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「最高の牛車を作る」 ~平安最強の車大工、左大臣の無茶振りから始まる技術革命~  作者: 紡木 綸


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白砂の上の完璧な作法と、絶対権力者の縁結び

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

象革と真鍮の力に打ちのめされながらも、完成した新型の車を左大臣・藤原様へ納品する日がやってきました。

義姉の特訓の成果は出るのか? そして、藤太の職人人生を大きく揺るがす「予期せぬ爆弾」が投下されます。胃痛の予感しかしない、急展開のエピソードです!

「……背筋が丸うございますよ、藤太義弟ぎてい様。藤原様のような雲上人を前にして、そのような自信のない姿勢では『我らは卑しい職人にすぎません』と自ら喧伝しているようなものです。いいですか、顎を引き、視線は決して相手の目を直接見ず、しかし下へ落としすぎず、御簾みすの裾のあたりへと静かに固定なさいませ」


それは、納品を数日後に控えた工房の母屋でのことだった。

新しく義姉あねとなったお里による、商家の娘としての完璧な礼儀作法の特訓である。

お歴々の前での平伏の仕方、歩き方、そして発声の響かせ方に至るまで。彼女の指導は、かんなの刃の角度よりも厳密で、かつ容赦のないものだった。


その地獄のような、しかしひどく的確な特訓の成果は――現在。

都の最高権力者である左大臣・藤原様の、広大な屋敷に敷き詰められた眩い白砂の上で、見事に発揮されていた。


「……ほう。以前の車よりもさらに車高が低く、見た目も信じられぬほど軽く仕上がっておるな。そして、この漆黒の革と、留め具の黄金の輝きの対比……。見事なものだ。して、これは異国の素材と聞くが?」


御簾の奥から発せられる、藤原様の冷たく、真綿で首を絞めるような威圧的な声。

以前の藤太であれば、この声を聞いただけで胃を物理的に握り潰されるような恐怖に陥り、声が情けなく上擦り、隣に平伏する兄や母に助けを求めるしかなかっただろう。


しかし、今の藤太は違った。

義姉に叩き込まれた通り、深い平伏の姿勢を美しく保ったまま、腹の底から声を出し、一つも淀むことなく澄んだ声で答えていた。


「ははっ。北の果ての平原を駆ける、小山のような巨獣の革。そして、海を渡りし永遠に錆びぬ真鍮しんちゅうの金具にござります。これら異国の至宝を組み合わせることで、以前の御車みくるまよりもさらにしなやかに、そして乗るお方に『重力を忘れさせる』ほどの軽やかな乗り心地を実現いたしました」


流れるような、そして相手の虚栄心を完璧にくすぐる口上。


「重力を忘れさせるか。……ふふっ、良い言葉だ。異国の至宝を使いこなすとは、そちの腕、ますます冴え渡っておるな」


藤原様は、御簾の奥で扇子を広げ、すっかりご機嫌な様子であった。

新しい素材の圧倒的な力に頼っただけだという、藤太自身の内面で吹き荒れている「技術的な葛藤と敗北感」はさておき。出来上がったこの新型の牛車の完成度は、都の最高権力者を唸らせ、その所有欲を満たすのに十分すぎるほどの「完璧な芸術品」として成立していたのだ。


無事に納品と説明を終え、藤太は白砂に額を近づけたまま、密かに(……よし、終わった。これで工房へ帰れる……)と、長く深い安堵の息を吐きかけた。


その時だった。


「ところで、藤太とやら」


藤原様の声色が、公的な威圧感を伴うものから、どこか面白がるような、口元に笑みを浮かべているのが分かるような「私的な響き」へと変わったのだ。


「……はっ」


藤太の背筋に、嫌な汗がツーッと伝った。


「先日、そちの兄の惣太郎が、西国の商人の娘をめとったという報告がてら、我が屋敷へ挨拶に参った折に、少し耳にしてな。……そち、これほどの都一の腕を持ち、顔立ちも悪くないというのに、年頃になっても一向に色恋の噂がなく、一日中、木と革ばかりを相手にしているそうではないか」


藤太は一瞬、心臓がピタリと止まりかけた。


(……はい?)


