part1
とりあえず仮です。
『古来より災いというものがあった。
地震、噴火、台風、雷嵐、津波、吹雪などの悪辣、苛烈な天災。
人を害し、人には抑えきれず、ただ黙してそれらの猛威を神妙に、あるいは絶望して、受け入れるしかないそれら。
嘗て、文明の興る以前の人類にとって、それらは自然を食い潰し、星に仇なす人類に対しての神罰と唱えられていた。
あるいは警鐘――星に災いもたらす貴様らという種を滅ぼすぞ、と。
中世の科学者にとって、それらの伝承は、過去の無知な人類が、理由のわからない脅威に恐怖して、理屈を付けて、あたかもそれがわかるようにしたに過ぎないと一笑する。
それからも漫然と時は流れ、災害の要旨を科学の理で説明しきっていた人類にとってはその考えは議論の種にもならなかった。
繰り返す、古来より災いというものがあった。
それは、古来の伝えには驕りし人々への罰と、捉えられ、現代では見向きもされないただの災害であったと断言する。
――が、全くもって、古代の人々の思考は、厳然なる真実だった。』
/抜粋:星命工学概論Ⅱ――序文 著:イズモ・顕盛/
世の中に善い事と、悪い事のどちらが多いのかと問われたら、そいつはどう考えるだろうか。その日の気分次第だろうか、その時の懐具合によるだろうか。
その日その時に限っては、イズモ・総一郎はこう考える。
――善かれ悪しかれこの社会は好きになれない。
別段、これといった理由も無く斜に構えるような歳でも、厭世家でもない。また守りたい主義、主張もこれといって無い。
ただ、歳を経る間に、様々な事にぶちあたり、受け入れたり、諦めずにいた。
そんな奔流の中を生きてきて、ふと、知った。
何時の間にか、物事を善い悪いでしか考えられなくなっている、頭の固い人間になっちまっているということを。そうさせた社会を。
始まりは刑務所の門前から望んだ眼が眩むような快晴で、きっかけはたった一枚の簡素な手紙に記された破滅予告だった。
「いや、世話になったな」
数年の付き合いとなった刑務所に別れを告げ、総一郎は数十分をかけて中心街に出て、道端を歩きながら悩んでいた。
娑婆の空気は美味いと、先に堀の外へ出ていった牢名主は事有る毎に言っていたが、総一郎は特段そう思わない。
むしろ空気は数年前よりも工業廃棄流体に汚れ、人体に有害な物質に近づいているんじゃないかと思う程だ。
やがて環境保全委員会の議題に取り上げられ社会問題になるだろうが、総一郎個人にとって、より重要なのは出所当日、今朝に受け取った手紙の内容だ。
――指定の場に疾く来訪せよ。渡す物が其処に在り。正しく保管せよ、なお入手せず、かつ手放したる場合、星の悪夢が醒め、人の世は滅びる――
**イズモ・顕盛**
記されていたのは父親の名前だった。
封筒の中に小型記録素子が同封されており、その中に場所が記載されていた。
こんな手紙は、普段の総一郎なら迷わず塵箱に捨てたところだが、実父の名が記されているところで、眉を顰めた。
実父から、出所当日にこのような手紙を受け取った息子はどうすればいいのか。
気の利いた冗談だと一笑に伏すか、実父の気を疑うか、どちらかだろう。
実父を知る総一郎は――清清しい朝陽の中で微かにこの世の終わりを予感した。
『罠だと判断する』
「行ってみりゃわかるだろ」
総一郎には敵がいる。
それは総一郎の容姿に不快感を抱くもの、この国にいる大勢の人間とその価値観だ。
この共和国エスタルの基幹を担うイスリカ人は金髪に赤い瞳を持たない種を人とは認めず、民族浄化も厭わない。
また逆に、その金色の異民族に怒りを抱き、この神聖な土地を荒らす者は赦さないと明言した、銀髪に青き瞳を持つ先住民族、リューベ人。
それに対して総一郎は元の黒い髪に白髪が大分混じっており、赤と青の瞳を持っている。
「罠なら行くなか?」
『ソウイチロウは行く、私は行かない。それが人間と私の違いだ。つまり訊くな』
「あっそ」
カントはずっとこうだ。総一郎の何事にも関心を示し、何事にも関与しない。ただ、一定の状況を別として。だからこの煩いのとは一応、共存はできる。和解などはとてもできないが。
「ま、成る様に成るもんだ」
総一郎はそう言って、口笛を吹きながら、颯爽と目的の場所に向かい始めた。
指定された場所は、都市の外れに位置するプラント跡だった。
打ち捨てられた工場群の中に、荒れ果てた廃屋が乱立し、ある種の迷路のようになっている。靴底でガラスの破片を踏みしめながら総一郎は注意深く周りを伺う。
壁という壁に反社会的なペイントが見当たり、偶に数人の身汚い浮浪者が道端で俯いて座っていたり、鼾をかいて寝転んでいた。
頭が痛くなる薬品独特の異臭に顔を顰めながら、総一郎は記憶を辿る、ここは元々、この国が昔の戦争で抱えた、行き場の無い占領下国民という負の遺産を労働力として使用する為に、国策として設けられた生産プラントだったはずだ。当然ながら反乱分子を一箇所に集めて、不当な扱いをしていれば暴動が起こらない訳も無く、始動して数年の内に稼動を停止した。その名残でこの辺り一帯にはこの国に居場所が無い人間達の住処となり、国からもこの一帯は再生指定区域に指定されている。
『見られている。いずれも敵意というよりも、値踏みしているようだ』
道端にいる者だけではなく、廃屋の隙間から視線を体中に浴びているのが総一郎にはわかった。
総一郎は面倒なので、なるべくそれらに目を合わせぬように早足で歩を進めた。
「ここか」
そこは倉庫だった、色褪せた板札を見て確認したので間違い無い。おそらく完成した物品を保管するために建てられたものだろう。
倉庫の周りを一周してから、錆びた観音扉を押す。蝶番がキリキリと悲鳴を上げるのを耳にしながら中を覗く。
「誰かいるか………」
倉庫内は予想外に明るい、照明が点いているのかと思ったが、そうではない。トタン屋根の天井が剥がれ、そこから日光が屋内に注がれている。
『ソウイチロウ』
声と同時に総一郎も見つけた、屋根が剥がれたその真下、差し込む日光を直接浴びている。
取り敢えず総一郎はそこで突っ立っているのも馬鹿らしいので、それに近づいていった。距離を縮める度に、なにやらガスが抜けたり入ったりするような奇妙な音が聞こえてくる。
白い長方形の箱だ、それほど大きくない、総一郎がなんとか抱えることができる大きさだ。イメージとしては金庫か、むしろ冷蔵庫に近いかもしれない。
総一郎はコンコンと叩き、精密だが頑丈な機械だと判断した。慎重に動かしてみると、そんなに重くはない、中身は空洞なのか、軽いものが入っているようだ。
