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「最高の牛車を作る」 ~平安最強の車大工、左大臣の無茶振りから始まる技術革命~  作者: 紡木 綸


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刃の輝きと、勝利の夕餉

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

今回は、極限の激闘を終えた職人たちの「静かな午後」と、最強の家族の温かな食卓のエピソードです。

嵐が去った後の工房に流れる、穏やかで満ち足りた時間をお楽しみください。

限界を超えた総力戦と、極度の緊張を強いる最終の「組み」の激闘。


それらを無事に乗り越え、至高の骨格を完成させた後の工房には、これまでで最も穏やかで、そしてどこまでも澄み切った静かな時間が流れていた。


昼下がり。

土間にどっかりと腰を下ろした俺と親方は、無言のまま、しかし共に死地を潜り抜けた戦友を労うような深い慈しみを持って、己の半身である道具たちの手入れに没頭していた。


極限の精度を求められ、鉄のように硬い異国の黒木を穿ち続けたのみ

五百年の時を刻んだひのきの重い年輪を、幾度も挽き切った大鋸おが


そして、俺がヤギやラクダの強靭な革を、寸分の狂いもない厚みにき、幾重にも裁ち続けた愛用の小刀。


刃先には、木が溜め込んだ天然のやにや、革に染み込ませた獣の強い油がこびりつき、目には見えないほどの微かな刃こぼれや摩耗が生じている。


手桶に張った冷たい水で砥石といしを濡らし、静かに刃を当てる。


シュッ……シュッ……。


静まり返った工房に、規則正しい研磨の音と、微かな水音だけが響く。


荒砥あらとで刃の形を整え直し、中砥なかどで滑らかにし、最後に極細かな仕上げの合砥あわせどで、鋼が鏡のように景色を反射するまで徹底的に磨き上げる。

最後に柔らかな布で汚れを拭い去り、錆止めの椿油を薄く引いていく。


曇っていた鋼が、本来の静かで青白い輝きを取り戻していくその過程。

それは、何日も張り詰め、極限まで昂ぶっていた俺自身の神経を、一枚一枚丁寧に平らにならしていくための、神聖な儀式でもあった。


その傍らでは、豪華な着物の袖をまくり上げた兄の惣太郎が、土間の隅に残された木材や革の残量、そして貴重な異国の油の壺を、鋭い商人の目で確認して回っている。


「……藤太。このヤギの革だが」


兄上は、床に落ちていたヤギ革の端切れを拾い上げ、両手でギリギリと引っ張りながら尋ねてきた。


「この絶対に伸びない革を使って、同じ編み方であと何台分のバネが作れる? 異国の商人が次に都へ唐物を持ち込むのは、早くて秋らしい。船が沈めば手に入らない代物だ。……今のうちにあの問屋にある在庫をすべて買い占めて、専用の蔵を一つ建てるべきか?」


俺が小刀を拭きながら「あと五台分なら確実にとれます」と答えると、今度は親方が、手元の鑿の刃を見つめたまま低い声で言った。


「惣太郎。あの黒木は、普通の鑿じゃ一発で刃が欠けちまう。これから注文が増えて、荒削りを他所の工房に下請けに出すつもりなら、木材と一緒に『専用に鍛えた道具』の面倒も見てやらねぇと、仕事が回らなくなるぞ」


「なるほど、道具の貸し出しか。囲い込みには丁度いいな。すぐに鍛冶屋へ手配しよう」


未来を見据えた兄の弾むような声に、俺と親方は道具から目を離すことなく、的確な答えを返していく。


つい数日前までこの工房を重く支配していた、帝への献上品という「失敗すれば首が飛ぶ」死のプレッシャーは、もうどこにもない。

そこにあるのは、「この圧倒的な技術をどう都へ広め、工房の商いを盤石なものにするか」という、前向きで希望に満ちた職人と商人のやり取りだけだった。



すべての道具の手入れを終え、定位置の木箱に収めると、俺は使い込まれた竹箒たけぼうきを手に取った。


この数週間、文字通り不眠不休で荒々しい作業を続けていたため、工房の土間には鉋屑かんなくずや木切れ、そして切り落とされた革の端切れが、まるで冬の雪のようにうず高く積もっていた。


