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音が紡いだのは――

 剣は存在するが、魔法は存在しない。

 魔法は存在しないが、摩訶不思議は存在する。

 しかし、摩訶不思議が存在するのが普通で当たり前。何等可笑しくもない国、カーショウ――。


 そんなカーショウ国において。

 音楽は“食”し、“味わう”ものである。

 この国では音楽を聴くと味を感じるのが当たり前。

 味は千差万別。とろけるような甘さだったり、ピリッと舌に残る辛さだったり、蒸留酒のような深い苦みだったりと、味はその他様々。

 共通するのは演奏者の力量に応じて、美味い不味いが決まる事。上手であればある程、極上のものになり、下手――つまり音痴なら、不味くなる。



   ◇◆◇◆◇◆



 雪深いカーショウ国の南に位置するハルモニア。

 避寒地として有名なハルモニアの街の食堂で働くアザリカ・ダグラス。

 首都が雪で覆われる冬の間は父方の伯父の家、この食堂を手伝う彼女はとっても上機嫌だった。


「なんだい?アザリカちゃん、えらく楽しそうじゃないか」


 麦酒を片手の仕事帰りの常連客に、給仕を終えたアザリカは頬に手を当てて嘯く。


「そうですか?やだな、そんなつもりはないんだけどなぁ」


 指摘された通り――否、指摘されなくても機嫌は上向きだ。

 何故かって、そりゃ、今日という日が良い事尽くめなのだから当然。

 午前中に貰った休みで劇場に行って来た。歌劇の内容も然る事ながら、贔屓の歌手の伸びやかな歌声に耳も喉も大満足だった。帰り道、値段が手頃だと入った店の肉の薫製と野菜のパスタが非常に美味しかった。しかもデザートも付いていたのだ。食堂の給仕に入ったら入ったで、夕飯の賄いを好物の一つ、オムライスにしようと言われた。

 何て事無い些細な良い事と思うだろう。だが、誰もが羨む良い事なんてそうそう在るはずが無いのだ。だから、これくらいの小さな良い事の方が日々を生きていく上での糧になる、とは彼女の持論。