『奇妙、いや奇怪? なんだ、これは………?』
カントが不分明な事を囁いているが、総一郎はそれを無視して、考える。
「親父の手紙はこれのことなのか?」
総一郎は天井の穴から見える青空を仰ぎ、呟くが、当然ながら答えは降ってこない。嘆息し、取りあえず持ち帰るかと、箱を持ち上げ、肩に担ごうとしたときだった。
『伏せろ』
ぞくりと項が逆立った。カントの声が脳髄へと鮮明に響き、反射的に床に身を伏せた。
瞬間、倉庫の壁が砕け散り、銃弾が総一郎の頭部があった場所をなぞる様に奔る。
身を伏せた総一郎の視界に壊した壁から、何者かが徒党を組んで入り込んでくるのが見えた。
「罠か………誰だよ、こんな場所に行こうと言ったのは?」
『ソウイチロウという馬鹿だ』
「は? 俺は天才だぞ?」
そう言い合う内に、銃撃が一端止み、総一郎がその場で慎重に立ち上がろうとすると、足元に銃弾が打ち込まれ、総一郎は、うおっと声を上げて、前傾姿勢のまま立ち竦んだ。
「動くな、黒い異民族、どのみち殺すが、今は動くな。でだ、その持っているのを渡して死ぬか、渡さないで死ぬか、とにかく今すぐ死ねや、即死しろ」
およそ平和とは縁の薄い無数の黒光りした銃器を一身に向けられながら、総一郎はそんな信じられない殺し文句を耳にした。
最初の銃撃により舞い上がった埃で総一郎は咽そうになるのを我慢し、目を細めて煙の先に立つ男達の様子を探る。
銃火器を武装した男達は総一郎を追い込むようにじりじりと包囲の輪を縮める。
その様子に懐かしい娑婆の空気だと総一郎は思った。
「で、なんだお前ら? これを渡して欲しいのか? 欲しいなら理由と所持金を寄越すと総一郎さんは嬉しいけどな」
『平静を保ったふりをしているが、呼吸はやや乱れ、血圧が僅かに上昇、汗腺が開きかけている。交感神経と副交感神経のバランスが悪い、つまりソウイチロウは少しだけ吃驚しているな』
………小うるさい奴だな。
出口は既に塞がれており、不意を突けば逃げ出せるような距離でもない。
それを悟ってか、武装集団の一人、銀髪――リューベ人の痩躯の男、何故か一人だけ何も目立った武装もせずにいる。年齢は総一郎と同じ程度か。
体に力を入れずにだらりと立つその姿は無防備とも見えるが、狡猾そうな容姿も相まって、飢えた犬が獲物を前にしているようだ。
「渡す理由か? ソレが必要だからだ。 死ぬ理由か? それはてめえが悪だからだ、黒い異民族、臭え、吐き気がする、悪は死ね、今死ね、即死しろ」
凶悪な顔を更に歪ませ、悪意に満ちた言葉を吐き捨てる。
そのいっそ清清しい傲慢さに総一郎は感心するが、同時に胸の何処かで、目の前の男は一生をかけてもわかり合えない人格の持ち主だと悟った。
『確かにソウイチロウは悪かもしれんな』
「俺が悪者なら、あいつはカルシウムの足りない現代っ子か」
「………あん、なんつった今、この虫けらよぉ」
総一郎の言葉を己に向けられたものだと誤解し、癪に障ったのか声に怒りを滲ませる男。しかし、その男を宥めるように仲間が男の耳元で何かを囁き、こちらの方向に目配りをすると、男は舌打ちをして怒りを納める。
「う~ん? ………なんだ、もしかしてそれほどピンチじゃあないのか?」
『そのようだ。ソウイチロウ、そいつらはソレがよほど大事ならしい。盾にしろ』
ソレというのは片腕に抱えている箱を指しているらしい。この危なそうな奴らが、凶行に及ばずに慎重な態度を取るということは、よほど重要な物なのかと総一郎は考え、カントの言葉に対して、それはいい案だと箱を盾にしようと、掲げた瞬間だった。
爆音と共に分厚いコンクリートの壁が破壊されて、細かな破片と共に黒色の装甲服を着込んだ集団が雪崩れ込んできた。
「なんだ!? 都市警備隊か………ぐあっ!」
「くそがっ、散開しろっ!!」
「なんだ?」
悲鳴が上がるやいなや、痩躯の男は目にも止まらぬ速さで駆け去ると、耳を劈く銃声が轟くと同時に、数人の血飛沫と断末魔が散乱し、身を伏せた総一郎の前に、ごろりと腹部に風穴を開けた男が内臓をはみ出しながら転がってきた。
衝撃の所為か限界まで目を剥き出しにして、苦悶の表情をして呻いており、海の中で溺れて助けを求めるように手を振り乱している。
凄まじい銃撃の応戦の中で、顔を顰めながら総一郎は四つん這いで寄り、血液のぬるりとした感覚に竦みながらも血液が抜けて軽い上半身を起こしてやる。
「どうなってんだ内部抗争か? しかし、やばいなぁこれ………おい、誰か医者を呼べよ」
誰が聞いているのかわからないが、叫んでみた。
『その行動は非生産的だソウイチロウ。臓器の大半が損失している。それはすぐに死ぬ。今なお動いているのは急性ショックによる只の反射だ』
「う~ん、しかし放っておくのもなあ、まだ俺も人だしなぁ………お~い生きてっかぁ。何か言い残すことでもあるか?」
頬をぱしぱしと叩き、呼びかける。無駄だとはわかっているが、とにかく、羽織っていたコートを脱いで止血に使おうかなと迷った時、首筋をぞわりと撫でられたような感覚を覚え、体が後ろに飛んだ。
びしゃりと、目の前の空間が弾け、赤い飛沫と細かい肉片が総一郎の顔を汚した。
『だから非生産的といったのだ』
呆然と総一郎はその場で尻餅をついていたが、頬についた生暖かい何かが垂れ下がる感触に怖気を感じ慌てて払い慌てて立ち上がる。
「うへえ」
総一郎が苦々しく顔を顰めていると、その場にそぐわない妙に楽しげな声がした。
「ほう、避けたんか。愉快、愉快、そうでなければこの業庵めが足を運んだ意味も無し。それにしても、案の定、何かしらが関与しおるか。でなければソレを此方から盗み取ろうなぞせぬか、のう血臭牧師殿」
「汚らわしい、軽々しく私の名を呼ばないで頂きたい生臭坊主殿、そして私にはロンメル・トリエスタ・ジスターヴィアという我が神に与えられし聖名があるのですよ。奇怪な呼び方をしないでもらいたい。加えて何が愉快、愉快ですか、何もかも不愉快ですよ」
止む事のない銃撃の中を、散歩するように割って入ってきたのは奇妙が人間の皮を被ったような二人組み。
片方は禿頭に頬の肉を吊り上げて、満面の笑みを浮かべている中肉中背の壮年の男。黒と茶色の羽織を重ねたような格好は、かつて絵画で見た倭尊の民族衣装に似ている。
もう片方は長く伸ばした白髪を結い、黒縁の眼がねの位置を忙しなく直して眉間に皺を寄せている痩身長躯の紳士。格好からは牧師と呼べなくもないが、問題は目に痛い程の赤に染められた牧師服だ。