俺はそれらを箒で丁寧に掃き集め、ちりを払い、ずっと見えなくなっていた土の地面を露出させる。

清められた土間をわらじでしっかりと踏みしめると、なんとも言えない心地よさがあった。ついでに母屋の廊下の拭き掃除まで一気に済ませると、家全体を吹き抜ける夕暮れの風が、驚くほど清々しく感じられた。


夕暮れ時。


俺は裏の井戸へ行き、手桶に汲んだ氷のように冷たい水で、頭から豪快に体を洗い流した。

髪や体にこびりついていた細かな木の粉と、獣の脂の匂いが、冷たい水と共に土へ吸い込まれていく。


ゴシゴシと手ぬぐいで体を拭き、母さんが用意してくれた真新しい糊の効いた衣に袖を通す。

張り詰めていた鎧を脱ぎ捨てたように、身も心も羽のように軽く、清らかになっていた。


「さあ、おあがり。今日は特別だよ」


母屋へ上がると、割烹着姿の母さんが、嬉しそうな顔で手招きをしていた。

囲炉裏の周りには、今までの我が家では見たこともないほど豪勢な夕餉ゆうげが、所狭しと並べられていた。


ひつを開ければ、ふっくらとした白米に大粒の栗をたっぷりと混ぜ込んで炊き上げた、艶やかな栗飯が甘い湯気を立てている。

皿には、こんがりと塩を吹くまで串焼きにされた大ぶりの川魚。


そして、囲炉裏の鉄鍋でグツグツと音を立てているのは、季節の青菜と根菜がたっぷりと入った「猪肉ししにくの汁物」だった。


「いただきます!」


俺は真っ先に、その猪の汁をすすった。


「……美味い!!」


味噌と醤油を絶妙に合わせた濃い目の汁に、猪肉特有の濃厚で野性味あふれる脂の甘みが完全に溶け出し、凄まじいまでの深い旨味うまみを生み出している。

乱切りにされた大根や牛蒡ごぼうが、その肉の出汁を芯までたっぷりと吸い込み、噛むたびにジュワリと口の中を満たした。


死地を脱し、歴史的な偉業の土台を組み上げた男たちの疲労を、芯から癒やし、労う。塩気と旨味が力強く主張する、母さんの愛情がこれでもかと込められた極上のご馳走だった。


親方は上機嫌で、いつもよりずっと早い速さで濁酒どぶろくの盃を干している。


「美味い飯に、美味い酒。そして最高の仕事だ。……大工冥利に尽きるぜ」

「献上品が完成して帝のお墨付きを得たら、次はいよいよ俺たち商人の独壇場だ。都中の貴族から、何年待ちになろうが注文をふんだくってやるさ!」


惣太郎兄さんも、猪肉を頬張りながら楽しそうに笑っている。

母さんは、そんな三人の男たちの誇らしげな顔を、自分はほとんど箸を動かすことなく、目を細めて本当に嬉しそうに眺めていた。


パチッ、パチパチッ……。


囲炉裏の火が、四人の顔を赤々と、そしてどこまでも温かく照らし出している。


数日前の、あの藤原様の屋敷から帰還し、底なし沼に突き落とされたような重く冷たい夕餉とは打って変わった、笑い声の絶えない和やかな夜。


明後日。いよいよ、あの老彫刻家が命を削った「四季の浮き彫り」を携えて、この工房へやってくる。


しかし、今の俺には、もう何の焦りも不安もなかった。


やるべきことはすべてやり遂げた。あの究極の骨格は、どんな芸術が来ようとも完璧に受け止めるだけの絶対的な度量を持っている。


俺はただ、大好きな家族と共にこの温かく力強い飯を噛み締めながら。

来るべき「至高の芸術」が完成するその歴史的な瞬間を、心静かに、そして誇り高く待ちわびていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


極限の作業を終えた後の、道具の手入れと掃除。そして冷たい井戸水でさっぱりとした後の、温かくて美味しいご飯!

猪肉の濃厚な脂と出汁を吸った根菜の汁物、想像するだけでお腹が鳴りそうです。絶望の夕食から一転、家族の絆と勝利を祝う最高の食卓になりました。


さて、骨組みとサスペンションは完璧に仕上がりました。

次回、ついに老彫刻家の「レリーフ(浮き彫り)」が到着し、帝への献上品である牛車が、完全な姿となってその全貌を現します! どうぞお楽しみに!

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