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「最高の牛車を作る」 ~平安最強の車大工、左大臣の無茶振りから始まる技術革命~  作者: 紡木 綸


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異端の商人への証明と、極上の旅袋

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

今回は、量産体制の構築と並行して起こった、もう一つの重要な出来事。兄・惣太郎が未知の素材ルートを開拓するための「命懸けの商談」と、スランプに陥っていた藤太の「気分転換の革細工」が交差するエピソードです。

牛車から離れ、純粋な「革小物」の製作に向き合う藤太の、職人としての原点回帰をじっくりとお楽しみください。

治具ジグ」の発明によって、新しく雇い入れた職人たちとの間にあった見えない壁は打ち払われた。

作業場には活気が戻り、部品の量産体制は俺が当初描いていた図面以上の滑らかさで機能し始めていた。


しかし、別棟の喧騒とは対照的に、土蔵にこもる俺自身の心は、依然として晴れない曇り空の中にあった。

「重力からの解放」という、牛車の根本的な構造を覆すような劇的な閃きが、どうしても降りてこないのだ。夜な夜な革をき、木材を曲げてみても、出来上がるのは「既存の仕組みの延長線上」にあるものばかりだった。


そんな息の詰まるような焦燥感の中で悶々としていたある日の夕暮れ。

都の商いを広げるために東奔西走していた兄の惣太郎が、ひどく苛立った様子で、ドカドカと足音を荒立てて工房へ帰ってきた。


「……気に食わねぇ。実に気に食わねぇぜ!」


兄上は、着物の袖を荒々しく捲り上げながら、土間の丸太にどっかりと腰を下ろした。普段、どれほど狡猾な貴族や嫌味な同業者を相手にしても、決して商人の愛想笑いを崩さない兄上が、ここまで露骨に感情を露わにするのは珍しいことだった。


「どうしたんですか、兄上。どこかの貴族に難癖でもつけられましたか?」


俺が革裁ち包丁を置いて尋ねると、兄上は忌々しそうに舌打ちをした。


「いや、お公家様じゃねぇ。西国さいごくから都へ上ってきている、異国の品を扱う豪商だ。大宰府だざいふを拠点にして、唐や南の島々と直接取り引きをしているっていう『筑前屋ちくぜんや』のあるじだよ」


兄上の話によれば、こうだ。

藤原様を通じた専売システムが軌道に乗り、今後のためにより珍しく、より強靭な「未知の異国素材」を安定して手に入れる必要を感じた兄上は、独自の交易ルートを持つその筑前屋に接触を図った。

莫大な資金を提示し、工房の独占的な仕入れ先になってほしいと持ちかけたのだ。


しかし、その筑前屋の主である宗七そうしちという初老の男は、積まれた砂金を見ても顔色一つ変えなかったという。


『都の公家どもにすり寄り、見栄えのいい木箱を売って小金を稼いだ程度で、いい気になるな。……都の職人など、どうせ雨風の過酷さも、旅の泥臭さも知らぬ温室育ち。異国の荒々しい獣の革や、狂いやすい奇木を使いこなす底力などありはしない。宝の持ち腐れになるだけだ。お前たちのような輩に、俺が命懸けで海を渡らせて仕入れた極上の品は渡せねぇ』


そう吐き捨てられ、商談の席から冷たく追い払われたのだという。


「あいつら、俺たちを『見た目ばかりを気にする、ひ弱な都の細工師』だと見下してやがるんだ。……だが、あの筑前屋が持っている異国の素材の質は、間違いなく本物だ。平家の武士どもすら手を出せないほどの、独自の太い海の繋がりを持っている。あいつを落とさなきゃ、俺たちの牛車作りは、いずれ日本の素材の限界で頭打ちになる」


兄上はギリッと奥歯を噛み締め、そして、血走った鋭い目で俺を見た。


「藤太。お前、何か『あの気難しい商人の度肝を抜くような代物』を作れねぇか? 牛車みたいな馬鹿でかいもんじゃなく、商談の席にポンと出せて、一目で俺たち源次郎工房の『本物の実力』と『素材を活かす力』を分からせるようなものを」


