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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
箱庭の揺り籠(ガーデン・オブ・クレイドル)編

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第三話「鋼鉄のラブレター」3

第三章 デウス・エクス・マキナ


 ドサッ、ガシャン、ドサッ!


 雨霰(あめあられ)と降り注ぐ人形たちの着地音が、コンクリートの床を揺らした。


『箱庭の揺り籠』が仕掛けたウイルスは、この工房を巨大な共鳴箱へと変えていた。 起き上がった素体たちが、頭部を痙攣させながら、たった一つの言葉を合唱し始める。


『アイ……シテル……』


『アイシテル……ズット……イッショ……』


 重なり合う合成音声は、もはや言語としての意味を失い、耳鳴りのような呪詛となって空間を埋め尽くしていく。それは愛の告白ではない。 プログラムされた執着の奔流であり、聞く者の精神を削り取る電子の(ストーム)だ。 蜘蛛のように床を這い、あるいは壊れた玩具のように四肢を振り回し、彼女たちは九条と私に殺到した。愛するために。抱きしめるために。そして、その腕の中で永遠に停止させるために。


「やれやれ。モテる女は辛いねえ!」


 久遠灯(くおん あかり)が、M500のハンマーを叩き起こす。 轟音。先頭を切って飛びかかってきたマネキンの頭部が、大口径弾によって粉砕された。 飛び散るのは血肉ではなく、絶縁オイルとプラスチックの破片。 灯は、その場から一歩も動かず、正確無比な射撃で迫りくる「愛の軍勢」を撃ち落としていく。


「鏡花! 雑魚は私が引き受ける! お前は本命(オペ)に集中しろ!」


「了解した」


 私はサブアームを旋回させ、目前に迫った素体の一体を薙ぎ払った。 高周波メスが鋼鉄のフレームを豆腐のように切断する。私の視線は、ただ一点に固定されていた。


 九条を抱きしめ続ける、美サ。 彼女の胸部インジケーターは、周囲の暴走信号と共鳴し、臨界点を超えた輝きを放っている。


「キシャァァァッ!!」


 美サが咆哮を上げ、九条を抱えたまま跳躍した。 その重量からは想像もつかない加速。 彼女の脚部スラスターが火を噴き、砲弾のように私へと突っ込んでくる。単純な運動エネルギーによる質量攻撃。 愛する者を盾にし、愛する者をハンマーとして振るう、狂気の戦法。


 私は動かない。 四本のサブアームが、私の思考よりも速く反応し、防御障壁(シールド)を展開する。


 ガギィィィン!!


 金属同士が激突する甲高い音が、鼓膜を劈く。 美サの蹴りを、二本のサブアームが受け止めていた。衝撃がシャーシを伝い、私の足元のコンクリートをクモの巣状にひび割れさせる。


「アイ……シテル!!」


 美サは、九条を押し潰さんばかりの力で抱きしめながら、空いた足で連続攻撃を繰り出してくる。 その動きには、洗練された格闘術の理合はない。 あるのは、目的遂行のための最短距離を走る、暴力的なまでの直進性だ。 彼女を突き動かしているのは、『箱庭の揺り籠』が植え付けたウイルスだけではない。 九条への、生前の想い。それが歪められ、増幅され、制御不能のエネルギーとなって噴出している。


「……哀れだな」


 私は呟く。 彼女のAIは、今この瞬間もエラーを吐き出し続けているはずだ。『対象を保護せよ』という基本命令と、『対象を破壊せよ』というウイルスの命令が矛盾し、論理回路が焼き切れる寸前で悲鳴を上げている。 その矛盾(パラドックス)が生み出す熱量が、彼女をここまでの怪物に変えたのだ。


「愛は、バグだ」


 私のサブアームが唸りを上げる。 防御から攻撃へ。 高周波メスが空気を切り裂き、美サの脚部装甲をバターのように削ぎ落とした。


「予測不能で、非合理的で、リソースを無駄に消費する。……システムにとっては、百害あって一利なしの欠陥プログラムだ」


 美サがバランスを崩す。だが、彼女は倒れない。片足になってもなお、九条を抱えたまま這いずり、私に食らいつこうとする。 その執念は、プログラムの領域を超えていた。


「だが、排除できないバグこそが……魂と呼ばれる」


 私は踏み込む。 火花散る至近距離へ。


「術式、最終段階(ファイナル・フェーズ)


 私のメインアームが、美サの右肩――九条を抱きしめているその腕の付け根を捉えた。指先から展開したレーザーカッターが、青白い光を放つ。 狙うのは、人工筋肉と骨格を繋ぐジョイント部、その一点のみ。


「――切断(カット)