「かんら、かんら、この業庵、人生すなわち道楽と肯じておるでな、まま、ここは一つトンネル殿の懐の深さを見せていただきたいとこですな?」
「トンネルじゃねえ! ロンメルだ! その禿げた頭皮もう一枚剥いて焼鏝で十字を刻みますか、ああ!?」
「いやいや冗談に御座るよ、ロンメル殿。おや? しかして、ESP探索機になかなかの猛者が掛かっておるのう三、いや二、一? 拙僧のはガタがきておるのか?」
「いえ、そうではないでしょう。私のもその範囲で変わっていますから。一つはアレで、もう一つは向こうにいる狂犬でしょう。とすると足りませんね………やはり故障ですか」
呑気に話を続ける二人。まるで、総一郎が既にここから逃げ去ったかのように、無視する。総一郎などいてもいなくても同じということだろう。
(馬鹿にしくさってまぁ)
一見にしてその二人組みは隙だらけだが、滲み出る不吉さと、総一郎の中にいるカントの所為で嫌でもわかってしまうものだ。
『舐められているな、ソウイチロウ』
「むしろ舐めてみるか。おいあんたら、この総一郎さんを無視するとはいい度胸だな」
声に気がつき、その二人組みが総一郎の方に揃って向くが、どちらとも、訝しげな表情を総一郎に向ける。
「まだいたのか御主、何処になりと帰るがよい。拙僧、無駄な殺しは好かぬが、殺しは大好きなのでな」
禿頭の男が総一郎に対して、言外に去れと言っているのだが、総一郎は鼻を鳴らし、さも偉そうに腕を組む。
「ハゲが何を偉そうに。ちなみに後ろの箱は、なんだか金になりそうだから渡さん。それと………ああ、思い出した、金銭を要求しとこう。俺が先程、心優しくも介抱していた奴を殺したのあんただろ。つまりあんたは後で奴に請求しようと思った治療費を俺に払わなければいけない訳だ。さあ、献上しろ」
「はて? もしやして、御主この足元の肉片のことを言っておるんか?」
爪先で血がこびり付いた床を踏みながら、心外そうに禿頭の男が顎を撫でる。
「そうだ、そいつはもう動けなかったんだよ」
「こやつ、御主の友だったのか?」
「俺に友達はいないな」
「………………知り合いかの?」
「いやいや。銃を突きつけてきた相手で、知りもしない奴だったな」
その総一郎の本意が届いたのか、奇妙な二人組みは暫し虚を突かれたのか真顔になる。
「つまり御主は何か、見ず知らずの、そればかりか、命を狙ってきた人間を拙僧らが殺したから、その分の医療費を払えと」
「その通り。ハゲの癖に物分りが良いな、褒めて遣わそう」
「「………」」
押付けがましいという次元を超えた総一郎の物言いに、呆れたのか、二人とも真顔になり沈黙する。そして間も無く二人とも顔を俯かせ小刻みに体を震わせ始め、くぐもった笑い声が聞こえ、それは段々と大きくなってきた。
「ぶわははっははっははっはは! もう辛抱たまらん、ぐはははははっ!」
「くっくくくく、業庵殿、幾らなんでもくくく、それは彼にくく失礼ですくっくくく」
禿頭の男は涙を目尻に湛えて、鯖折りになりながら腹を抱え、大口を開けて豪快に笑い、対して牧師姿の男は首を横に背け、眼がねを指で押さえ、口を閉ざそうとしているが、上手くいかずに声が漏れている。
『ソウイチロウ、私もソウイチロウの言葉は愚かしいと判断し、支離滅裂の一言に尽きる。その人間どもが笑いを醸すのも道義に則ったものだろう』
「なに言っている、本来なら医療費に加えて迷惑料まで貰うところだけどな、俺は善人だからそんな詐欺紛いの事はしない訳だ。どうだ、尊敬したか?」
『敬い尊ぶ要素が皆無だ』
やがて、身の振る舞いを正した牧師姿の紳士が、おほんと喉を鳴らす。
「ふっ、済まなかったな青年よ、静寂を尊ぶ我が神の忠実なる牧師たる私も、君の明け透けな要求には驚嘆せずにはいられなかったのでね」
「いやいや、ロンメル殿、驚嘆ではなく思い切り笑っていたではないか、ぶはっ、いかん、拙僧またまたツボに………」
またも、笑い出した禿頭の男に何か言うべきかと、総一郎は思案する。何か口にする前に禿頭の男が目を細め、何やら懐かしむような目を向ける。
「羨む限りかのう、拙僧らに向かってのその豪胆さ、この国におって、御主のその容姿を見れば大体の境遇はわかっとる。まあ、だからこそ、その訳がわからん物言いなのか。とにかくよう生きてきた」
禿頭の男は懐から扇子を取り出し、ぺしぺしと自身の頭を叩きながら喋り、牧師の紳士もその話に同意するように頷いている。
「にしても、振る舞いでわかるぞ若人。拙僧らを目の前に、傾いてるように見せてはいるが、その実、ワシらの隙を探っておる。いやなに、笑ったのはな、拙僧ら外道を外道と悟りながらも、真っ正直に御主自身の豪胆さを露呈してしまった迂闊さ、それ故、拙僧らにこやつを逃しては、後に禍根となると思わせてしまった不幸振りに――笑ったのよ」
扇子が勢いよく閉ざされ、禿頭の男が扇子を自然な動作で前に突き出す――その前に総一郎は反射的に身を捻り、床に転がった。
鋳鉄を槌で押しつぶすような鈍い音が爆ぜ、僅かにだが倉庫全体が揺れた。
「ほ? 避けおった。肉塊になったかと思ったが、なかなか、どうしてやるのう」
「吃驚したぁ………うお床が凹んでるぞ!? なんだよいったい………?」
転がった先で受身を取り、立ち上がった総一郎が見たのは、大きな椀状に窪んだ床と、先程とは様子が打って変わった禿頭の男――の背後に現れた異形。
「ううん? ガーディアンシステム………? あのハゲはイセル人じゃないだろううに………」
禿頭の男の背後に浮かぶのは、鉄の肌と鋼の肉に覆われた機械の腕だった。鎧のように幾重にも張られた金属板が重々しく靡いているのに、まるで質量が存在しないかのように宙に漂い、幽鬼の如き様を呈している。また、篭手に握り締められた六角杖の先端から、ぱらりと落ちる床の破片が、先程の轟音を撃ち鳴らした凶器だと物語っていた。
「なんでGSを使えてんだあのハゲは?」
『不可解、しかし現実だ』
Gurdian System――通称GS、およそ十年前に開発された、超微少尺度の機械素子として開発されたArtificial Paticle――模造子を兵装として応用した武器だ。
このエテオルカの主たる地域には模造子が至るところに散布されており、GSは使用者の脳に銘記された設計図に準じて模像子が結合し、組み立てられ、兵器として形を成す。
模造子の散布密度が十分な場所ならば、何時でも、何処でも、空間を工房として取り出すことができる。子供でもその凄さがわかるくらい、極めて汎用性の高い兵器だ。