 それにしたって良い事が重なり過ぎた気がする。


「ふんふんふんん~♪」


 嬉しさのあまり、アザリカは無意識に鼻唄を口ずさんでいた。どうでもいいが、歌劇で使われていた劇中歌だった。

 それに気付いて、慌てて戒めるように顔を盆で隠す。

 いけない、いけない。音楽に味がするのは当たり前で普通だが、困った事もあって、――口笛だろうと鼻唄だろうと音楽に類するなら味が感じてしまう。

 折角の伯父の料理に別の味が混ざるところだった。とはいえ、アザリカは自身の歌声は音痴ではないと思っている。

 産まれて16年、今まで歌声を不味いと言われた事はないし。今も。


「仕事終わりの酒は最高だよな」

「お前さんは今日、仕事休みだっただろうが」

「そうだけどよー。じゃあ、夜に呑むのが一番なんだよ」

「結局、酒とここの飯は上手いんだよ」


 あっちでもがははっ、こっちでもわははっ。食事を楽しむ客は気分を害したて、顔を顰めたりはしていない。

 まあ、自分自身の歌声の味って分からないんだけど。


「さあ。真面目に仕事、仕事」


 夕暮れを過ぎた今はピークに差し掛かりつつある混雑時なのだから。

 気合いを入れたアザリカはもう出来ている筈の注文の料理を取りに行こうと奥の厨房に向かってテーブルの間をすり抜ける。

 そうして、動き出した途端、肩を掴まれてぐいっと後ろに引っ張られた。


「ふぇ?」


 そんな事されるなんて考えてもいなかったから、よろけて蹈鞴を踏む羽目になってしまったではないか。

 危ないじゃない、と文句を言おうとして振り返ったアザリカの目に飛び込んできたのは―――。


「キラキラしてる…」


 思わず零れた呟きが響いた。


 文字通り、キラキラと光り輝く人間が立っていた。

 光を発するが如く艶めき輝く銀の髪、月明かりみたいな優しい黄褐色の瞳を持った、白皙の美貌の多分だろうが、青年。

 ほっそりとした体躯は骨ばっていて男性でしか有り得ないのに、その容貌が中性的で、ともすれば、女性とも取れてしまう。

 後光が差す所か自ら光っていそうなこの男性は平民では絶対にない。貴族か、貴族に準ずる側の人間。入口から護衛とか入ってきても不思議じゃない。寧ろ、そっちの方が当然だとすら思えてしまうくらいだ。

