第43話:小春日和の10月に(後編)
夢を見た。
一面灰色の世界・・・。
だが閉塞間を感じる事はなく、むしろ星の瞬く夜の空の濃紺がそのまま灰色に変わったような・・・どこまでもどこまでも遠くへ広がる空間に、ふわりと浮かんでいるような感覚・・・。
「美衣奈」
自分を呼ぶ声がする。
「ピノ?」
「ああ」
彼は自分の枕元に立ってくれているように感じる。灰色の世界に浮いているのに枕元があるんだから、やはり夢だと思った。
その親友はいつものように無表情のまま、
「あのさー。お前、父ちゃんと母ちゃんが死んだ時のこと。覚えてねーだろ」
彼女が幼い頃に両親が亡くなっていたことは以前にも述べた。自動車事故だ。もう遠い記憶で、事故のことはもちろん、二人の声もしぐさも、目の裏に浮かんではこない。
「覚えてない・・・」
「あの時よぉ、おまえすっっっっっげぇ泣いてたんだぜ。死んだとか、もう会えないとか良く意味も分からないくせに、ずっっと・・・」
「ふぅん・・・」
小さくうなずく美衣奈には、二つの驚きがある。
覚えていないことが不思議なくらい大きなことなのに、自分の宇宙にはその片鱗すら浮かんでこないことと・・・そして逆に・・・ピノがそのことを知っていること。
「ねぇ、ピノはいつからあたしと一緒にいたの?」
自然、彼女の思考はそこへ行き着いた。
「その時だよ」
「え?」
その時・・・?
「馬鹿が・・・いつまでも泣きやまないもんだから、しょうがねえ・・・」
ピノの声がそこで途切れる。
明らかに次の言葉をためらっていた。
「ピノ・・・?」
名前を呼ぼうとして、ふと自分の声が出ないことに気付く。いぶかしげに喉に手を当てるが結果は同じことだった。
彼はそうなったことを確かめたかのように一度息をつき・・・そしてポツリと呟いた。
「・・・しょうがねえから、出て来てやったんだ」
出てきた・・・?
「・・・お前その日、ちょうど変な手人形欲しがって父ちゃんが買ってくれたのも覚えてねえだろ。そう、あのぬいぐるみだよ。出て来た時に俺がなんて言ったか・・・覚えてるか?」
そんなの覚えているわけ・・・
・・・。
・・・いや、覚えてる。
「そろそろハラへらねーか?」である。
美衣奈は戸惑った。なぜ、今まで砂埃にまみれて見えなかった記憶がふいに呼び起こされたのか・・・。
「お前はさ、それでやっと泣きやんだんだよ」
そう。あの時・・・ぜんぜん大声でも何でもない。どこから聞こえて来たかも分からないけど、どこまでも重い・・・その「言葉」が、涙に濡れた地面に張り付いた視線を引き離した。
「だれ?」
そこは、その後世話になることになった伯父の家だった。
目に映ったのは、妙な突起物のある、宇宙人のような面持ちのピノと、伯父が気を利かせて用意してくれた饅頭の白。
・・・鮮明になっていくあの頃の記憶の中に、まるで今、自分がいる気さえする。
その、晴れてゆく霧に浮かぶ思いは、爽快よりも、むしろ恐怖。
「俺はさ・・・お前が忘れずには進めなかった過去を隠すように生まれたんだ・・・」
忘れずには進めなかった過去・・・?それを助けてくれた・・・魔法・・・?
・・・半ば震える心で、必死に拠り所を見つけようとする。だがピノの声はその意識さえ寸断するかのような鋭さで・・・しかしどこまでも柔らかく言い放った。
「なぁ美衣奈。俺は魔法なんかじゃない」
そして、言った。
「俺は・・・・・・お前自身なんだ」
解離性障害。
催眠感受性が高い幼少期には、自分が受け止めきれない精神的苦痛があると自分を自己催眠にかけて精神的に退避をし、その事態を乗り切ろうとする本能がある。
時にはそれを努めて忘れ、時には自分を励ます人格を作り、時にはその苦痛を肩代わりさせる防衛本能であり、通常は苦痛が慢性化した時にはじめて症状として浮上するが、一時のショックがあまりに大きい場合にも見られる。
美衣奈は後者だった。事故のショックがピノを作り、そのまま発狂しかねない自分を絶望の奈落へ落とすことをすんでのところで、守ったのである。
もちろん美衣奈にはそんな知識も意識もなく、よって意味をたどることすらできなかった。
やはり夢なのだ。荒唐無稽は当然であり、どんな夢も必ず醒める。別段気にすることもなく、明日になったら彼をからかってやろうとさえ思うくらい・・・。
恐怖の中にも楽観があった。
・・・だが、その楽観が、徐々に不安に変わっていく事を知る。
「美衣奈、俺・・・さよならを言おうと思ってよ」
ピノが優しく笑いかける。いや、表情など変わりはしないのだが、声がそうだ。
「お前さぁ・・・本当に明るくなったよな。
・・・俺さ・・・本当は魔法学校もプロレスもどうでもいいって思ってたんだよ」
ずっと二人で・・・「自分」という「殻」のなかで生きていければそれでよかった。
「でも、今はプロレスして仲間に囲まれて・・・」
今まで自分にすら一度も見せたことのない表情を次々と浮かべる自分を見て痛感した。
幸せは、自分の中だけでは作れないものらしい。
「・・・俺は嬉しいよ。本当に、東京に出て来てよかったな」
気づいたのは今ではなかった。自分の中で生きることの心地よさを捨て切れずに今日まできた。
「・・・そろそろ決心しなきゃ・・・」
人間は幸せになるために生きている。そうでなくてはならない。
「もう・・・・・・寂しくないだろ?」
なに言ってんの・・・?やめてよ・・・やめてよ!!!