ただし使用者はある一定の脳力値を持ち、訓練を受けなければ操作はできない。そして、一番重要なことは、このGSはイセル人以外が使うとデータの転送時にバグが生まれ、膨大な情報量が逆流して脳が焼ききれてしまうことだ。
だから異常なのだ、明らかに禿頭の男はイセル人の容貌とは異なる。
「因果よのう、数年振りに見た同郷の者を殺さねばいかんとは。これも血を好んだ倭尊の民の定めな………おい御主、抜き足差し足で出口に向かうな。坊主の説法は最後まで聞くものぞ」
わざわざ隙を与えてくれたのに、逃げない阿呆がいるかと、箱を肩に担ぎ、総一郎は全力で走る。
「逃がすかあぁぁぁぁ!!」
『捕まったぞ』
凶暴な怒声が倉庫に反響し、唐突に総一郎の身体が浮かび始め、足が宙を切る。
「おい苦しいぞ、どうにかしろカント」
『迂闊にも程がある』
総一郎は箱を担いでいられず、床にガシャンと落とす。
全身に万力で締め付けられるような圧力がかかり、かはっ、と口元から息が絞り出された。
「虫けらどもがあ、人の獲物を横取りしやがって! 惨殺決定だあ!!」
出口に立ち塞がったのは、全身を返り血で染めた禍々しい姿の男、イスリカ人の主格の人物だった。血を見て興奮しているのか、目が血走り、尖った犬歯が目につく。
「まずはテメエからだ虫けらその1がぁ! 吐瀉物になりやがれ!」
蜘蛛の糸に囚われたかのように宙でもがく総一郎に手を向け、その手のひらを段々と握ってゆくと。何かが軋むような音ともに、総一郎の顔が苦悶に染まってゆく。
………禍災人か。
『ソウイチロウ、左肩の上を狙え、“集約点”だ』
視界が白く染まる中、見えぬ束縛に抗い、意思を力として右腕に込め、身体を捻り全力で叩きつける。拳に堅い感触を覚え、ぱりんと力の固体が粉々に砕ける音がした。
地面に両足で着地した総一郎は、たっぷりと新鮮な空気を肺に入れながら、男の信じられないといった顔を見た。
「なにか面白いものを見たのうロンメル殿、あの狂犬の縛りを簡単に抜けたぞあの若人」
「ええ、ESP使いでも、GSを使っている訳でもなさそうですね、彼。ただの力まかせでも無理でしょう。もしかしたら、かなり興味深い人材なのかもしれませんね」
「なに、ごちゃごちゃ言ってやがる、偶然に決まってるだろうがよぉ! テメエらから先に潰してやんぞ!? 糞蝿どもが!」
「………ふむ、飼い主のいない畜生を躾けるのも、人たる拙僧らの役目ではあるな」
「それについては是非も無いとこですね」
「ああ!?」
箱を脇に抱えて、壁に背を預けた総一郎は、その二組を見据えため息をつく。基本的に総一郎は、好きな事は好きなだけするが、争い事と、面倒事は嫌いだ。
「なにか俺、服役中に悪いことでもしたか………?」
『ソウイチロウ』
――冷たい声だ、感情の無い音の繋がり、まるで機械が人の声帯を真似したような。ぞくりと、脳髄に尖った氷柱を直接差し込まれたような気分になる。
『これ以上は我々の生命活動に関わる――その肉どもは処理してしまのがよい』
「うわっ、てめ………」
よせ、と総一郎が叫ぼうとする前に、身体がソレの兆しの所為で痙攣し始める。体内が熱を帯び始め、細胞が異なる組織へと裏返ってゆく。脳からの命令と総一郎の意思が反律し、視界が強烈な白熱に覆われる。総一郎は爆ぜそうな力の衝動に耐え切れず、四つん這いになり口元から唾液を吐き出す。
その様子を見据え、痩躯のリューベ人が目を細めて静かに呟く。
「………なるほどなぁ、こいつも訳ありってことか」
その場に合間見ていた二組、計三者とも、戦人としての本能からか、場の雰囲気が肌の痛む程に緊迫している事を感じ取り、それが総一郎の豹変から生まれていることを悟った。
ある一個の生命体として持つ信号が、生存から排除へと変わっていく。総一郎は幾度も通過したその過程を理性で踏み留める。
腹の底からこみ上げる胃液を気合で押し戻し、奥歯を軋む程に噛み締める。
「うおいっ、それは気持ち悪いから嫌だと言ってんだろ………カント!」
『盟約違反だと言うならば、この状況で生存を危ぶめているソウイチロウが盟約違反だ』
「………好き勝手するなよ」
脳内に絡みつく信号線を捥ぎ取るイメージで身体の制御を無理に奪い返す。
額から流れる汗を拭い、肩を大きく上下させながら、どうにか立ち上がる。
『相変わらず不可能な事を無理やりするものだ、後遺症が残るぞ』
うるさいと、総一郎が口を開きかけた時、強烈な白光が天井を突き抜けて降り注ぎ、その熱と眩しさから両腕を交差して顔を庇った。
――舞い降りたのは白煌の剣。
破壊を孕んだ光の向こうに、それが現れた。しかし、閃光が収まり視界に入ったのは、それと似て非なる、銀色を帯びた機械仕掛けの天使だった。
それは兵器、人を傷つけ、物を壊す、ただそれだけに特化した存在。
美学も芸術も知らない、それでも総一郎はそれを綺麗と言わず、なんと言えばいいのかわからなかった。
金属の装甲は刃物のような鋭さと、真円を髣髴させる滑らかさ、その矛盾する二つの要素を含んでおり、纏う雰囲気は刀匠が拵えた白刃の如き呈をし、なお触れ難い。目に映るその色は、光という純粋な概念だけで構成されたような、無垢なまでの白。透き通った硝子の如き光の輪を背に負い、静謐の中で浮かぶその姿は、神の御使いと見紛うもの。
バニッシャ――誰かが震える声でそう呟いた。
『あれは強い』
そのバニッシャと呼ばれた機械の天使が厳かに手を翳すと、傍らに小型の砲台が現われ、その砲塔から収斂された光弾が総一郎の背後に発射された。
身構える暇もなかった総一郎は、背後に衝撃を受け蹈鞴を踏む。おそるおそる振り返ると壁に穴が開き、外の景色が覗いていた。
視線を感じた総一郎が振り向くと、バニッシャの目線が総一郎を捉えており、なんだと、口にするより早く、総一郎を庇う様に背を向け、突然の事態に動けずにいた倉庫内の集団に対して、二つ、三つと砲台を増やし、眩い光が倉庫内に溢れ出す。
『逃げろ、ということだな』
好機――箱を肩に担ぎ、開いた穴を駆け抜けるやいなや、背後に轟音と爆風を感じた。
/Sight―Change/
世の中に善い事と、悪い事のどちらが多いのかと問われたら、その人はどう考えるのでしょうか。その日の気分次第でしょうか、その時の懐具合によるでしょうか。
その日その時に限っては、土岐奈・エスターノはこう考える。
――善かれ悪しかれこの社会は続いていく。
