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それから数日が経った。薫の記憶はまだ戻らなかったが、体は回復したので退院することになった。引受人は政臣曰く「鯨井」という女性らしいが、忙しいとのことで、退院前に会っておくことは出来ないようだ。政臣は彼女の知り合いらしく、
「彼女なら大丈夫、信用していい」
とのことだった。
薫が病院から出ると、白衣を着た丸メガネの女性がこちらに向けて手を振った。
「おー、薫君!まずは退院おめでとう!」
「…えっと、」
「ああ、君は記憶喪失だったんだっけ?それじゃ、改めて。私は鯨井杏夏だよ。28歳、独身。よろしくね!」
「よろしく、お願いします」
杏夏は、薫をじろじろ眺めた。頭の上から、足の先まで。
「うーん……君、本当に薫君だよね?」
「は、はい」
多分、と付け加えるのはやめておいた。視線がなんだか痛い。
「薫君……」
「はい……?」
「……何か、変」
変と言われても、薫には以前の自分の記憶が全くない。もしかしたら、医者が教えてくれた自分の情報は間違っていたのかもしれない。だとすると僕は一体誰だ?薫が袋小路に追い込まれそうになっていると、
「分かった!君が私に向かって敬語なんて使ってるからだ!」
杏夏は自己完結していた。
「というわけで、薫君!君はこれから私にはタメ口でね!あと呼び方は『杏夏さん』で!」
「え?あ、はい」
なんかこの人、ゴーイングマイウェイって感じの人なのかな?
「薫君、話聞いてた?タメ口使ってよ」
「……ごめん、気を付けるよ」
「よろしい。さあ、車に乗って」
言われるがまま、杏夏の車に乗り込んだ。
「あの……僕本当に何も覚えてないんだけど、杏夏さんって僕のこと下の名前で呼ぶくらい仲が良かったんだね」
「え?うんまあ仲は良いけど、ほら、君にはお姉さんがいるし」
「姉……」
杏夏ははっとして口をつぐんだ。ミラーに映る顔は、心なしか悲しげに見える。
「杏夏さん、どうしたの?」
僕何か悪いこと言っちゃったかな、と聞くと、杏夏は無理に笑顔を作って言った。
「ううん、何でもないよ。そっかー、それも忘れちゃったのかー。それなら、自分の研究も覚えてないでしょ」
「研究?」
「あれ、聞いてない?自分の職業。それなら私が教えてあげよう」
杏夏は車を停めると、ドアを開けた。
「君はここ、国立第7研究所の研究員なんだよ!」