「牛車以外の……持ち運べるもの、ですか」


「ああ。奴は『都の職人は旅の過酷さを知らない』と言った。ならば、あいつら商人が喉から手が出るほど欲しがるような、過酷な長旅に耐えうる最高の『旅の道具』を作って、あいつの鼻っ柱をへし折ってやりたいんだ。……頼む、藤太」


兄上が、土間の上で深く頭を下げた。

俺は、自分の手元に散らばっていた、サスペンションの実験に使った分厚い獣の革の端切れを見つめた。


「……分かりました。やってみます」


牛車の全体構造という巨大な迷路に行き詰まっていた俺にとって。

「純粋に、人の手に収まり、旅の役に立つ革の道具を作る」という兄上からの依頼は、張り詰めていた脳の熱を冷ます、何よりの気分転換(カンフル剤)になるような気がしたのだ。


天然の繊維と、命を包む袋

翌朝から、俺は牛車の作業から完全に離れ、一人静かな土蔵の中で「革袋(鞄)」の製作に没頭した。


目指すのは、馬に揺られ、雨風に打たれ、時には野宿を強いられる過酷な商人の旅において、中身を絶対に守り抜き、なおかつ使い手の負担にならない「究極の旅袋」だ。

見栄えを良くするための、無駄な金銀の装飾は一切いらない。必要なのは、ひたすらな頑丈さと、機能に裏打ちされた美しさである。


俺はまず、素材の選定から始めた。

蔵の奥に保管してあった、猟師から直接買い付けた最高級の日本のいのししの革を引っ張り出す。猪の革は、表面の摩擦に恐ろしく強く、さらに水にも強いという特長がある。これを外側の「盾」として使う。

そして、袋の内側や、荷物の出し入れで頻繁に折れ曲がるマチ(側面)の部分には、極限まで柔らかくなめされた、しなやかな鹿の柔革を用いた。


「……次は、糸だ」


どれほど強靭な革を用意しようと、それを縫い合わせる「糸」が脆ければ、そこから旅袋は崩壊する。

華美だが摩擦に弱い絹糸などは絶対に論外だ。俺が選んだのは、植物から取れた極太の天然のあさの繊維だった。


俺はその強靭な麻糸に、熱で溶かした天然の蜜蝋みつろう松脂まつやにをたっぷりと、芯まで染み込ませていく。

こうすることで、糸自体の強度が増すだけでなく、雨水が縫い目から染み込むのを防ぎ、さらに汗や湿気で糸が腐るのを完全に防ぐことができるのだ。


シュッ……シュッ……。


静かな蔵の中に、革裁ち包丁が分厚い猪革を滑らかに切り裂く音が響く。

型取りを終えると、次は目打ちで等間隔に縫い穴を開けていく。一分の狂いもなく、美しい直線を描くように。


そして、いよいよ縫製だ。

俺は一本の麻糸の両端に、それぞれ一本ずつ、計二本の針を通した。

革に開けた一つの穴に対し、表と裏から二本の針を交差させるようにして通し、力強く引き絞る。


ギュッ……。


指先に糸が食い込むほどの力で、一目、一目、確実に革同士を密着させていく。

この縫い方は、途方もない手間と時間がかかるが、万が一、旅の途中で岩に擦れるなどして片方の糸が切れたとしても、もう一方の糸がしっかりと革を保持し続け、決して縫い目がほどけないという絶対の信頼性を持っている。


縫い目を指の腹でなぞる。

蜜蝋を吸った麻糸は、革の表面よりもわずかに深く沈み込むように計算して縫い上げているため、外部からの摩擦を直接受けることがない。


(……ああ。やっぱり、モノづくりはいいな)