それでも意外と早く終わりは来るかのかもと、土岐奈が再考したのは、布団の中ですやすやと熟睡していた早朝のことだった。
「政府のとある末端機関が保持および研究していた、危険指定9、都市が壊滅する攻撃性を保持する生体兵器、通称“クラックリフル”がとある組織に強奪されてしまったのは、二日前。そんで、そのとある組織を追跡し、そのとある生体兵器を秘密裏に確保せよと、私ら――第七特殊作戦部隊に上層部から命令が下ったのがさっきのことなんだよねえ、ふわぁ……眠い」
都市の存亡を左右する重大な事件を、気だるげな声音で説明される世の中はなんと危ういことかと、土岐奈は二度寝の微睡みの中でぼんやりと社会を憂いた。
………そういえば今日は愚兄が堀の中でのお勤めを終えられる日では。
午前、眠気の未だ醒めないアカデミーの授業中、間延びした雰囲気が講義室に蔓延する中、土岐奈がその事実に気がついたのは、暇潰しのペン回しに失敗したときだった。
………にしても、あの愚兄は世紀末まで大人しく刑務所にいてくれればよかったにのな。そうすれば己の心の平穏は保たれ、世界は滞りなく平和に………なりはしないか。
土岐奈は燦々と日光が降り注ぐ外の光景に瞼の閉じそうな目を移し、窓を通して草むらから一匹の猫が現われ、その場で気持ちよさそうに寝転げ始めたのを見た。
この界隈を取り仕切っているボス猫だ、この時間になるといつも校舎に入り込み、ああして戯れるのだ。まるで、この場所は俺様の領土だと言わんばかりに、縦横無尽に転げ回る。
ふと、そんな土岐奈の目線に気がついたのか、ボス猫は茶色い体毛を巻き込みながら、俊敏な動作で立ち上がり、首を教室の方に回して土岐奈に目線を向ける。そのまま前足を上げ、柔らかそうな肉球から、キラリと光る爪を取り出し、土岐奈に向けて威嚇するように宙を掻く。
――お嬢ちゃん、これは玩具じゃないんだぜ、とそのボス猫が言っているように土岐奈は感じた。
舐められたものだと、近所の猛者猫達に対して、拳で王の如く君臨していたあの若かりし絶頂の日々を思い出す。
「是非も無い。その勝負、受けて立とう」
勢いよく立ち上がった土岐奈は、ピクリと身構えたボス猫に対して、あまりにも恐ろしい威力から自身で封印した秘奥義――猫八掌の構えを取った。
「………スターノ君」
「さあ、一手馳走。この構えを取らせた己に、死角はない」
「エスターノ君、何をやっているのかね」
傍らに立っているのは、最近、奥さんに逃げられて、頭頂部の抜け毛が目立つようになったカカラン教諭だった。何か可哀相なものを見る目をしているが、俺の周りにはそのような情感を催す存在は見当たらないので、なにかの勘違いだろう。
「愚問です、カカラン教諭。見てわかりませんか。俺は今、あの猫に対して霊長類を代表した聖戦を挑んでいるのだ」
「ほう、それでその猫はなんと言っているのだね」
土岐奈は窓の外に目を向ける。しかし、そこには既にボス猫の姿はなかった。
「………ふむ」
土岐奈はいったん首を傾げ、振り返り、ぴくぴくと青筋を立てたカカラン教諭と顔を合わせ、秘奥義――猫八掌の構えを取った。
「にゃあ」
『え? とある何々だけじゃわからないだって、そうはいってもねえ。上からのお達しがそれだけなんだもん。じゃあ、どうやって奪われた物を取り戻すかって? 簡単、簡単、ようはその盗んだ組織の居場所がわかればいいんだよ。蛇の道は蛇ってね。つまり、同じようなテロリスト、反科学団体“ナチュラルフォース”、イスリカ人による民族再興を謳った武装集団“紅牙”、違法科学狂壇“ディアボロス”とかにね、その生体兵器が強奪されて、どこかの組織が持っていますよって、情報を流すわけよ。そうすると、あら不思議、テロリストさん達は、その生体兵器を占有したいから、我こぞってその生体兵器を持っている組織に接触しようとするでしょう。それに彼等は血気盛んなお年頃だから、ドカーンと爆発が起こるような事件を、組織の間で起こす筈なのよ。そうしたら、その生体兵器が何処にあるかすぐわかるでしょ? ほら解決。あ、大丈夫だよ、もう情報はじゃんじゃん流したから。後は、果報は寝て待てってね。え? 秘密裏にという事では? 大丈夫、こっそり回収すればいいじゃない。なに? その生体兵器の場所がわかったとして、危険なテロリスト達の手に渡ったら本末転倒じゃないかって? う~ん、私、難しいことはわからないや、えへ☆』
とても有難い助言とサポートを受けて、土岐奈は深い脱力感を覚えた。
「………うむむ、どうしたものか」
「あの………何かあったの、土岐奈。今日は何時にも増してぼんやりしている気がするけど」
ボス猫との対峙について、教諭の研究室で熱く弁舌し終えた土岐奈が講義室に戻り、そう呟くやいなや、声をかけてきたのは、落ち着いた物腰の少女だった。
額に琥珀色のカチューシャを着けた、深い藍色の髪を腰にまで流したその少女、肌を見せるのは苦手と、踝まで隠れる丈のスカートを靡かせ、それに反して土岐奈のクラスメイトとは思えない、たおやかな体つきを制服の下に隠している。楚楚な仕草も相まって、土岐奈と比べると随分大人びて見える。
「………この娘はわたしの竹馬の友、ウェレン・シルナート」
「え? えっと、御紹介に預かった、竹馬の友のウェレン・シルナートです」
慌ててウェレンと呼ばれる少女が、照れくさそうに頭を下げる。
「どだろうか、皆の衆。こちらが少し褒め称えた程度で竹馬の友と名乗り上げる傲慢さ、心は我侭、体も我侭。なんと世を舐め腐った娘か」
「誰に話してるの?」
「誰でもない己にだ」
「土岐奈は土岐奈だよ?」
「………疑問付与の正論とは怖い、なんと末恐ろしい娘なのか」
「娘って………土岐奈の方が私より一つ歳下。歳上の人を娘呼ばわりはいけないよ」
「お嬢様の理論武装とは………隙が見当たらない。どうすればいい………」
「あのさ、お嬢様は学長の娘の土岐奈で、私は一般の家庭なんだけど」
困ったように微笑むウェレンの容姿は、土岐奈の目から友情成分を抜きにしても綺麗だ。
これならば、例え髪の色が金髪でなくても、引く手数多だとは思うが、浮いた話はとみに聞かない。しかし、ふと土岐奈は仄かに甘く漂う匂いに気がついた。
「………ウェレン、今日は香水をつけているのか? 何かおいしそうな香りが」
土岐奈は驚き、ウェレンの膨らんだ胸元に顔を寄せて、くんくんと鼻を鳴らす。
「あ、え、あの、その、今日は………久しぶりだから」
身を庇うように、土岐奈から離れたウェレンは、しどろもどろになりながら曖昧な返事をする。
