第二十六話「ミッドナイト・ヘブン」3
第三章 まだ見ぬ依頼人
ある雨の夜。 東帝都は、いつものように分厚い鉛色の雲に覆われ、シロップのような粘着質の酸性雨に濡れていた。京帝の青空は、遠い異国の夢だったかのように、この街は再び湿った闇に沈んでいる。
神宿の最深部。 ネオンの光さえ届かない、ドブ川のほとりの路地裏に、一人の男が降り立った。
漆黒のロングコートに身を包んだ巨躯。その背中には、身の丈ほどもある巨大な十字架型のケースを背負っている。 濡れたアスファルトを踏みしめる軍靴の音が、重々しく、そして不吉なリズムを刻む。 すれ違う酔っ払いや、客引きのポン引きたちが、本能的な恐怖を感じて道を空けた。 男が纏う空気は、この街の住人が持つ「生活の汚れ」とは違う。冷徹で、潔癖で、血の臭いが染み付いた「処刑人」の気配だ。
男は、懐から一枚の端末を取り出した。ホログラム画面に映し出されているのは、東帝都の混沌を生き延び、バベル・タワーを崩壊させた7人の「魔女」たちのデータ。
不死身の吸血鬼。機械仕掛けの元医師。堕ちた龍神。 禁忌の混血児。殺し屋のアイドルと、その複製体たち。
「……見つけたぞ」
男が低く呟く。その碧眼は、獲物を追い詰める飢えた狼のように冷たく、鋭く光っていた。 雨粒が彼の頬を伝うが、彼は拭おうともしない。
ヴァルチアン特務機関所属。 対魔女エクソシスト――コードネーム『魔女砕き』。
彼は、神の名の下に異端を狩る処刑人だ。この街を救った英雄だろうと関係ない。 秩序を乱し、人の枠を外れた力を持つ者は、すべて「魔女」と定義し、この十字架で粉砕する。それが彼の正義であり、信仰だ。
「ここが、極東の魔都か……」
男は鼻を鳴らした。充満する排気ガスと、腐った生ゴミの臭い。そして微かに漂う魔素の残り香。
「穢れた臭いが充満している。……掃除のしがいがありそうだ」
男は端末を握り潰さんばかりに力を込め、夜の闇に沈む雑居ビルの方角を睨みつけた。 センサーが示す反応は、あのビルの屋上。
「待っていろ、リコリス・バロック。……神の裁きからは、誰も逃げられない」
男が歩き出す。 その背後で、雨音が十字架に当たり、鎮魂歌のような鈍い音を立てていた。 最悪の刺客は、静かに、確実に、彼女たちの喉元へと迫りつつあった。
一方、神宿の雑居ビル屋上。 新装開店した『万事屋 リコリス・バロック』。
腐った鍋の悪臭は消え、代わりに安っぽいコーヒーの香ばしい香りと、生活の雑音が充満していた。 外で忍び寄る死神の足音など知る由もなく、彼女たちはいつものように騒いでいた。
「だから! 補習サボってないって! 電車が遅れただけだって!」
辰巳響が、参考書を放り出して喚いている。 龍神としての威厳はどこへやら、今はただの成績不振に悩む女子高生だ。
「嘘おっしゃい。先生から『辰巳さんが購買で焼きそばパンを買い占めてます』って電話来てましたよ」
天羽祈が、やれやれといった顔でお茶を淹れている。 彼女の手首には、もうリストバンドはない。 傷跡は残っているが、それを隠す必要はもうないのだ。
「次のライブ、新曲はバラードにするわ。タイトルは『血染めのウェディングドレス』」
白雪美流愛が、鏡の前でポーズを決めながら宣言する。
「お姉様のバラード……全宇宙が泣きます! 血の涙を流して!」
「チケットの転売屋は、私たちが処理しておきました!」
白雪亞莉愛と白雪華琉愛が、目をハートにして拍手を送る。双子の手には、血の付いたナイフではなく、サイリウムが握られている。
「……この基盤、焼き切れているな。ジャンク屋へ行かねば」
鉄鏡花は、部屋の隅でガラクタの山に埋もれていた。 彼女の義手は、戦闘用のアタッチメントではなく、精密作業用のマニピュレーターに換装されている。 「修理屋」としての穏やかな時間。
久遠灯は、デスクに足を投げ出し、天井の雨漏りのシミを眺めていた。口元には、いつもの「わかば」。 平和だ。 退屈で、騒がしくて、泥臭い日常。1000年の間、彼女が求め続け、決して手に入らなかった「居場所」が、今ここにある。
その時。 デスクの上の電話が、けたたましく鳴り響いた。
ジリリリリリンッ!!
全員の動きが止まる。 この深夜に鳴る電話は、ロクな知らせではない。 酔っ払いの迷子相談か、警察からの呼び出しか、あるいは――。
「……ちっ。休憩終了かよ」
灯が、不機嫌そうに煙草をもみ消した。彼女は、革張りの椅子をきしませて受話器を取る。
「はい、こちら『リコリス・バロック』」
灯の声は低く、しかしどこか楽しげだった。
受話器の向こうから聞こえてきたのは、男の怒鳴り声と、怪物の咆哮、そして銃声だった。新たな事件。警察の手には負えない、人外絡みのトラブル。
「……ああ、わかった。場所は? ……港湾地区だな」
灯の口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。退屈な猫探しではない。 血と硝煙の匂いがする、極上の仕事の予感。
「いいぜ。どんな厄介ごとでも引き受けてやる。……ただし、代償は高いがな」
灯が受話器を叩きつけ、立ち上がった。黒いコートを翻し、仲間たちを振り返る。
「行くぞ、野郎ども! ……仕事だ!」
その号令に、6人が弾かれたように反応する。
「っしゃあ! 暴れてやるぜ!」 響が拳を鳴らし、青白いスパークを散らす。
「まったく……人使いが荒いんだから」 美流愛がドレスの裾を翻し、ワイヤーを準備する。
「お供します、お姉様!」 「邪魔者は排除します!」 双子が懐からククリナイフを抜く。
「システム、コンバットモードへ移行。……オールグリーン」 鏡花が義手を戦闘用に換装し、駆動音を鳴らす。
「店長代理に留守を頼まなきゃ……」 祈がエプロンを外し、魔術の杖を強く握りしめる。
7人が武器を取る。 S&W M500。マイクロフィラメント・ワイヤー。雷。機械の腕。魔術の杖。ククリナイフ。 バラバラで、歪で、不揃いな凶器たち。 だが、彼女たちの表情に迷いはない。この泥だらけの街で、自分らしく生きる覚悟を決めた者たちの顔だ。
「……開けるぞ」
灯がドアノブに手をかけた。 その背中には、もう1000年の孤独の影はない。 頼もしい仲間たちの影が、重なり合っている。
バンッ!!
灯がドアを蹴り開けた。 吹き込んでくる夜風。雨音とパトカーのサイレン、そして彼女たちの高笑いが、混ざり合って夜空へと溶けていく。
「ようこそ、愛しき地獄へ!!」
彼女たちが飛び出した直後、路地裏の影から、十字架を背負った男がその様子を見上げていたことには、まだ誰も気づいていない。新たな敵。新たな戦い。 それでも彼女たちは止まらない。
硝子の街に、今日も歪な花が咲き誇る。 彼女たちの物語は、終わらない夜の中で、どこまでも続いていく。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