もどかしい。もどかしい!・・・声のでない口が、眉間が悲壮に歪む。
彼がそれをからかった。
「そんな顔すんなよ馬鹿。ただでさえブスなんだから、そんな顔したらホント、馬鹿みたいだぜ」
うるさい!!うるさいっ!!!!
哀しいんじゃない、悔しくて涙が溢れてくる。ピノはひとしきり待ってから、言葉を接いだ。
「・・・お前の気持ちはだれよりも良く分かるよ。何せ俺はお前だからさ。
・・・でも・・・ならわかるよな。俺が言いたいことも・・・」
いやだ!いやだ!!!
「・・・変な言い方だけど、今まで、楽しかったよ。本当にありがとう。
本当に変な言い方だけど、お前の中で生まれることができて、俺は本当によかったと思ってる。
頑張れよ。いつまでも応援してるから。
・・・あぁ、そうだ。お前のギター、早く聞かせろよ」
ピノが笑った。ように感じた時、堰を切ったように美衣奈に声が戻ってくる。
「ピノ!?ピノ!!」
・・・美衣奈はその声で、目を覚ましていた。
自分の部屋だ。他には誰もいない。
そういえば、ゴキブリの大軍を見せられてそれっきり記憶が途切れている。
美衣奈は自分の状況を把握するのにずいぶんと時間が掛かった。
ゆっくりベッドから身を起こし、立ち上がってみる。
別に何の変哲もない、部屋も自分も、最後に見た風景そのものだ。
やはり夢は夢だったのだ。
「・・・・・・」
だが、一つ変わったことに、彼女は気付いていた。
先ほどから、長い間日に当たることすらなかった5本の青白い右手の指が、美衣奈から一切の言葉を奪っている。
「・・・・・・」
握ってみる。握れる。それからまた広げてみる。広げられる。どんなに複雑な動きにも右手はすべてその期待に応えた。
長い間、自分の意志で動かしたことのない右手は、彼女がいつ使うようになっても困らないように、とても丁寧に手入れをしてあるようだった。
・・・涙が頬を伝う。
今なら何もかもを思い出せる。
・・・あれは、4歳くらいだろうか・・・どう考えても不釣り合いなサイズの手人形を欲しがったこと。それを大喜びして車の中ではしゃいだこと。それが原因で大事故につながったこと。後ろの席に座っていた自分が、どうやら息を吹き返したこと。そうだ・・・あたしは、事故はあたしが原因だと知ってた・・・。だから泣いたんだ。悔しかった・・・くやしかった!!!
身体が引き裂かれるような後悔!・・・なぜあの時!!なぜあの時!!!!
どうしていいかわからないまま、泣くしかなかった。そしてなにも見えなくなった時・・・
・・・ピノが助けてくれた・・・。
・・・
「ピノ・・・」
美衣奈がきょろきょろしはじめる。ピノ・・・いや、ピノの人形を探すためだ。
だが見つからない。
でもそれもなぜか当然だという気がした。だってピノは自分の中に帰ったんだから・・・。
「ピノ・・・」
どこだろう・・・どこかを眺める。
また泣きそうになる。
こらえて何かを言おうとする。
でも・・・それに続く言葉は、ついに出せなかった。
朝・・・。
朝食の時間に起きて来た糸織に美衣奈は問うてみた。
「ねぇ糸姉。ピノ、知ってる?」
「え~?ピノって・・・あれぇ?みーな、ピノは?」
糸織が驚いてみせる。
「うわぁ・・・みーなの生手だ~!すごーいすごーい!」
無邪気にはしゃぐ糸織を見て、美衣奈は一瞬、母親が子を見るような微笑みを浮かべていた。
そうか・・・。
昨日、糸姉が来たところはもう・・・夢だったんだ・・・。
真剣にそう思えた。
いや、これが例え彼女の芝居だとしても、もはや、どうでもいいことのように思えた。
「ねぇ!みんな!!見て~!!みーなの生手だよ~~!」
だってピノは、自分の中にいるんだから・・・。
そんな自分の右手をわざわざ見に集まったメンバーを迎えた美衣奈の顔は10月を迎えた今日の朝のようにどこまでも澄んでいた。