「………? そうだな、ウェレンは綺麗で、我侭ぼでぃなのだから偶にはよいかもしれないな。確か香水をつけた女性は、男性にとって一発憤死ものだと、本にも記されていたな、理論も実戦でも万全とはこの事だろう」
「い、一発だなんて、あの、ダ、ダメだよ土岐奈、そんなはしたない事………言っちゃ」
ウェレンは発言途中で周りを見て顔を赤らめ、声をすぼめながら土岐奈に耳打ちする。
「はて、よくわからないが、確かに香水を付ける事は校則違反だが、恥ずかしがるようなことでも………む、ウェレン?」
「………」
話の途中、ふと気がつくと、ウェレンが視点を何もない場所に固定して、上の空であることに気がつく。またか、と土岐奈は思った。ウェレンがこのようなそぶりを見せると次にすることはわかっている。
「………あ。あの土岐奈、用事を思い出したから、今日はもう帰るね」
土岐奈が頷く前に、ウェレンは荷物をまとめて、やや早足で講義室から出て行く。その突然の行動を見送った土岐奈は感慨深げにこう呟く。
「ウェレンは不思議っ子だなあ………」
土岐奈が事件についての連絡を受けたのは、気が乗らないと午後の授業を抜け出し、公園の池の水面をぼーっと覗き、水中で泳ぐ鯉達の潜泳アルゴリズムと金魚のそれが、同一のものなのかと思いを馳せていた時だった。
『ID:50214587 第七特殊作戦部隊員 トキナ・エスターノ ***照合完了***
――緊急都市警報:第六再生指定特区、ナショナルプラント跡内にて、原因不明の爆発を確認後、高密度AP反応を検知。国賊による内部抗争との情報在り。現場に急行する都市警備隊は、クラス3のGS装備及び使用を許可』
その情報を携帯端末の液晶画面から見た土岐奈は、例の事件だと直感した。面倒ですね、と立ち上がりながら、土岐奈は地図を見てうーむと首を捻った。
「困ったな、ここから走っても間に合いそうにない。聞かなかったことに………」
「土岐奈こっちだよ!」
公園内によく響き渡るその声に、振り向いた土岐奈が目にしたのは公園の道端に止まっている部隊の偽装車だった。
走り出し、細かに振動する車内、中は様々な機械の部品とケーブルで埋め尽くされていた。
「………ナイスなバッドタイミングだぞ、ロン」
偽装車に乗った土岐奈は、作業服を着た栗毛の少年にほんの少し頬を膨らませてそう呟いた。
「え、いいタイミングだったでしょ?」
何のことかわからないと、ロンと呼ばれた栗毛の少年は首を捻る。その少年は土岐奈と同い年程度の顔つきで、線の細い体つきをしていた。くわえ込んだパイプの位置を直し、内部に接続された筐体に向かって、凄まじい速度で都市警備隊のネットワークにアクセスしていた。
「その通り。もう少しで、鯉と金魚の潜泳アルゴリズムの違いが解析できそうな瞬間だった、ロンがあそこで声をかけたので全てご破算だ、どうしてくれようかこの始末」
そう言いながら土岐奈はぽすぽすと少年の頭にチョップをし続ける。少年は頭に感じるくすぐったい衝撃に構わず、作業を続けながら土岐奈の話を聞く。
「う~ん………あ、黒飴舐める?」
「黒飴美味しい」
あまあまと、土岐奈が欲張って口内に黒飴を三個含んで、幸福に浸り頬を緩ませていると、ロンが顔からデバイスを外してふと口ずさむ。
「すごい事になってるよ、なんだか現地の情報提供者が言うには、“紅牙”と“ディアボロス”がその生体兵器の取り合いに参加しているみたいだね」
「ふぁ、しょりぇはたふん、びゅたいひょうの――以下略(ああ、それは多分、部隊長の所為に違いない。あのアッパッパ隊長が何をトチ狂ったか、情報をテロリストの強面さん達に御提供したらしいな)」
頬袋に餌を蓄えたリスのように頬を腫らし、土岐奈は誰も意に介さないであろう言語を喋るが、ロンは納得したと言わんばかりに返事をする。
「ああ、成るほど。だから今朝からアングラが炎上していたんだ」
「ひゃったく、なんほまぬへひゃ………――以下略(まったく、なんと間抜けな………ごほっ!? の、喉に詰まっ!? み、水!!)
「はい、水」
ロンは画面から目を離さずに、飲料水入りのペットボトルを背越しに手渡しする。土岐奈はそれを慌てて受け取り、喉を鳴らして飲み込み、急を脱すると、ぜぇはぁと、肩を上下させて、涙目でロンの背を睨む。
「………ロンはあれなのか、実は飴玉を用いて相手に窒息死を促す、そんな暗殺術の流れを汲み取る一族だったり………」
ロンは目線を画面に向けたまま困ったように苦笑いを浮かべる。
「う~ん………あ、黒砂糖舐める?」
「黒砂糖美味しい」
今日一日の糖分を摂取してしまったと後悔した土岐奈は、ロンのすぐ隣で制服の上下を脱ぎ出すと、すぐに下着だけの姿になり、滑らかな胸部から腹部をじーっと見つめ、先程の糖分が既に付いていないかを確認する。
「………乙女とは難しいものだ」
「乙女は男の前で平然と下着姿にはならない気がするよ」
ロンが苦々しげに呟く。
「誰が起伏の無い身体か、失敬な」
「ああ、そこらへんに服を脱ぎ散らすのはやめてね、皺になるとアイロンするの大変だよ?」
「構わない、どうせロンにやらせるから」
「………いい加減、僕の部屋まで洗濯物を持って来て、洗わせるの止めない土岐奈?」
本気で嫌がっているようで、ロンは形の良い眉を顰める。
「失礼な、こんな美少女の下着を洗える事に感謝することはあれ、迷惑がられる謂れはないとも」
「身体の一部が微小女はいるけど、美少女は見当たらないよ」
「………ロンはセクシャルハラスメントについて知っているか?」
「土岐奈が防護服を着たら、ネットで調べてみるよ」
………昔はあんなに素直だったロンが、何時の間にか口煩い人間に、誰の所為だろう。甘いものを食べすぎて、虫歯になるがいい。あれ、なんだか奥歯が痛むぞ。
土岐奈はいそいそと、支給されたラバースーツに似た、衝撃吸収服を着込む。肩でそろえた滑らかな黒髪を挟まないよう、首元までジッパーを上げ、対銃撃用装甲ジャケットを羽織り、準備が完了する。
「それで、件の兵器について、現在はどの組織が保有しているのだ」
「いや、それなんだけど………目下走査中なわけで」
言い辛そうに答えるロンの返答を真っ向から斬る。
「ふふん、つまりロンは役に立たないと」
「そい」
「うひゃぁ!?」
土岐奈は脇腹を思い切り貫手でつつかれ、奇妙な叫び声を上げて、床に膝を付いて四つん這いにり、突かれた部分を押さえて、ぷるぷると痙攣する。
「な、なにをするか」