巨大な牛車のサスペンションという、「見えない重力」との戦いに疲れ果てていた俺の心に、純粋な喜びがじんわりと広がっていくのを感じた。


手の中に収まる確かな革の感触。

天然の繊維がこすれ合う音。

獣の脂と、蜜蝋の甘い匂い。


余計なことを考えず、ただひたすらに「目の前の素材の最高の形」を引き出すことだけに没頭する。この単純で、しかし奥深い手の動きの連続が、俺の職人としての原点だった。


雨の侵入を完全に防ぐために、上部のふたは一枚の分厚い革で大きく覆いかぶさる構造にした。

そして、水に濡れれば錆びてしまう金属の金具は一切使わず、鹿の角を削り出した留め具と、編み込んだ革紐だけで、強固に口を縛れるように設計した。

さらに、盗賊の目から逃れるため、袋の底面の革を二重にし、砂金や割符わりふを隠しておける「秘密の隠し底」まで丁寧に仕込んだ。


三日三晩。

俺は一睡もすることなく、まるで自分の子供を慈しむように、その旅袋を縫い上げ、磨き上げた。


異端の商人と、雄弁な革

四日目の昼下がり。

都の中心にある、豪商たちが集まる宿の広間。


「……また貴殿か。都の車大工には、何度言っても言葉が通じぬらしいな」


上座に座る筑前屋の主、宗七は、酷薄な冷ややかな目を兄・惣太郎に向け、扇子でシッシッと追い払うような仕草をした。

その後ろには、宗七の娘であろう、ひどく理知的な瞳を持った美しい娘が、帳簿から顔を上げてこちらの様子を伺っていた。


「本日は、牛車の売り込みにも、素材の買い付けにも参ったわけではござりませぬ」


兄上は、宗七の冷たい態度にも全く動じず、商人の完璧な笑顔を張り付けたまま、手に持っていた桐の箱を、静かに畳の上へと置いた。


「ただ、前回貴方様が仰った『都の職人は旅の過酷さを知らぬ温室育ちだ』というお言葉。……それに対する、我が源次郎工房の『答え』をお持ちしたまでにござります。お気に召さねば、すぐに引き下がりますゆえ」


兄上が桐の箱の蓋を開けると、そこには、俺が三日三晩かけて仕立て上げた、あの無骨な「革の旅袋」が鎮座していた。


金銀の刺繍も、華美な飾りもない。

ただ、徹底的に磨き上げられた猪革の深い艶と、機能美だけを限界まで研ぎ澄ませた、塊のような存在感。


「……ほう」


宗七の目が、わずかに細められた。

彼は無言で手を伸ばし、その旅袋を手に取った。


「……軽いな」


それが、彼の第一声だった。

分厚い猪革を使っているにもかかわらず、驚くほど軽い。それは、力がかからない部分に極限まで薄く漉いた鹿革を用い、見えない部分で徹底的な軽量化を図っているからだ。


宗七は、商人の鋭い目で、旅袋の隅々までを舐めるように検分し始めた。


「この糸……ただの絹糸や木綿ではないな。極太の天然の麻の繊維に、松脂と蜜蝋を芯まで染み込ませておるのか。水と汗を弾き、決して腐らぬように」


宗七の指先が、縫い目をなぞる。


「……縫い目が、革の表面より下に沈み込んでいる。これなら、馬の腹や岩肌にどれだけ擦れようと、糸が擦り切れることはない。しかも、二本の糸を交差させて縫い上げているから、万が一刃物で一箇所切られても、袋が弾け飛ぶことはない。……なんという執念だ」


宗七の額に、じわりと汗が浮かんだ。

彼はさらに、蓋を開け、留め具の鹿の角に触れ、そして袋の底の厚みに違和感を覚え、内側から隠し底の存在にまで指先を届かせた。


「……金属を使っていない。雨に降られ、潮風に吹かれても、錆びて動かなくなる部分が一つもない。……そして、この隠し底。旅の強盗の手口まで熟知しているというのか」


宗七は、ゆっくりと旅袋を畳に置き、深く、長い溜め息を吐き出した。

そして、今まで見下していた兄・惣太郎の顔を、初めて対等な「商敵あきんど」を見るような、凄まじい眼光で見据えた。


「源次郎工房……と言ったな」


「はい」

兄上が、胸を張って答える。


「貴殿のところにいる職人は、化け物か? ……この革袋は、ただ図面を引いて手を動かしただけの代物ではない。雨の冷たさ、泥の重さ、そして命を懸けて異国を渡り歩く『旅そのもの』を、自らの肌で完全に理解していなければ、決して到達できない領域の仕事だ。

これを、温室育ちの都の職人が作ったと申すのか」


「我が工房の技術を束ねる、私の弟の手仕事にござります。……我らは確かに都の職人ですが、見ている世界は、常に『その先』にあります。筑前屋の旦那様が海を越えて集めた極上の素材を、最も美しく、最も強く活かせるのは、この日の本において我ら源次郎工房を置いて他にはないと、確信しております」


