歩幅
どれだけ歩いてこれた?
振り替えるのは脳裏の底、、、
視界に写らない足跡は
何を見る?
小さければ小さい歩幅ほど小さな価値だろう。
大きい歩幅なら
その価値はより大きいのだろう。
その2つのどちらかの選択肢が正解なんて、、、
比べてしまったらそれまでだと知ろう。
比べて目に写るのは何か?
比べて頭に刻むのは何か?
それは結果的には「価値」になる。
価値の言葉に囚われてしまうから、、、
小さな足跡は跡形もなく消えて行く、、、
小さくて小さくて小さな歩みも
塵が積もれば山となるから、、、
その大きさを悔やまずに反らさずにその跡を見てごらん。
「確かに僕らは歩いてる」
夢は大きく希望は遥かと唱えること、、、。
その大きさは価値ではなく生き甲斐だから
小さな夢も生き甲斐となるから
狭い希望だって輝く世界を見せてくれる。
どんな自分であっても
手に届く夢や希望は必ず1つあるから。
そしてその1つを知った時
初めて目の前に夢の大きさと無限大の希望が見えるから。
それが遠くに見えても、、、
あることを忘れないで。
遠くて遠くて遠すぎる先の道も
一歩を踏んだことを感じ取って、、、
その一歩を心に感じてまた一歩を踏み出してごらん、、、。
「確かに僕らは進んでいる」
あと一歩
その一歩が踏み出せない、、、
声を震わし
歯を食いしばって涙を飲む、、、。
疲れた足は動くことがなくなった、、、
地にへばりつき
命をなくした、、、
それでも、、、歩む
あと1つ、あと1つを亡くす
今までの足跡は途切れる
それでも
それでも歩む
足を亡くしても僕は歩む
先には先にはゴールはない
始まりがあって終わりはない、、、
終わりを知ってしまえば
生きることをそこで終えると覚えてしまう。
ゴールはない終わりはない、、、
あるのは今までを飾る、
集大成、、、
小さな歩みでも遠くから眺めると
これだけ輝くんだということを知りたい、、、
小さくて小さくて小さな歩みも
塵が積もれば山となるから、、、
その大きさを悔やまずに反らさずにその跡を見てごらん、、、。
「確かに僕らは歩いてる」