 閃光。 金属が蒸発する臭い。 美サの右腕が、肩から滑り落ちた。ドサリ、と重い音がして、九条の身体が床に崩れ落ちる。拘束から解放された彼は、糸が切れた操り人形のように動かない。だが、胸は微かに上下している。まだ生きている。


「ア……アア……」


 美サが、バランスを崩してよろめいた。 右腕を失い、片足を引きずりながら、それでも尚、床に伏した九条へと視線を向けている。彼女のカメラアイが、激しく明滅する。認識機能が崩壊し、視界にはノイズしか映っていないはずだ。それでも、彼女は這った。 オイルの軌跡を描きながら、愛する者の元へ。


「アイ……シテル……」


 壊れたスピーカーが、途切れ途切れに愛を囁く。 その姿は、あまりに滑稽で、あまりに痛ましかった。プログラムされた命令なのか。 それとも、データの残滓に残っていた、本物の「想い」なのか。 今の私には、それを解析する術はない。 ただ一つ分かるのは、このまま彼女を放置すれば、彼女は自らの熱で溶解し、九条を巻き込んで自爆するだろうということだけだ。


「……可哀想に」


 私は美サの前に立ち塞がった。 彼女が見上げているのは、私ではない。私の背後にいる九条だ。その瞳孔の奥で、青い光が最期の輝きを放っている。


「眠らせてやるのが、医者(ドクター)の慈悲だ」


 私のサブアームが、美サの胸部装甲をこじ開けた。 火花が散り、装甲板が弾け飛ぶ。 露わになった内部構造。 その中心に、脈打つように光るコアがあった。 心臓部。 そこには、生前の美サの笑顔を記録したメモリチップと、『青い涙』の青い結晶が、癌細胞のように癒着し、一体化していた。


 あの結晶が、彼女に偽りの魂を与え、そして彼女を壊した元凶。 だが、それを取り除けば、彼女という存在そのものが消滅する。


「……さよなら」


 私は、ためらいなくコアを鷲掴みにした。美サが、何かを言おうとして口を開く。 その唇が動くよりも早く、私は指に力を込めた。


 パリン。


 硬質なガラスが砕けるような音が、私の掌の中で響いた。 青い光が霧散し、細かい粒子となって空気中に溶けていく。同時に、美サの動きが止まった。明滅していたカメラアイから光が消え、ただのガラス玉へと戻る。 首がガクリと垂れ下がり、彼女は冷たい鉄の人形へと還った。


「バカな……私の、最高傑作が……」


 工房の奥、モニターが並ぶ作業台の前で、技術者が膝から崩れ落ちた。彼は震える手で、破壊された美サの残骸を指差している。


「なぜだ……! 完璧だったはずだ! 悲しみも、迷いも、不確定要素もすべて排除した! 純度100%の愛の結晶だったのに! なぜ、あんな不純物(あなた)ごときに破壊される!」


「純度100%の愛、か」


 私は血とオイルに塗れたサブアームを収納し、静かに技術者へと歩み寄る。 足元のコンクリートが、私の重量で微かに軋む。


「お前の理論には致命的な欠陥がある。……愛とは、相手のために自分が壊れることを許容するバグだ。相手を壊して保存することじゃない」


「黙れ! 鉄屑風情が、愛を語るな!」


 技術者は立ち上がり、懐から護身用の拳銃を取り出した。震える銃口が私に向けられる。 だが、その引き金が引かれる前に、乾いた銃声が響いた。


 バンッ!


 技術者の手から拳銃が弾き飛ばされる。入り口付近に立つ久遠灯が、M500の硝煙を吹いていた。


「悪いね。うちのドクターは藪医者だが、説教は長いぞ。覚悟しな」


 武器を失った技術者は、後ずさりして作業台に背中をぶつけた。私は彼の目の前まで迫り、その胸倉を掴み上げた。 チタン合金の指が、白衣ごと彼の肉に食い込む。


「さて。……治療費の請求だ。このふざけた実験のスポンサーと、『箱庭の揺り籠』の本拠地を吐け」


 私の音声センサーは、彼の心拍数が異常に上昇しているのを捉えていた。恐怖。絶望。 だが、次の瞬間、彼の表情が一変した。口元が三日月のように吊り上がり、恍惚とした笑みが張り付く。


「……吐く? なぜ私が、神聖な『箱庭』の場所を汚らわしい旧人類に教えなければならないのです?」


「強情だな。私の尋問は、外科手術よりも痛いぞ」


「必要ありませんよ。……私は、先に還るだけですから」


 技術者は、隠し持っていたアンプルを口に含んだ。噛み砕く音。 中身は、高濃度の『青い涙』原液。


「貴様……!」


 私が彼を突き飛ばすのと同時に、彼の肉体が内側から発光した。青い光が血管を駆け巡り、皮膚の下で結晶化が始まる。 以前見た怪物化とは違う。 この原液は、肉体の変異ではなく、精神の完全な凍結をもたらす純粋種だ。