恐る恐る横を盗み見ると、豪奢な絹の衣を着て共に平伏している兄・惣太郎が、なんとも清々しい、青空のように晴れやかな「してやったりの笑顔」でこちらを見つめ返してきているではないか。


状況が瞬時に理解できた。

どうやら、自分が才色兼備の素晴らしい妻を娶り、幸せと商売の絶頂にいるこの兄は。藤原様との商談の余談として、あろうことか弟の「全く女っ気のないむさ苦しい生活」を、面白おかしく、かつ大袈裟に語ってしまったようなのだ。

おそらく、「弟は不器用でモノづくりしか頭にない、可愛げのある奴でして」と、権力者の警戒心を解くための「笑い話の種」として使ったのだろう。


「惣太郎は『弟は朴念仁ぼくねんじんで不器用ゆえ、どこか良い縁談はないものか』と、親のようにこぼしておった。……そこでだ」


藤原様は、ポンと膝を扇子で叩いた。

その軽い音が、藤太には処刑の合図のように聞こえた。


「我がこの広大な屋敷を建てた、都で一番の宮大工みやだいくの棟梁がおる。その工房の娘が、ちょうどそちと同じ年頃でな。父親譲りの、木材の匂いが染み付いたような気丈な娘だそうだが、同じ職人の家のことなら、公家の姫君よりもよほど話が合い、よく分かっておろう。……どうだ、この藤原が直々に、引き合わせてやろう」


藤太の頭から、サッと血の気が引いた。全身の血液が足の裏から地面へ吸い込まれていくような感覚だった。


「ひ、引き合わせる、と、申されますと……」

「うむ。我が名において、見合いの席を設けてやるということだ」


藤原様は、実に楽しそうに言葉を続けた。

「あの頑固な棟梁のところと、源次郎の工房が血縁となれば、都の普請ふしんも車作りも、さらに面白きことになろうからな。何より、我が愛用する車を作る男が孤独というのは、見栄えが悪い。よいな、手はずはこちらで整えてやる」


貴族の頂点に立つ左大臣様からの「直々の紹介」。

それは言葉こそ「どうだ?」という提案の形をとっているが、平安の世において、実質的には**「絶対に断ることのできない絶対命令(勅命に近いもの)」**である。


「いや、今は牛車作りに集中したいので」などと断れば、それは即座に左大臣の顔に泥を塗る行為となる。平家の武士に刀で凄まれた時とはまた違う、逃げ場の全くない、真綿で首を絞められるような恐ろしい政治的包囲網だった。


「あ、ありがたき、幸せに……ござりまする……!」


藤太は、ひきつって痙攣しそうな頬を必死に白砂に擦りつけながら、心の中で隣の兄に向かって全力の怒号と殺意を浴びせていた。


(兄上ええええええええ!! 余計なことをおおおおお!!!)


極上の象革と真鍮の力に負けたという、技術者としての深い葛藤で頭がいっぱいだったというのに。

人生の最大の難題である「結婚」という名の爆弾が、最高権力者の気まぐれと、兄の百パーセント善意(と少しの打算)からくる浮かれたお節介によって、突如として青天の霹靂のように空から降ってきたのである。



「……いやぁ、よかったじゃないか藤太! まさか藤原様ご自身が、あんなにノリノリで仲人を買って出てくださるとは思わなかったぜ!」


納品を終え、屋敷を辞して帰り道の牛車に揺られながら、惣太郎は心底嬉しそうに扇子で膝を叩いていた。

「相手は都一の宮大工の娘だぞ? 家柄としては申し分ない。それに、職人の娘ならお前のあの油臭い生活にも理解があるはずだ。お里も喜ぶぞ!」


「…………」


「なんだよ、そんなに照れるな。お前ももう十七だ、いつまでも木屑にまみれて一人で寝てる場合じゃないだろ。俺がお里と出会ってどれだけ世界が広がったか、お前にも教えてやりたくてな!」


「…………」


藤太は、暗い牛車の中で、腕を組み、下唇を強く噛み締めたまま、隣の惣太郎を無言で、それはもう恐ろしいほど冷たい目で睨み続けていた。


「おいおい、そんな怖い顔をするなよ……。ほら、見合いの席では俺とお里がちゃんと同席して、上手く立ち回ってやるからさ……な?」


惣太郎の額に少しだけ冷や汗が浮かぶ。

自分の技術の限界に絶望し、静かに一人で工房に引きこもって革をいていたい藤太にとって。この「お見合い」は、スランプの傷口に荒塩を揉み込まれるような、最悪の苦行でしかなかった。


逃げ場のない見合いの日取りは、着々と近づいている。

絶望的な気分のまま、揺れる牛車の中で、若き天才大工はただ深く、重い溜め息を吐き出すことしかできなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


立派に成長し、藤原様への口上も完璧にこなせるようになった藤太。

しかし、兄・惣太郎の「弟にも幸せになってほしい(ついでに藤原様との距離も詰めたい)」というお節介が発動し、まさかの左大臣直々の仲人という最悪の(断れない)事態に!

帰り道の牛車の中の、兄弟の温度差がすごいですね(笑)。


素材の壁にぶつかり、女っ気ゼロの藤太は、一体どんな見合いの席を迎えるのでしょうか?

次回、いよいよ「最強の同志」となる宮大工の娘との、嵐のような初対面が描かれます!

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