第48話:余震
47と48話の間にひとつプロレスの興行がありました。
パピヨンはこの会場に来ていません。という背景があります。
二田はその事情を聞いてから、ため息がとまらない。
なるほど。最近のパピヨンの奇行も納得できようものだ。
狭く深い交友関係を持つああいうタイプの娘にとっては、その支柱の一つを失うことがどれほどのショックか・・・。察すればその心中は計り知れなかった。
もっとも、二田は琴との別れ、それ自体に深い同情を寄せていたわけではない。
人間は出会った瞬間からその別れは避けられないのだ。それは死によるものに限らず、お互いの生活環境の変化や、心情の変化、入れ違いにすれ違いに仲違い。理由などそれこそ星の数でも、いずれにせよ人の関係に永遠は存在しない。
自分だって今までどれだけ望まぬ別れを強いられたか・・・その運命の気まぐれに常に躍らされつづけ、一喜一憂を繰り返してきた。
仕方がないのだ。
川が流れるとか雨が降るとか、そういうものと同じで、人の出会いと別れはいわば、自然の理ともいえるのである。
繰り返すが、二田のため息が止らないのはそのことではなかった。
そのため息はつまり・・・この出来事が自分の新しい別れを呼ぶのではないだろうか・・・つまりパピヨンの心を折り、プロレス界を去らせる引き金になるのではないか・・・それを危惧した心労の表われであった。
「ふぅ・・・」
・・・おかげで、一周年興行も無事に終わって肩の力を抜ける時であるはずなのに、彼女の心には何か鋭いものが突きつけられたままだ。
美衣奈の心は強いがもろい。この一見矛盾するような彼女の気性を、二田は良く知っていた。
第一彼女は若い。若すぎる。
はたして今回のことを、彼女は受け止めきれるのか。
もしも・・・一両日中に彼女のほうからこの塾長室の扉を開くことがあれば・・・その時は覚悟せねばなるまい。
その時が、刻一刻と近づいているようで、二田は落ち着かない。
少々説明不足なので、余談を入れたい。
前興行で「失踪」という醜態をさらした美衣奈が見つかったのはその日の深夜。新宿駅から一本の電話が二田の携帯にかかってきたことによって、皆は彼女の所在を知った。かけたのは同駅の係員である。
実はこの興行の日と、敬二郎と美衣奈が河原で泣いた日は同日であった。美衣奈はその後、試合へ行くと敬二郎に別れを告げ、会場へ向かう急行に乗ったまではいいが、そこで、彼女の中から何かが抜け落ちた。
・・・うまくは説明できないが、頭の、おでこの辺りからテニスボールよりもう少し大きい、何かが抜け落ちた・・・そんな感覚がした。
「それ」は、車内の床に落ち、ゴトンという音がして、動き出した電車とは慣性にしたがって逆のほうへ転がっていく。
だれにも、何も見えないが、美衣奈の目はその瞬間から、その、ありもしない何かを追った。いつまでも、いつまでも・・・。
・・・そんな美衣奈を無言で運ぶ急行が新宿へ、翻って小田原へ、そしてまた新宿に着いて、小田原に着いて・・・。
そんな無機質な往復を続けて0時32分、新宿のホームに到着した電車を駅員が点検をしていた際、1人残された彼女に声をかける時まで、彼女は座ることもせず、ただただ、車内の内壁の一角に身体を任せたまま、うつろな瞳を霞ませていたのであった。
迎えに行った二田はその時初めて琴の死を知る。それから皆にも順繰りにその経緯が伝わったわけだが、今日の舞台はそれから数えて10日以上後のことになる。・・・一周年興行をはさんで、準備に忙殺されていたメンバーが彼女を振り返る余裕ができた、ある日の話である。
「そんなわけ・・・で!!!・・・みーなを励ましてやろうと思うのよ」
一周年興行ではいつもと変わらぬ様子を見せた二田が、一たび塾長室に篭れば重いため息をついている・・・ちょうど同じ頃、大日本女児塾第一講堂・・・通称「大本営」では、0期生の面々が会し、美衣奈を励ますというテーマを元に白熱した議論が交されていた。
「誕生日パーティを主宰するってのはどうっスか?」
「誰のよ」
「みーなさん一月なんですけど・・・」
「え?じゃぁ・・・・・・がりーが近いっス」
「ありがとう」
「でもそれじゃがりーさんは喜んでも別にみーなさんの励ましには・・・」
「その辺は、無礼講っスよ。がりーを祝うフリしてぱっぴーを励ます・・・」
「私が嬉しくない」
「そうですよ。それじゃあまりにがりーさんに失礼じゃ・・・」
「ガマンしなよ~。ケーキのカケラくらいはがりーだって食べられると思うよ」
「いや」
・・・この調子なので、建設的かと問われれば首をかしげざるを得ないが、ともあれ、美衣奈を思ってのことである。
「・・・遊園地どう?」
今度は舞の提案だ。だが、反対意見は一秒すら待たない糸織の声。
「馬鹿ねぇ。遊園地行こうとして事故ってんだってば」
ああでもないこうでもない。
「だいたいぱっぴーはなにが好きっスか?」
「マシュマロが好きって、そう言えば言ってました」
「じゃあマシュマロマンのぬいぐるみ・・・」
「もー、お龍って何でも即物的なんだモン。いらないでしょ。ねぇ?がりー?」
「私はいらない」
「あんたにあげる訳じゃないよ~!」
会議は紛糾の色を濃くするばかりであった・・・。
で、
当の美衣奈はというと。
「よろしくおねがいします。・・・それじゃ」
携帯電話を耳から離すとぱたんと音を立ててディスプレイを閉じた。女児塾裏の椎の木の根元・・・彼女が塾内では一番好きな場所に静かに座っていた。
冬化粧を始めた12月。とはいえ椎は常緑樹なので、その季節を感じさせるような様子は見せないが、吹く風の寒さが揺らす葉が、サラサラとすずしげな音を立てている。
さすがに10日も経てばいまだあんな放心状態が続いているということもない。結局一周年記念という大イベント興行も辞退せざるを得なかったが、気持ちの整理をするのに、思い立ったら後先を考えない彼女にとっては十分な時間が流れたようだった。
美衣奈は立ち上がった。これから行くところがある。
つまり・・・。
「来たね。パピー」
塾長室の扉を開けた美衣奈の瞳を受け止めた二田の顔は、寂しそうに笑っていた。
それからしばらくの間、そのままの時が流れた。
少し先に、二田の瞳がある。
なんと透き通っているんだろう・・・。その瞳の奥には無限の宇宙が広がっていて、美衣奈がこれから言うことすべてを包み込んで暖かく抱いてくれる・・・そんなことさえ錯覚するような透明な心で、二田は自分からの言葉を待っている。そう見える。
そしてそれが逆に、言葉を発することをためらわせた。
どんな言葉ならいい?この瞳が灰色に曇らぬように、自分はどんな言葉を選べばいい?