足元で悶える土岐奈を一瞥もせず、ロンは話を続ける。
「でね、それとは別なんだけど、爆発の前に白い光が空を飛んでいったって情報があるんだ」
すくっと立ち上がった土岐奈は、ロンの目を見て、眠たげな瞳を更に閉じる。
「………十中八九、“バニッシャ”。事件が起こるたび、現われるのだからいい迷惑だ」
“バニッシャ”、政府の公式情報では約二、三年前から突如として現われた、機械天使。目撃された情報から、桁外れの運動性能、正体不明の兵装に加えて、アカデミア開発部署でも構想段階にある飛行ユニットを備え、従来の技術水準を遥かに上回った機構を連用された存在。現在は全身装着型GS、Gurdian Force――GFであること程度しかわかっていない。
その存在は正に破壊の一言に集約される。現われる場所や時間帯、目的は様々。政府の公的機関の要所を強襲したり、アカデミーの科学研究所を施設もろとも爆破したりと、政府に対するテロ行為かと思えば、テロリストの根城に現われ、構成員を全滅させたり、人身売買の現場に突貫して事件を解決させたり、車に轢かれそうになった子供を間一髪で救ったりと、善とも悪とも取れる行為をする。しかし、現われた場所を悉く破壊し尽す事だけは同じだ。
第7特殊作戦部隊は、部隊結成の性質から、今回の事件以前から、“バニッシャ”の捕獲、及び不可能ならば完全破壊を命令されていた。
土岐奈は瞼を半分開き、澄んだ青い瞳でロンを見据え、決断する。
「ロン………やっぱり面倒だから、帰らないか?」
その気だるげな言葉にロンは微笑み、きっぱりと断言する。
「帰りません。それに、危険指定の生体兵器はやっぱりどうにかしないと、都市人口の十分の一が全滅しちゃうよ。それでいいの?」
「別に少しくらい減っても気にしな………」
「いいの?」
言う事を聞かない子供を諭すような口調でロンは言葉を続ける。
「………気にするとも」
しょんぼりと肩を落とした土岐奈は、嫌々な声で返事する。
「そう。僕は気にしないけどね」
何の邪気も無い、朗らかな少年の笑顔でそういった。
「………ずるいぞ」
「あ、そろそろ着くよ、もう一つの準備もしてね」
第六区のその一角は混沌に満ちていた。相次ぐ爆発音、鳴り響く銃撃、白く煌く閃光、不協和音の如く響き渡る悲鳴、波及していく浮浪者達による暴動、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人の群。
日常的に犯罪、凶行が跋扈する第六区でも、大規模テロ集団同士の争いに、恐怖の的である“バニッシャ”の出現は目に余るものだった。
そんな札付きの犯罪者でも逃げ出す戦場の震源に向かい逆走する、一つの影があった。
それは人型を模した機械、芸術家が羨む卓越した美麗さと、緻密な外形に、機械独特の重厚さを兼ね揃えた機体。蒼純の装甲に包まれた内部は、人体の稼動領域を最優先し、操縦者の運動を、極限まで殺さず機体に伝える為に創造された、この世で只一つの機体。武装は不要、あるのは腕部に格納された切断仕様の硬金属ナイフ一振り。背面から噴出す気炎により、熱された空気が陽炎となり地面に一筋の影を落とす。脚底部に円形の紋様を展開させ、地面を滑るように疾駆するその姿は、一個の生命体。
『土岐奈、そこの三つ目の角を右だよ』
機体内部の音声素子からに流れた声に、土岐奈は反応する。
「了解だ、ところでロン、なんだか、今日の刻龍は随分と荒れているが、どうにも脚周りが浮つくぞ」
刻龍――土岐奈が搭乗している特殊なGFだ。内部で操縦する土岐奈は、内部の緩衝材に包まれ固定されるが、息苦しいという事もなく、やや締め付けられる程度の感触を受けている。GFの中枢部と土岐奈の脳が間接的に接続してあるので、外部センサーが捉えたデータは処理され、土岐奈の感覚器にフィードバックされる。その為、内部にいる土岐奈は、己の身体が金属の血肉を纏ったように錯覚でき、直接外部を見ることができる。
『あ~いや、少し駆動部分の制御算譜を新しくしたんだけど、突然だったから試しが終わってなくて、なんだかなぁ、伝達機構が上手く噛み合わなくて、力の調整がイマイチ』
「ほぉ、つまり?」
どうにも要領が掴めないので、結論だけを促すことにした。
『爆発したらゴメンね』
「なんと!?」
つい、機体に乗ったままその場で転げそうになるが、慌ててバランスを取る。本当なのかと問い質そうと土岐奈が喚こうとした時、先んじてロンが叫ぶ。
『土岐奈、十一時の方向に高密度AP反応!』
「ですね、そっちに白い光芒が見えました。うむ? 今………なにか?」
ふと、外部センサーの察知枠が視界に現われ、消えた。直ぐにエラーだと表示される。
『どうしたの土岐奈?』
「………ロン、外部感応系統も故障しているぞ、きっと」
え、嘘と、現場より離れた偽装車の中で驚くロンの声を耳に流し、巻き上げられた埃の反射だろうと土岐奈は結論付ける。
『故障は後で直すけど、土岐奈は直せないから気をつけてね』
「おや、これはいい事を聞いたな。ロンにも直せないものがあると」
『ああ、土岐奈のお馬鹿っぷりとか治せないなぁ』
「は? 己は天才だぞ?」
『うん、治せないや』
/Sight Out/
空気は鋼色に染まり、悲鳴を上げるように締め付けられていく。鳴り響くのは、命を削り弾き合う金属音。渦巻くのは闘争を満たさんとする敵愾心。溢れるのはその情景を彩る紅き炎。三つ、四つの影が、地上を這い、屋内を飛び交い、宙を舞う。
その一つ影、白き機械天使が戦端を開くように、空を飛翔し、光の矢を驟雨の如く地上に降り落とす。
その間、真上から注がれる、絡み合った光の束の中を縫うように疾駆する影が一つ。翻る袈裟を押さえ、飛来する破片を杓杖で弾きながら、倒壊し積み重なった廃材を踏み場にして、飛翔する機械天使の背後へと駆け上がってゆく。その跳躍力と俊敏さは人なる身とは思えぬ程。
「砕っ!」
裂帛の気合と共に振り上げられた杓杖が機械天使の背部に緊迫する。
『………』
それを宙に舞う木葉の如く、身を翻しその一閃を避ける。
「避けおったなぁ?」
禿頭の男の背部に突如現われた機械の腕。出現と同時に、巨大な六角杖が天使めがけて振り落とされんとする、が。
「ぬっ………!」
『………』
轟、と翻った機械天使の陰に隠れていた、光の砲塔が男の顔を目掛けて発射された。
「くはははっ!」
即座に攻守を切り替え、砲塔と自身の間に機械の腕を差し込み、光線を避けながら落下する。落ちながらもニヤリと笑うその表情には闘争からの笑みと、もう一つの意味があった。