 平民の店主が営む、客の九割が平民、残りは旅人という、どう転んでも貴族が訪れるはずがない、我が食堂。


「「「…」」」


 大衆食堂に現れた思わぬ闖入者、それもキラキラした美しいお方に見惚れて立ち尽くしたのはアザリカだけではない。

 客も、給仕を担当していた女将(伯母だ)も、厨房から顔を出した伯父も、あんぐりと口を開けたまま動きを止めてしまった。

 不自然に静まり返っているのに、貴族の彼は頓着する様子なく、掴んだアザリカだけを見つめている。


 壁一枚隔てた外の喧騒が遠く、食堂を支配するのは言い知れぬ緊張感。

 ごくりっと唾を呑んだのは一人や二人ではない。

 ややあって、キラキラした美しいお方は首を傾げた。

 周りの様子には気付かなくても、初対面にも関わらず自身の不作法には思い至ったらしく。


「ご機嫌よう、マドモアゼル」


 さらさらと流れるような銀の髪に目を奪われていたら、彼にアザリカの右手が取られ、甲に唇が落とされた。


「――ひいっ」


 色気とか女の子らしさとかからは掛け離れているとはいえ、悲鳴を上げてしまったアザリカは悪くない。平民の娘を捕まえて貴族の挨拶をする相手方が悪いのだ。

 多分、今までで一番の最速の動きでアザリカは貴族の御方から手を引っこ抜くと跳び上がるように距離を取った。

 カラン、と驚きのあまり手を離してしまった盆の音が遅れて響く。


「失礼。私はレイモスと申します。お見知り置きを」


 こんな状況にも関わらず、豪胆にも自己紹介なんぞを折り目正しくする貴族の御方。


「はあ、そうですか…」


 顔を真っ赤に染めたアザリカはそれしか言えない。

 名乗られてもそれがどうした。意見を述べるよりも彼女としては此処はさらに距離を取る事を優先させた。

 じりじりと摺り足で後退していたのに、貴族の御方の大股二歩で詰められる。

 ちっ、敗因は足の長さか。


「マドモアゼル、よろしければ、お名前を。いえ、それよりも先ず――」


 再びアザリカの手が取られる。細い指の繊細さを感じさせる手なのに、離さないと言わんばかりに力強い。至近距離で見つめてくる黄褐色の瞳が心なしか熱を孕んでいるような。

 これって、この流れは、まさか。愛のこく――。


「貴方の唄をお聴かせください」


 そりゃ、そうだ。こんなもんだ。

 それはそれは美しい貴族の御方が平々凡々、何処から見ても平均的な用紙のアザリカに一目惚れして、愛の告白とか物語みたいな展開なんて有り得ないだろう。

 有り得ない想像をしてしまったらしい、周囲から無言の中にも肩透かしを食らったみたいな、拍子抜けした感じが漂うが、無視してアザリカは小首を傾げる。


「唄って?」


 あまりにも唐突な、唐突過ぎる言葉に、貴族の御方から手を引っこ抜こうと苦心していたのもアザリカは忘れてしまった。

 そのアザリカの手を貴族の御方は屈み気味になった自身の口元まで持ち上げて、もう一度懇願する。


「はい、是非とも。貴方の唄を聴かせてください。その――決して上手くはない唄を」

「はい?」


 アザリカから間髪いれずに大変柄が悪い声が出た。

 しかし、彼女は悪くないだろう。初対面の人間を掴まえて、妙な事を言うそっちが可笑しいのだ。


「…今、なんて言いました?唄が下手、とか聞こえましたけど?」


 空耳かもしれないとアザリカは口元を引き攣らせながらも聞き返す。少々頭に来ているが、それくらいの分別はあった。


「音痴の部類に入ると思いますが、何故だか聴いてて心地良い、その唄をもう一度しっかり聴かせてください」


 空耳ではなかった。音痴だとはっきりしっかり貴族の御方から頷かれて肯定されてしまった。

 ヤバい、笑顔まで引き攣ってきた。

 音痴確定でアザリカが反応を返せないでいたら、周りの誰かが噴き出した。そこを皮切りに食堂がどよめく程の笑いが起こる。

 中にそうだそうだ、と同意が混じっている気がするのは気のせいかな。


「あんちゃんもそう思うかい?そーなんだよな、下手くそなのに味は悪くないんだよ」

「なんつーの、舌触りも耳障りも良いつーのか」


 急に親しげに客達が貴族の御方に話し掛け始める。笑いの発作を堪えながら、だ。

バンバンと肩を叩かれても気軽に応じる貴族の御方も失礼な事を言ってくれる。


「やっぱり、そう思います?普通、音痴な人って味も不味いはずなのに彼女のはほんのり甘く感じました」


 先程までの緊張感が嘘のような気安い雰囲気。仲良くなったのは嬉しいが、きっかけがたった今知った、アザリカの唄が下手というのは如何なものか。

 応対に困ったアザリカは叔父と叔母に助けを求めてみたものの、二人とも夫婦揃って顔を明後日の方に向けてしまった。表情は読み取れないが、小刻み肩が震えていては、笑うのを我慢しているのは一目瞭然。

 そうかそうか。叔父も叔母もアザリカの音痴は知ってた訳だ。


「何にしてもちらっと耳に入っただけなので。また聴いてみない事には。――なので、お願いします、マドモアゼル」


 唄えとは今のアザリカには火に油を注ぐようなものだ。

 下手だの音痴だの、周りからの無自覚の言葉の刃によって接客スマイルは疾うに消え失せ、表情が抜け落ちた無表情になっている。

 言わずもがな怒っている。堪忍袋の緒だって限界を――ってか、もう切れた。


「嫌」


 青筋を立てた状態のアザリカは貴族の御方を乱暴に振り払い、手の自由を取り戻してばっさりと断りを入れる。


「唄わない。絶対に唄ったりしない」

「そんな!殺生な事、言わずに唄ってください」


 貴族の御方が眉をハの字にした、この世の終わりのような嘆きっぷり披露しようが、アザリカの知ったこっちゃない。


「アザリカちゃん、可哀想だから唄うくらいしてあげなよ」

「何も経る訳じゃねーんだし」

「減る。アタシの中で何が確実に減る」


 今は収まっていてもアザリカを出汁に笑った客の言う事を誰が聞くというのか。

 内心の怒りを表すようにアザリカは仁王立ちでそっぽを向いているにも関わらず、貴族の御方は案外早い立ち直りを見せた。


「ちょっとでいいんです。さっきみたいな鼻唄でも、ね。後生だから、ちょっとだけ」


 冷やかしという名の客達からの応援を背に貴族の御方は粘る。

 そんなに頑張られても、唄わないものは唄わない。アザリカは決めたのだ、下手くそで音痴な唄は自粛しよう、と。だから、唄わない。


「ちょっとだろうと何だろうと嫌なものは嫌。それに失礼な人の頼みを聞く義理はこちらにはありません」


 相手方の身分が貴族であろうなんて事は頭の中からすっかり吹き飛んでいて。

 言い返言葉に容赦がく喚くアザリカだが、彼女は知らなかった。



 この貴族の御方との、この出逢いが後の人生を決定付ける運命の出来事であったとは――。



プロローグみたいだけど続くかは不明。

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