立体の威厳と、静寂の工房
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今回は、藤原様の車を超えるための「装飾」の秘密、そして喧騒が去り、再び静寂を取り戻した工房での最終調整のエピソードです。
周囲の嘲笑や悪評をよそに、藤太と親方は己の技術の極致へと静かに潜り込んでいきます!
「いいか、親父殿、藤太。秋村の描いた四季の絵は、確かに極上だった。だが、同じ絵師にさらに見事な絵を描かせたところで、前の車と『格』の違いが一目で伝わるとは限らん。……帝への献上品たるもの、見た瞬間に次元が違うと分からせる圧倒的な威厳が必要だ」
都中を駆け回っていた兄・惣太郎が持ち帰った結論は、まさに商人と興行師の才覚が完璧に融合した、恐るべき一手だった。
絵の具による「平面」の色彩ではなく、鑿と彫刻刀が生み出す「立体」の芸術。
太陽の光の当たり具合によって、朝、昼、夕と刻々と影の落ち方が変わり、全く違う表情を見せる極上の浮き彫り(レリーフ)を、牛車の壁面そのものに施すというのだ。
惣太郎が連れてきたのは、派手な着物を着た若い絵師ではなく、粗末な作務衣を着た小柄な老人だった。しかし、仏像や寺院の欄間彫刻において、内裏からも直々に声が掛かるほどの、都随一と謳われる伝説的な老彫刻家である。
かつて工房を訪れた絵師の秋村のような、芸術家特有の傲慢さや虚栄心は微塵もない。老人は工房に入ると、うず高く積まれた異国の黒木やしなる木を前にして、まるで神仏を拝むように静かに膝をついた。
「……ほう。唐天竺の木ですか。噂には聞いておりましたが、これほど緻密で、甘い香りを放つとは」
老人は、節くれだった指で木肌をそっと撫でた。
「絵師は白い板を要求しますが、我ら彫り師は、木が何百年もかけて刻んできた木目そのものを生かして彫り上げます。……これほどの極上の材に自らの刃を入れられるとは、長く生きてきた彫り師冥利に尽きるというもの。命に代えても、帝の御目に叶う『雲龍』を彫り上げてご覧に入れましょう」
老彫刻家はそう低く呟くと、まるで赤子を抱くように慎重に材を抱え、自身の工房へと持ち帰っていった。
◆
一方、その頃。都の東に広がる職人街では、源次郎工房に対する不穏な噂が、まるで水面に広がる波紋のように静かに、しかし確実に広がり始めていた。
「おい、聞いたか? あの源次郎のところ、帝への献上品を請け負ったはいいが、すっかり行き詰まって、夜逃げの準備をしてるらしいぞ」
「あちこちの老舗工房に頭を下げて、莫大な金で手伝いを頼んでるらしいじゃねぇか。一介の車大工が、身の丈に合わねぇ仕事を引き受けるから自滅するんだ」
最初は莫大な手間賃に目が眩んで大挙して押し寄せていた他所の工房の腕利き職人たちも、そんな心無い悪評が風に乗って聞こえてくるようになると、潮が引くように少しずつ姿を消していった。
彼らにも、各々が背負っている自分たちの工房の看板と、日々の商売がある。失敗すれば一族郎党の首が飛ぶかもしれない「帝への献上品」という恐ろしい仕事において、悪評の立つ場所へいつまでも大切な職人を派遣しておくわけにはいかなかったのだ。
だが。
俺と親方にとって、そんな外野の噂や、手伝いの職人たちが急激に減少していくことは、痛くも痒くもなかった。
むしろ、他所の職人たちが自らの意思で引き上げてくれたことは、俺たちの計画通りの、実にちょうど良い「潮時」だったのだ。
「ご苦労だったな。……よし、これで邪魔者は消えた。ここから先は、俺たち親子の領分だ」
親方が、気まずそうに辞めさせてくれと言ってきた最後の助っ人職人を笑顔で見送ると、重い木戸をガチャンと閉めた。
工房には、十日ぶりに、深い静寂と清冽な木の香りが戻ってきた。
土間を見渡せば、山のように積まれていた異国の木材や硬い黒木は、助っ人職人たちの圧倒的な手数によって、すでにそれぞれが意味を持つ「部材」の形に完璧に整えられ、出番を待つばかりになっている。
俺たちが一番時間と体力を消耗する膨大な「粗削り」と「木取り」の工程は、彼らが逃げ出す前に、すでに完全に終わっていたのだ。俺たちは、彼らの労働力を見事に使い切っていたのである。
喧騒が去り、再び研ぎ澄まされた冷たい空気の満ちる空間。
俺は一人、異国の革と未知の油に向き合い、最終的な懸架装置の計算の仕上げに入っていた。
彫刻家の手による「木の浮き彫り(レリーフ)」は、前回の桐を極限まで薄くした板と比べれば、圧倒的に重量が増す。つまり、車体の上屋全体が格段に重くなるということだ。
普通に考えれば、バネにかかる負担が増し、乗り心地は悪化し、最悪の場合はバネが折れる危険性がある。
しかし、俺には全く焦りはなかった。
(重くなるなら、むしろ好都合だ)
俺の頭の中の設計図は、彫刻の重さすらもすでに計算に入れ、それを「逆利用」する論理を弾き出していたのだ。
車体が重くなれば、石畳の凹凸に弾かれにくくなり、車体そのものがどっしりと安定する。
そこに、あの無限にしなる異国の木材を芯にし、絶対に伸びないヤギの分厚い革で張力を保ち、ラクダの革で編み込んで衝撃を逃がすという、前回を遥かに凌駕する強度を持たせた新しい網代編みの板バネを組み合わせる。
重い車体と、強靭なバネ。
この二つが組み合わさることで、前回の「ふわりとした軽さ」とは全く違う、重厚でありながら路面に吸い付くような「その先の次元」の乗り心地が生まれるはずだ。
シュッ、シュッ……トツ、トツ……!
外野の喧騒や下世話な噂話など一切届かない、完全に密閉された土蔵。
親方が黒木に鑿を穿つ重く鋭い音と、俺がヤギとラクダの革を限界まで締め上げて編み込むギリギリという軋み音だけが、時計の針のように正確に、そして恐ろしいほどの密度で時を刻んでいく。
失敗すれば命はないという、帝への献上品という極限の重圧。
しかしそれは、いつしか俺たち親子の中で、未知の素材の性能を極限まで引き出し、己の技術の限界を突破していくという「至高の悦び」へと完全にすり替わっていた。
誰も到達したことのない、究極の領域。
その完成の時は、すぐそこまで迫っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
絵ではなく彫刻を選ぶという、兄・惣太郎のプロデューサーとしての嗅覚が素晴らしいですね。光の加減で表情を変えるレリーフ、想像するだけで圧倒的な威厳です。
そして、他所の職人たちが噂を恐れて逃げ出すことも計算ずくで、基礎工事だけをやらせてサヨナラする親方たちのしたたかさ(笑)。
重くなる車体を逆利用して、さらに安定した乗り心地を目指す藤太。
次回、いよいよこの異国の素材たちが一つに組み合わさります! 完成は目前です、お楽しみに!




