第46話:小さな恋のメロディ(前編)
とうとう、その日になった。
端から見たらこれだけでは何の事だか分からないが、今の美衣奈にとってはこれだけで十分だった。つまり、敬二郎、それに琴と遊園地へ行く日である。話自身は10月の始めに出ていたことだが、琴の仕事や敬二郎のライブ、それに美衣奈の興行と、種々重なった挙句の今日この日であった。
今日のためのとびっきりのおしゃれ・・・薄いピンク色の花びら模様がちりばめられているコットンレースの白いフリルブラウスに、その花びら色のプリーツスカート。腰は黄色いリボンでとめられるようになっており、上下あわせて花束を思わせる。
それを一層華やかにするブローチといい、イヤリングといい・・・つくづく馬子にも衣装というが、彼女のあどけなさを最大限に利用したその衣装は美衣奈を魅力的に見せた。
余談だが、その衣装はこの日のために揃えた物であるが、その風体は明らかに今までのおしゃれ着とは趣を異にしている。
すなわち、服装も装飾品も、魔法使いに関連するものが一切ないのである。
彼女の願望がどれだけ意識の上で変貌を遂げているのか。これを端的に示している。
・・・東京が彼女を変えた。
女児塾が、その仲間が、任天道が、その仲間が、美衣奈を変えていた。
実際、「こんな生活が続くのであれば、もう、魔法学校に行けなくてもいい」・・・彼女はこうまで思うようになっていたのである。
運命という奴は本当に不思議である。
ほんの小さな決断が、ほんの些細な偶然が、人間を変える。そしてそのことがまた、ほかの人を変えていく。歴史を紐解けば、その波紋が時に、世界すら変えている。
人間はその多少はあれど、そうやって他の人間に影響を与えながら生きている。そこにいることが、・・・いなくなることでさえ、どこかの世界に影響を与えるのである。
人間は時に主役に、時に脇役にとその役割を変えながら、やがて自分のあるべき場所へたどり着く。
それを運命と呼ぶならば・・・その運命が形成していくものが世界であるならば、世界という時の流れに必要のない人間など存在しないといえるのではないだろうか。
皆が皆、自分を含めた誰かの、どこかの世界を創るために人は生きている。私はそう思っている。
少々余談が過ぎたが、ともかくそうして美衣奈の運命は様々な事柄に後押しされ、気がつけば一年前とは見違えてしまった。
・・・だが、そうして創り上げられた世界もまた、不変ではない。
・・・新たな偶然がこの日、美衣奈を襲うことになる。
集合場所はいつものところ・・・本厚木駅北口だ。
時計を見ると10時45分を指している。美衣奈は余裕を持って約束の20分前にはその場所に来ていた。
「・・・?」
マテ・・・。
ということは、すでに美衣奈は1時間ほどここで待っていることになるが・・・。
約束は10時のはずなのだ。
「間違えたかなぁ・・・」
いや、そんなわけはない。今日の10時を自分はどれだけ心待ちにしていたことか。
間違えているとしたら他の2人の方だ。
電話しよう。
・・・浮かれていて今まで気付かなかったというのもどうかと思うが、とにかく美衣奈は今ごろになって、携帯電話を取り出した。
こういうチャンスにしめたとばかりに敬二郎に電話・・・できるなら苦労はしない。始めそちらの番号を呼び出したが、すぐに琴に直した。初恋という奴は、つくづく初心である。
「・・・・・・」
しかし・・・繋がらない。
2度かけたが、コールの音が繰り返されるだけで、じきに留守電になってしまう。
仕方ないので敬二郎に・・・と思った矢先、逆に着メロが美衣奈を驚かせた。
・・・彼からだった。
その内容に美衣奈は絶句した。
いや、そんな生易しいものではない。にわかには信じがたい事実・・・。
「え・・・・」
言葉が接げなかった。彼もそれっきり、電話口の向こうで重く口を閉ざしている。
風が吹いた。11月だ。風は冷たくなっている。しかし美衣奈の心は一瞬にしてそれとは比べ物にならないほどに深く、硬く、暗い氷室のように凍り付いていく・・・。
やがて彼の、鉛で固められたような声が受話器を通じて流れてきた。
「わるい・・・。だから、今日は中止にしよう」
「・・・・・・・うん。わかった・・・」
それしか言えない。頭が混乱して、めまいすらしそうだ。
「なぁ、美衣奈」
「ん・・・?」
