものなどあろうか。

自分は自分の一生懸命をその日その日にぶつければいい。

それだけでいいのだ。こんなに楽なことはあるまい。

・・・彼女の直感は、この心の忙しすぎた一年をつまりそう集約したわけだが、こんなことをなんの抵抗もなしにはじき出す彼女の精神状態は、すでに13歳のそれではない。


それはそれ、これはこれ。

美衣奈はどうしても寝付けなかった。

なんとなく一度起き上がって、窓を開けてみる。

その先に何かを見出そうとする美衣奈に訴えかけてくるものは、冬という季節の織り成す透き通るような冷たい空気である。

寒い。

美衣奈はふと、昔の口癖を思い出し、つぶやいた。

「寒いのはきらい・・・」

寒さは孤独を増長させる。一人の夜に感じる寒さは特にそれが顕著であり、寂しさが募る。幼い頃両親を失った彼女にとって、その寂しさは限りなく切ない。

寒いのは、嫌いであった。

こちらに来てからその言葉は、脳裏をよぎったことがなかった。それが、よみがえった。

明日の試合を最後に、自分はまた一人になる。

自分で望んだことだからそれをとやかくは言えないが、明日の終わりが、この白昼夢のように駆け抜けた一年の、その終わりなのである。

悲しいのではない。

うすらさびしい1人の空間で・・・眠れば明日はすぐに来る。

眠らなければ、時間はゆっくり流れていく。

できるだけ長く、その「最後の時間」に生きていたいと、美衣奈の何かが語りかけて眠れない。


そういえば折しも折、敬二郎初の桧舞台、鹿鳴館ライブは明日である。

彼は琴の事もありよっぽど辞退したかったようだが、勢いが、それを許さなかった。

バンドメンバーとの長い長い話し合いの末、結局明日のライブは日の目を見ることになったのだが、いずれにしてもなんとも悪い偶然というか、思えばこのことだけでも、自分と敬二郎との埋まることのない距離を感じずにはいられないかった。まぁもっとも日にちが違っても行くつもりもないし、メールさえ返してはいないのだが・・・。

しかしその心とは裏腹に、ボストンバッグには遊園地の日に渡そうと思って結局渡すタイミングを失ったライブへのお祝いのプレゼントと、自興行では結局一度もかけてもらうことのなかった自分の応援歌のCDが、寄り添うように同じ場所に入っている。矛盾のようだが、それはさながら明日の試合のための道具で埋め尽くされた荒野に咲く一輪の花のようで、とてもではないが美衣奈には摘むことなんでできなかった。

(またいつか・・・)

その「場所」をぼんやり見つめていると、携帯がメールの着信を告げる。

美衣奈は「あっ」と思った。こんな時間にメールをしてくる相手など、幾人も思い当たらない。

当然浮かぶ淡い期待が携帯を持つ手を震わせた。

暗闇に浮かぶディスプレイの光が刻んだ文字を美衣奈の瞳が受けてとる。

<なんか「あばだばでゅわーー」ってかんじだねー。みーな>

・・・・・・・・・・・・

<早く寝なよ糸姉>

手馴れた手つきで指を走らせた美衣奈は、少しほっとした。

思えば敬二郎でなくてよかった。

どんな言葉を投げかれられたって、返答する自信がない。

自嘲気味に顔をほころばせていると、再び帰ってくるメールの着信音。

<*未承諾広告:来年の夏こそは!!冬から勝負の腰周りスリム大作戦!>

・・・・・・・・・・・・

<変なの転送するのやめてよ。糸姉>

今日はやけに絡んでくる。

でも、彼女の心中には不思議と「なぜ」はなかった。それからも延々送られてくる糸織からのメールに、ただただ・・・夢中で返信した。

<このメールを読んだら、今日中に⑩通のメールを誰かに送らないと超巨大黒板消しに推し潰されます>

<いまから⑩通、糸姉のアドレスに送るね。それと、押し潰されるの漢字が間違ってるよ>

<話かわるけどー、隣の生垣に大きな芋虫が発生したらしいよ~(^o^)/ >

<ムシしたほうがいいよ(^-^) >

<アゼルバイジャン共和国って何語話すか知ってる~?>

<アゼルバイジャン語じゃないの?>

・・・・・・

・・・

もはやそこに渦を巻いた感情など、余人は知る必要もあるまい。

糸織はメールを送り続け、美衣奈は返し続けた。


そして・・・目覚ましが鳴った。

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