兄上の堂々たる口上に、宗七はしばらくの間、目を閉じて沈黙した。

後ろに控えていた理知的な瞳の娘も、畳の上に置かれた革袋から目を離せず、その機能美に完全に魅了されているようだった。


やがて、宗七はゆっくりと目を開け、その場で深く、深く頭を下げた。


「……俺の目が、曇っておった。見事な手仕事だ。これほどの技術と心意気を持つ職人がいる工房ならば、俺が命を懸けて仕入れた極上の品々、安心して預けることができる」


宗七の顔から冷たさが消え、本物の豪商としての、熱を帯びた笑みが浮かんだ。


「左大臣家も牛耳るという若き商人殿。……よかろう。貴方たちの工房と、独占の商いを結ぼう。その代わり、南蛮から来る最高級の未知の獣の革も、金色の金属も、すべて俺の船で一番に回してやる!」


晴れた空と、新たな予感

「……というわけで、大逆転の完全勝利だ! 筑前屋の親父殿は、お前が作ったあの旅袋をすっかり気に入って、その場で自分の腰に結びつけてたぜ!」


夕刻、意気揚々と工房へ帰ってきた兄上が、興奮冷めやらぬ様子で事の顛末を俺に語って聞かせた。


「凄かったぞ藤太。あの気難しい親父が、お前の革袋に触れた瞬間、言葉を失って震えてたんだからな。……お前の技術が、また一つ、俺たち家族の商いの壁をぶち破ってくれたんだ。感謝するぜ」


兄上は俺の肩を強く叩き、嬉しそうに笑った。

その手には、筑前屋との強固な繋がりを証明する、取引の覚書がしっかりと握られていた。

そして、兄上の口からは「筑前屋の親父殿の隣にいた娘が、なかなか気立ての良さそうな器量良しでな」という、少し照れたような独り言も飛び出していたが、それはまた別の話だろう。


「……よかった。お役に立てたなら」


俺は、自分の使い込んだ革裁ち包丁を静かに布で拭いながら、小さく微笑んだ。


胸の奥を重く覆っていた、あの灰色のスランプのおりは、いつの間にか綺麗に消え去っていた。


牛車のような巨大なものを作っていても。

手のひらに収まるような、小さな旅袋を作っていても。


本質は、何も変わらない。

天然の繊維を慈しみ、素材の限界を読み取り、使う者のために機能を極限まで研ぎ澄ませていく。その「純粋なモノづくりへの喜び」を、俺はこの革袋の製作を通して、再び魂の底から思い出すことができたのだ。


(大丈夫だ。俺の腕は、まだ先へ進める)


開け放たれた土蔵の戸から、夕暮れの心地よい風が吹き込んでくる。

数日後には、この新しく開拓されたルートを通って、俺が夢にまで見た「未知の異国素材」たちが、ついにこの工房へと運び込まれてくるはずだ。


「……さあ、また忙しくなるぞ」


俺は深く息を吸い込み、再び、まだ見ぬ「重力からの解放」の設計図に向かって、確かな足取りで歩み始めたのである。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


今回は牛車作りから少し離れ、藤太が純粋な「革小物」に向き合うエピソードでした。

強靭な猪の革に、蜜蝋を引いた天然の麻糸、そして隠し底。装飾ではなく「機能美」を極めることで、職人としての原点に立ち返り、見事にスランプの霧を晴らすことができました!


そして、兄・惣太郎の命懸けの商談。気難しい豪商・筑前屋の親父さんも、藤太の作った「究極の旅袋」にはすっかり惚れ込んでしまったようです(笑)。後ろに控えていた「理知的な瞳の娘」さんの存在も気になりますね……!


次回、この商談によって独自の交易ルートが開拓され、ついに藤太の待ち望んでいた「未知の異国素材」が工房へやってきます! そして、彼の運命を大きく変える新たな出会いも……!?


「革細工の描写が熱い!」「兄弟の連携が最高!」と思っていただけましたら、ぜひページ下部の【★で称える】から評価ポイントを入れて応援していただけますと幸いです! 皆様の応援が毎日の更新の力になっています、引き続きよろしくお願いいたします!

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