そしてまた長い静寂が訪れる。が、こちらからは一切言葉を発さず、その答えを根気強く待った。しばらく・・・そして、ぽつりぽつりと・・・。
「なぁ・・・あのよ・・・来てくれねえか?・・・・・・ここに」
そしてその声が場所を告げた。
~厚木市立病院救急病棟~
「わかった。すぐにいく」
市立病院は駅から歩くと結構な距離になる。30分弱はかかる。
もちろん美衣奈は走ったから、もっと早く着いたのだろうが、敬二郎にとって、その時間は永遠にも感じられただろう。彼は今、それくらい打ちひしがれる不安に苛まれていた。誰かが隣にいてくれなければ圧し潰されてしまいそうだ。
やや息を切らして到着した美衣奈は、受付近くの長椅子に座っている敬二郎を見た。
震えているようにすら見える彼の体が、全身血色を失っている。瞳はどこかの隅を見たまま、その輪郭が霞んでいる。そして、その手は最後の理性を支えようがごとく、きつく握られたまま、膝の上に置かれていた。
彼の脇に、バックが二つある。
一つは彼の、もう一つが琴の物だと、美衣奈はすぐに分かった。
「浅海君・・・」
目の前まで来て彼の名前を呼べば、彼の目がぎこちなく少女を映し出す。
「よぅ・・・」
お互いそれ以上は続かず、実に嫌な沈黙が辺りを支配した。
美衣奈は彼の隣に腰を下ろした。病棟に備え付けてある時計の針の音が、胸に突き刺さるように冷たい。
「わるかったな・・・連絡遅れて・・・」
彼の理性がまだそこにあることを知って多少安堵する。首を横に振り、できるだけ深刻にならないよう努めて、言葉を発した。
「琴スケ先輩は・・・?」
「うん・・・。・・・今、集中治療室にいる・・・。さっき、看護婦に、言われて、親にも、連絡したよ・・・」
それをいうのがやっとであった。彼は細切れの言葉を絞り出すと彼の目は再び中空をさまよった。
交通事故であった。
一方通行を逆走して来た車に、琴を乗せた敬二郎の駆る原付が、引っ掛けられたことによる。
原付は大転倒の末、ずいぶん先でとまった。運転者だった敬二郎は幸い擦り傷ですんだのだが、後ろに乗っていた琴の体は投げ出され、受け身を取る間もなく地面に叩き付けられた。
自分も転げたことなど記憶の向こう。次の瞬間、それを目の端に映していた敬二郎の身体は地につかぬ勢いで彼女の元へ馳せていた。
その、彼が見たものが、一瞬にして変わり果てた彼女の姿だった。
・・・アスファルトを黒く染める流血と、ずたずたに引き裂かれた服、そして完全に断ちきられた意識・・・人形のように道路に転がった琴の姿が、今も壊れたレコードのように何度も何度も脳裏で繰り返され、まるで全身の体温を奪ってしまうかのように心を締めつけている。
凍てつくように冷たい汗が、さっきからとまらない。
そして・・・その汗をぬぐうことすらできなかった。
「俺の・・・せいだ」
血染めの絨毯をアスファルトに作った彼女には、自分の声をいくら振り絞ってもそれが届く事はなかった。
壊れる。琴が壊れる!
瞬きをしても覚めぬ悪夢に彼は不安で胸が引き裂かれそうになりながらも、必死に彼女の名を呼んでいた。彼女に擦り傷一つ残ったって彼女に対してなんとわびればいいのか・・・いや、残らないわけはなかった。皮膚が地面との摩擦で焼かれ、赤黒くすすけた肉が露呈したあの様を見ればそれは明白だった。いや、それどころか・・・。
「俺のせいだ・・・!」
大声で叫びたい。でも、実際出るのは弱々しい鳴咽だけだ。
何もできない。氷を打ち込まれたかのように嫌な悪寒の走る頭を抱えていることしか・・・。
そして美衣奈も、その様を隣で見ているしかできなかった。
少々補足すると・・・。
相手の車はそのまま逃走してしまった。怖くなったか、それともたいしたことはないと踏んだか・・・とにかく、車は接触後も速度を落とすことはなかった。
だが、その事故には目撃者がいた。
結局、車の男は後日逮捕されることになるが、とにかく、その目撃者が、完全にパニックを起こしている敬二郎をたしなめ、119番通報をしてくれたおかげで、思ったよりも迅速に事が運んだ。というわけだ。おそらくあの場にいたのが敬二郎だけなら、119番通報などという発想すら生まれずにただ、今もあの場で琴の名を呼びつづけていたかもしれない。
凍えるような沈黙と味もない空気が無限に重さを増していく待合室。
とにかく・・・待つしかなかった・・・。