「ああ……見える……。揺り籠が……ママが待っている……」


 技術者の皮膚が、急速にガラス質へと変貌していく。足先から、指先から、青い水晶のような物質に置換されていく。痛みはないのだろう。 彼の顔は、先ほどまでの狂気が嘘のように穏やかで、仏のような微笑みを湛えていた。


「人間は脆い……だから、私たちは殻に籠もる……。さようなら、哀れな迷子たち……」


 パキ、パキパキ……。


 氷が張るような音と共に、技術者は完全に結晶化した。作業台に寄りかかったまま、両手を胸の前で組み、祈りを捧げるポーズで固まった青い彫像。 その心臓部だけが、最期に一度だけ強く脈打ち、そして永遠に沈黙した。 自死。 いや、彼らにとっては「解脱」と呼ぶべきか。


「……チッ。逃げられたか」


 灯が近づき、結晶化した技術者の頭をコツコツと銃身で叩いた。


「綺麗な死に顔しやがって。これだからカルトは嫌いなんだ。……情報は?」


「脳細胞ごと結晶化している。メモリの抽出は不可能だ」


 私は舌打ちをし、冷たくなった彫像を見下ろした。 痛みから逃げ、現実から逃げ、最後は自らの命さえも放棄して「楽園」へ逃げ込んだ男。 その安らかな死に顔が、私には何よりも醜悪に見えた。


「……行きましょう。九条を運ばないと」


 私は踵を返した。 背後で、美しい青い彫像が、工場の薄暗がりの中で静かに輝いていた。


 事件は収束した。九条は一命を取り留めたが、酸素欠乏による脳へのダメージと、精神的なショックにより、この数日間の記憶の一部を失っていた。 彼が覚えているのは、婚約者を事故で亡くしたことと、その悲しみに暮れていたことだけ。アンドロイドを作ろうとした狂気も、そのアンドロイドに殺されかけた恐怖も、すべて闇の中へと消えた。それが彼にとっての幸福なのか、不幸なのかは分からない。 ただ、人間は忘れることができる生き物だ。それは、我々機械にはない、羨むべき機能(スキル)かもしれない。


 数日後。 私は、診療所のデスクで、破壊した美サのメモリから抽出したデータを解析していた。 『青い涙』のウイルスによって汚染され、修復不可能になったデータ群。 だが、その深層領域。 決して書き換えられることのない読み取り専用(リード・オンリー)のセクタに、一つのテキストファイルが残されていた。


 日付は、彼女が事故に遭う数時間前。 送信されなかったメールの下書き。宛先は、九条。


『ねえ、九条くん。  もし私が死んでも、悲しまないでね。  でも、もし魔法使いが現れて、私を生き返らせてくれるって言ったら……。 たとえ機械の体になっても、私の心臓が鉄屑になっても。 私は、あなたを愛するわ。 あなたの隣で、笑っていてあげる』


 それは、プログラムされた合成音声ではない。 彼女が生前、自身の意思で綴った、本物の言葉。技術者(エンジニア)が言っていた「永遠に愛を囁き続ける人形」などではない。 彼女は、自分の意思で、機械になってでも彼を愛そうとしたのだ。 そして皮肉にも、その想いを利用され、彼を殺しかけた。


「……非合理的だ」


 私は呟き、キーボードを叩く。 このデータを九条に渡すべきか、迷いはなかった。 私はそのテキストを、発信元不明の匿名メールとして、九条のアドレスへと送信した。 送信完了の表示を確認すると同時に、手元のローカルデータを完全に消去(デリート)する。これでいい。 これは幽霊からの手紙だ。 私が持っていていいものではない。


 雨は上がり、飽魔原の空には薄っすらと白んだ朝の気配が漂っている。 私はメンテナンスチェアに深く身を沈め、自身のシステムチェックを開始した。モニターに流れる自己診断ログ。 オールグリーン。異常なし。 だが、最後の一行に、警告(ワーニング)が表示されていた。


『Error: Thoracic Unit - Unknown Heat Source Detected』

(エラー:胸部ユニットに原因不明の熱源反応あり)


 冷却ファンの故障か。それとも、過負荷による回路の焼き付きか。私はそのエラー表示を無表情に見つめ、自分の胸に手を当てた。冷たいチタン合金の装甲の下。 心臓のないその場所に、微かな、しかし確かな熱を感じる。 痛みにも似た、鈍い熱。


「……ただの、排熱不良だ」


 私は独りごちて、エンターキーを叩き、ログを強制消去した。 鉄の体には、愛も涙も不要だ。 バグは修正しなければならない。 そう自分に言い聞かせながら、私は今日も冷たいメスを握る。 硝子の街の調律師として、次の壊れた患者を待つために。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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