「――避けましたね?」
その声の元へ、機械天使が顔を向ける、振り下ろされた紅の刃が頭上を覆い、避ける間も無い機械天使の腕と交差し、甲高い音が鳴り渡る。
『………っ』
刃との接合部で火花が散り、機械天使が傍らの砲塔を紅い牧師服の男に向ける。その攻勢を見つめ、男は眼鏡の位置を直しながら問う。
「二段構えの攻撃は初めてかな?」
男の背後から現われた長大なハルバードが叩き下ろされ、機械天使の身体を真下に弾き飛ばしていく。
『………!』
空気を突き抜ける速さで、廃屋に雪崩れ込み、土埃が盛大に吹き上げられる。先に地上に降り立った、禿頭の男が顎を撫でながらその様子を見据えて呟く。
「ふむ、噂の“バニッシャ”とやらもこの程度………むぅ!?」
顔を厳しく歪めた禿頭の男が、跳び去るや、足場のコンクリートが破裂したように飛び散る。
「はっ! 余裕かましてんじゃねえぞ。テメエらの所為で獲物に逃げられたじゃねえか。どうしてくれんだよぉ!」
痩躯の男だ、目を紅く爛々と輝かせ、猛りを全身に溢れさせている。男は腕を突き出し、見えない何かを押し潰すように、力を押し込める。すると、地面が爆ぜて、土砂が波濤のように押し流される。
「ほほぅ! これは僥倖、生きていたか」
禿頭の男は、それに臆するでもなく、むしろそれを割り裂くよう土砂に向けて駆ける。
「すかしてんじゃねえええええええええええええ!」
土砂が見えない何かに圧縮され、禿頭の男に土塊の礫が飛来する。
「こりゃご馳走じゃぁ!」
その土塊に向けて杓杖を振り下ろすと、それに倣い巨大な六角杖が礫を叩き壊す。その様を見て痩躯の男が舌打するが、間髪入れず、禿頭の男が構えた杓杖の先端が突き込まれる。
「舐めんなぁああああああああああああああ!」
雄叫びを上げ、男が両腕を掲げると、空間が軋むような音と共に、禿頭の男が突き出した杓杖の先端が、何も無い空間とぶち当たり、衝撃が奔った。
「ぬ!?」
「ぶっ飛べ! 撃っ!」
痩躯の男が突き出した拳と共に、強烈な衝撃音が発生し、身構えた禿頭の男を建物の壁まで吹き飛ばす。
「ぐぅ!」
壁を背に止まった禿頭の男は口元から、僅かに血を流し、膝を突く。それを横合いから傍観していた紅い牧師服の男が、やれやれと傍に寄ろうとするが、その前を光の奔流が過ぎる。牧師は眉を顰め、光が流れ込んできた方向に視線を向ける。
「おや………さすがにあれだけで装甲は破れませんか」
『………』
立ち込める土埃の中、佇むのは白い機械天使。その純白の装甲には傷一つ付いてはいなかった。
その白い機械天使を真っ向から睨むのは、痩躯の男。
「けっ! 丁度いい! 元はと言えばテメエの所為だ、俺が直々にテメエを吐瀉ぶっ!?」
『御用改め都市警備隊でござる、武装を解除し速やかに投降せよ! 立ち向かう者は切って捨てる!』
台詞を途中で遮り、壁を突き破って男を吹き飛ばしたのは蒼い装甲のGFだった。
/Sight In/
「む、今、何か轢いたような………気の所為だな」
破砕された壁面の破片が、重々しい音を立てながら衝撃で散りばめられる。その中で、土岐奈は何か変な人間大のようなものに、ぶち当たったような感覚を覚えたが、無視することにして、そこに居合わせた人物達に目線を向ける。
目の前に静かに佇んでいるのは一目でバニッシャとわかる、その左の壁際に並んでいる奇妙な格好の二人組み、どちらも訝しげに土岐奈を見ている。最後に視界の端に映って、破片の下で埋もれて痙攣している銀髪の人物、おそらくこの騒動に巻き込まれた一般人だろうと、土岐奈は密やかに哀れんだ。
「さて、一筋縄ではいかなそうな者等よ、例の生体兵器は現在、誰が持っている?」
土岐奈はざっと目を通すがそれらしいモノは誰の手にも見当たらない。むしろ唖然と、場違い感が漂い、何処か空気が白けているような気がしてならない。
「ロン、ロン、何か己は間違えたか?」
『大した問題じゃないんだけど、人間として生まれたところらへんかな。 ――照合終了。土岐奈、その壁際にいる二人組みは、賞金付きだ。どちらも曰くつきの凶悪犯だよ。禿げてるほうが、業庵という倭尊の破戒僧、紅くて目に痛いおじさんがロンメル・トリエスタ・ジスターヴィア、トリエスタ公国の脱走騎士だね。あれ………でも――』
「無視してんじゃねええええええええええええええええええええええええええ!」
突如、銀髪の人物が雄叫びを上げて跳び起きた。目尻を形容できない程に尖らせ、歯を軋ませて刻狼に怒気を向ける。
「怒髪天だ! 久しぶりだ! ここまでコロしてぇと思ったのはよぉ! 中身ごと圧搾してドッロドロにしてやんぜええええええ!」
銀髪のリューベ人の唸りに鳴動し、大気が張り詰め、震え始める。
「これはいけませんね」
「巻き添えは御免じゃわい」
異変を察知したのか、今まで趨勢を見守っていた業庵とロンメルは身を翻して、すぐに姿が見えなくなる。
『土岐奈、そこから早く離れて! その危ない奴はヴァクラ、“狂凶”って呼ばれている、超壱級のESP保持者だよ!』
「なんと、善良な一般市民の振りをして、人を欺くとは何たる悪人か」
狂ったような哄笑を垂れ流しながら、ヴァクラは死ね死ねと叫び、何も見えてないようだ。その狂気が場に溢れるように、轟々と空気がヴァクラを中心に巻いてゆき、分厚い空気の層が形成されてゆく。
土岐奈はふと、逃げることもせず、その場に留まり静観しているバニッシャに目を向ける。
『………』
僅かにだが視線を感じたが、バニッシャは頃合と見て、真上に飛翔し離脱する。土岐奈もそれと同時に振り返り、脱出する。
「逃げんなああああああああああああ!」
ヴァクラの咆哮と共に、空気の層が破裂し、地面が擂り鉢状に削られ、破壊と共に広がってゆく。猛然とした勢いで迫る破壊、土岐奈は背部の噴出機の勢いを全力にし、更なる加速をかける。外に出て距離を稼ぐ、だが衝撃の余波で崩落した建築材が、避けられない間で土岐奈の眼前を塞ごうとする。
刻龍の機体を更に加速させた土岐奈の視界の中に文字が表示される。
『想真流・打衝之壱――幽谷響』
右足を鉄塊の直前に踏み込み、それを軸とし、身を委ねるように転じさせ、左の掌底を叩き込む。
一瞬の間も無く、鉄の塊は内から弾ける音を立て、バラバラに吹き飛んでいく。その合間に身を飛び込ませ、着地した刻龍の機体は、巨大な破裂音を検出し、緊急回避と土岐奈に提示するが、間に合わず、背部に強烈な衝撃を受けた。
/Sight Change/




