底なしの財力と、異国の素材
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今回は、絶望から一転、左大臣家の「底なしの予算」という最強の武器を手にした職人たちの逆襲です。都の裏側に眠る「異国の素材」との出会いが、藤太の技術者魂に火をつけます!
左大臣家という都の最高権力者の「底なしの予算」。
その最強の武器を背盾に手に入れた俺たち親子の行動は、まさに疾風迅雷だった。
翌朝から、俺たちはこれまでの常識や、同業者間の義理、遠慮といったものを一切合切脇へ投げ捨てた。
兄上が手配した何台もの空の荷車を引き連れ、都の裏の裏、老舗の蔵のさらに奥深くへと足を伸ばした三日間の強引な買い付け。
それは、一介の市井の車大工という枠を完全に超えた、未知なる素材との劇的で暴力的な出会いの連続となった。
◆
初日に訪れたのは、都の裏路地にひっそりと店を構える、馬具や特殊な革を扱う薄暗い問屋だった。
獣の脂の匂いと、強いなめし剤の匂いが立ち込める蔵の奥で、俺の目は、店主が渋々といった様子で木箱から取り出した「ある革」に完全に釘付けになった。
普段、俺が土蔵で扱っている牛や鹿、猪の革とは全く異なる、ツンとした異国の匂いが染み付いた黒褐色の革の山。
「……海を渡ってきた、異国の獣の革にござります。手に入れたは良いものの、あまりに値が張りすぎるため、買い手が永遠につかぬと諦めていた代物でしてな」
店主がもったいぶって出してきたその「ヤギ(山羊)」の革に触れた瞬間、俺は全身に電撃が走るのを感じた。
「なんだ、これは……!」
牛革よりもずっと薄く、絹のようにしなやかだ。
だというのに、その断面を見ると、極細の繊維が恐ろしいほどの密度で複雑に絡み合っている。俺が両手で端と端を握り、腕の筋肉が千切れるほどに力一杯引っ張ってみても、微塵も、ただの一分も伸びる気配がないのだ。
「軽さと丈夫さの釣り合いなら、我らが知る牛の比ではありませぬ」
店主が誇らしげに語り終えるか終わらないかのうちに。
背後に立っていた親方が、藤原様から「前金」として預かった、ずっしりと重い砂金の袋を、汚れた木の卓の上に無造作に放り投げた。
ドスッ!
重い黄金の音が、薄暗い問屋の空気を震わせた。
店主の目が、限界まで見開かれる。
「……こ、これは」
「ここにある異国の革、全部だ。いくらでもいい、お前の言い値で買おう」
親方の低く凄みのある声に、店主は震える手で砂金の袋を抱え込み、狂ったように頭を下げた。
ヤギだけではない。
店主が蔵の床板を剥がしてまで出してきたのは、極寒の地を生き抜くという毛深い「トナカイ」、過酷な砂漠を何日も歩き続けるという巨大な「ラクダ」、そして極限の柔らかさを極めた「異国の羊」。
日本という島国では、名前すら聞いたことのない未知の獣たちの革が、次々と表に待たせた俺たちの荷車へと積み込まれていく。
俺の頭の中では、その革の手触りを思い出しながら、すでに新たな「究極の板バネ」の計算が猛烈な勢いで始まっていた。
(あの絶対に伸びないヤギの革を芯にして、バネの強靭さと張力を保つ。その上から、砂漠の熱と衝撃に耐え抜くラクダの分厚い革で全体を編み込んで、外部からの衝撃を完全に逃がす……!)
それだけではない。
(これらの異国の革に、日本の蜜蝋ではなく、これまた異国から取り寄せた粘り気の強い特殊な獣脂を合わせれば、摩擦熱の逃げ方はどう変わる……!?)