・・・どうしたらそのようにして、自分の意思を伝えることができるだろう・・・。
その成熟していない小さな身体と心を震わせてながら、やがて美衣奈が口を開いた。
「あたし・・・あたしは、ニタさんが好きです・・・」
「・・・・・・」
先刻述べた「その時」が来た・・・二田は思った。
「あたし・・・お母さんがいないから、ニタさんを代わりみたいに見てたんです」
もういいよ・・・。
言おうとしたが声が出ない。
「でもあたし・・・あの・・・ごめんなさい。今、・・・ここにいるの・・・・・・つらいんです・・・」
静かに不規則なリズムできれぎれに浮かんでくる言葉から、彼女が事情の説明を接ごうとした時、二田はようやく「必要ない」とばかりに首を振った。
塾長室に再び重い静寂が訪れる。
場に満たされはじめた白い空気が、遠いところで走る車の通りすぎる音を運んでくる。窓から外を見れば、相変わらず12月の風が、木の葉を揺らしていた。
二田は言葉に迷っていた。
おそらく、女児塾のほかの誰であっても、このような事情で抜けることを自分は許さない。きっと叱咤の言葉を浴びせてなんとか立ち直らせる様、動くだろう。
だが、パピヨンはなんだかんだいっても13歳の子供である。子供は大人が思うよりも大人の思考をもっているのだが、一方で子供はやはり子供のルールで生きているところは否めない。
家に帰るんだろう?・・・正直、こうなってしまった彼女を、二田は持て余していた。
もう・・・いいか。
・・・。
ならば・・・。
「あんたとの契約は一年だよ。後一ヶ月は・・・どうする?」
二田はこの事を、自分がまとめてやらなければ駄目だと思った。それが、大人の仕事であり、塾長たる自分の仕事でもある。
「あんたがもう駄目だと思えば・・・」
「やります」
その声は反射的なものだった。
「・・・ニタさん、あたし、もっと強くなります。強くなってニタさんと女児塾を盛り上げたいです」
その、自分の言葉に自分で答えるように美衣奈が一度大きくうなずく。
二田を落胆させまいと本能的に衝いた言葉が自分の本心であり、それが、自分の意思を自分の耳で確認する結果となったのである。
・・・もはや迷いはなかった。
「だから・・・」
大きく息を吸う。・・・そして言った。
「あたし、しばらくBBSに行ってきます」
二田が大きく目を見開いた。
「行って、もっとプロレスラーになって帰ってきます」
一瞬息が詰まる。家に帰るものだとばかり思っていたが、プロレスを続ける・・・まずそれに驚き、その答えがBBSであることに再度驚き・・・。
だが二田は、すぐに伏し目がちにそっぽを向いた。
「馬鹿だね。ビルが一度来たタマを逃すかよ」
「必ず帰ってきます」
「・・・・・・」
・・・これが13歳の少女の言葉だろうか。いや・・・子供だからこそ、悪く言えば無鉄砲な、良く言えば勇気のある意志を堂々と宣言できるのかもしれない。
年を取るごとに臆病になってゆく。彼女を疑う自分がそうであるように。
・・・言葉が出なかった。涙なんてとうに忘れたつもりだが、なにか、熱いものが込み上げてくる。二田はその目を窓の外へ移し、まるで顎から出したような声で言った。
「約束だよ」
「約束です」
唇を噛み締める二田。こんな小さな少女に、まるで自分の方が圧倒されているようだ。
「まぁ・・・あんたが帰ってくるまでにここはなくなってるかもしれないけどね」
「それは・・・約束です」
もう声は出なかった。出せば別のものまで溢れそうである。一度大きく息をして、窓の方を向いたまま、小さく何度か肯いた。
「後一ヶ月・・・お世話になります。宜しくお願いします!!!」
そして・・・少女のにおいが、塾長室から消えた。