前回の「三種の革×三種の油×三種の技法=二十通り」などという可愛らしい次元ではない。
掛け合わせる素材の数が爆発的に増え、実験の組み合わせは数百通りにも跳ね上がる。だが、今の俺たちにはそれを片っ端から試すだけの「予算」も「人手」もあるのだ。
職人としての、いや、技術者としての探求心が、これでもかとばかりに激しく刺激され、絶望で冷え切っていた胃の腑がカッと熱を帯びて燃え上がり始めていた。
◆
そして、翌日の材木屋での収穫は、革問屋での興奮をさらに上回る、凄まじいものだった。
都でも一、二を争う代々続く老舗の材木屋。
その恰幅の良い親方は、最初は俺たちのような泥臭い車大工の訪問を見るなり、「良い木はすべて、左大臣家や内裏の普請に予約として出払っている。お前さんたちに回す端材はねぇよ」と、鼻で笑って渋っていた。
だが、兄の惣太郎が一歩前に出て、左大臣家・藤原様からの「直々の書状」と、見たこともない額の莫大な資金を突きつけた途端。
材木屋の親方は顔面を蒼白にして土下座し、手のひらを返したように、店の一番奥にある厳重な鍵のかかった「秘密の土蔵」へと俺たちを案内してくれた。
「……お目が高い。これらは、唐天竺から恐ろしい波を越え、唐船で何ヶ月もかけて運ばれてきた、我が国には決して生えておらぬ幻の木材にござる。本来ならば、帝の御物にしか使われぬ品ですが……」
重い土蔵の扉が開かれた瞬間、中から溢れ出したのは、日本の木とは全く違う、甘く、そしてひどく重厚な香りだった。
土蔵の中に大切に眠っていたのは、俺や親方が知り尽くしている日本の木――檜や杉、槻といったものとは、根本的に肌合いも質量も異なる異形の木々だった。
俺は真っ黒な一本の角材に触れ、持ち上げようとして、思わず息を呑んだ。
(……なんだこの重さは!?)
見た目はただの木だ。だが、持ち上げようとした俺の腕の筋肉が悲鳴を上げるほど、鉄のように重く、そして黒光りする硬い木。(現代で言うところの黒檀や紫檀である)。
指の関節で叩いてみると、「カンッ!」という、石か金属を叩いたような甲高く硬い音が響いた。
逆に、その隣にあった細長い材は、大人がぶら下がっても絶対に折れることなく、まるで上質な弓のように「グワリ」としなやかに反り返る奇妙な木だった。
さらには、削らなくとも部屋中に香木のように甘い匂いを放ち続ける材まである。
「……藤太。これだ」
黒光りする硬い木を撫でていた親方が、震える声で呟いた。
親方の目は、絶望に打ちひしがれた中年の男のものではない。若き日の野心と、未知の素材に対する果てしない探求心に満ちた、一人の「狂気的な職人」の目に戻っていた。
「このしなる異国の木を、お前の作るあの『板バネ』の芯材にすれば……日本の槻が持っていた『折れる』という限界そのものを、根底から突破できる! どこまでもしなり、そして反発する悪魔のようなバネができるぞ!」
親方は、さらに真っ黒な鉄のような材をバンバンと力強く叩いた。
「そして、この鉄のように重く硬い黒木で、あの土台のホゾ(接合部)を刻めば……! 中で楔が食い込んだが最後、どれだけ激しい大路の振動が来ても、絶対に摩耗しねぇ! 百年、いや、五百年は狂わねぇ『究極の土台』が組める!!」
親方の叫びに、俺も背筋が粟立つような興奮を覚えた。
もちろん、これらの異国の木材もすべて、言い値の倍の金を積んで、一切合切買い占めた。
◆
三日間の怒涛の買い付けを終え。
俺たちの工房の土間には、日本中、いや、唐天竺を含めた「世界中」から集められたと言っても過言ではない、「極上の素材」の山が築き上げられていた。
前回の藤原様への最高傑作は、あくまで「日本で手に入る素材の枠内」と、俺という個人の「小さな閃き」が到達した限界点に過ぎなかった。
しかし今、俺の目の前にあるのは違う。
帝への献上品という逃げ場のない絶対的な使命と、左大臣家の「底なしの予算」という暴力によって無理やり引き寄せられた、『未知の可能性の結晶』だ。
母さんの機転と知恵。
兄上が引き出した、左大臣家の財力。
親方の狂気的な木組みの技。
そして、目の前に積まれた異国の極上素材たち。
すべての条件は、完璧に揃った。
後はただ、これら規格外の素材たちを俺の頭脳で論理的に組み合わせ、この両手で再び「限界を超えた最適解(120点)」を叩き出し、帝の度肝を抜くだけだ。
死の恐怖と絶望は、いつの間にか完全に払拭されていた。
今の源次郎工房には、不可能を可能にしてやろうという、静かで、しかしマグマのように熱狂的な闘志だけが満ち溢れていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
お金の力、恐るべし! そして最高ですね!
絶望的な状況からの「総力戦」の幕開け。ヤギの革や黒檀など、日本にはない圧倒的な物理特性を持った異国の素材たちが、藤太と親方のリミッターを完全に外してしまいました。
「前の100点を超えるにはどうすればいい?」という技術者の悩みを、素材の限界突破という力技と知識で解決していくカタルシス。
次回からは、外部の職人たちも巻き込んだ、この規格外の素材たちとの格闘(実験)が始まります! どうぞお楽しみに!




