第三話「鋼鉄のラブレター」1
第一章 電気羊は錆びた夢を見るか
東帝都の東端、飽魔原。 この街に降る雨は、他のエリアのそれとは決定的に成分が異なっている。有機的な腐敗臭を伴う神宿や、甘ったるい脂の匂いがする逝袋とは違い、ここでは絶縁体が焦げたような、鼻腔を突き刺すオゾンの刺激臭が充満している。 降り注ぐのは水ではない。廃棄された基板の緑青と、ショートしたネオン管の水銀が溶け出した、導電性の高い毒液だ。
路地裏は、巨大な電子機器の内臓をぶちまけたかのような惨状を呈している。 絡まり合ったLANケーブルは壊死した腸のようであり、積み上げられたサーバーの残骸は墓標のように雨に濡れて光っている。ここ飽魔原は、かつて「電脳の聖地」と呼ばれた街のなれの果てであり、東帝都という巨大なサイボーグが排泄した金属ゴミの集積場だった。
その最深部。 正規の都市地図においては「共同溝管理区域」として黒く塗り潰された地下三階層に、私の城はある。看板はない。強いて呼ぶなら、『鉄屑医院』。 患者は人間ではない。 人間の皮を被ることに疲れ果てた妖怪、違法な改造手術で身体の半分を兵器に変えたサイボーグ、あるいは持ち主に捨てられ、自我(AI)が崩壊しかけている愛玩用のアンドロイド。 ここは、魂の置き場を失った「モノ」たちが最後に辿り着く、吹き溜まりの修理工場だ。
「……感度良好。神経伝達速度、誤差修正完了」
私は作業用ルーペを外し、自身の左手人差し指を元のソケットへと嵌め込んだ。 カチリ、という硬質な音が、静寂な診療所に響く。 指先を動かすと、微細なサーボモーターが駆動音を奏で、皮膚の下に埋め込まれた炭素繊維の筋肉が収縮する。モニターには、私の身体状態を示す無機質な文字列が滝のように流れていた。 オールグリーン。今のところ、私のシステムに異常はない。
私は鉄鏡花。 かつて神の手と呼ばれた外科医であり、今は脳髄以外を機械へと置換したサイボーグだ。 私は自分の身体を愛している。老いることもなく、疲れることもなく、感情というノイズに判断を狂わされることもない。 世界は「0」と「1」の羅列であり、全ての現象は計算可能だ。 そう信じている。いや、そう定義することで、私は私を保っている。
だが、時折――特に、今日のような酸性雨が換気ダクトを叩く夜には、胸の奥底で警告灯が点滅することがある。 チタン合金の肋骨の裏側。高出力バッテリーと冷却ユニットの隙間に、決して開くことのない「開かずの間」が存在する。 ブラックボックス。 そこには、私が人間だった頃の記憶、痛み、そして捨て去ったはずの「情動」が、圧縮ファイルとなって封印されている。 それは処理落ちを引き起こすバグだ。削除すべきエラーだ。けれど、私はそれを削除できない。その矛盾こそが、私がまだ完全な機械になりきれていない証左だった。
センサーが来訪者を告げた。 予約はない。だが、この診療所を訪れる者に、礼儀正しいアポイントメントを期待する方が間違っている。重い防音扉が開く。 流れ込んできたのは、雨の湿気と、高級なコロンの香り。そして、隠しきれない死の気配だった。
「……ここは、なんでも直してくれる店だと聞きました」
現れたのは、一人の青年だった。仕立ての良いスーツは雨に濡れ、高級な革靴は泥にまみれている。整った顔立ちをしているが、その皮膚は蝋細工のように青白く、目の下には深い隈が刻まれていた。生きている人間だ。だが、その瞳には生気がない。まるで、自分の魂をどこかに置き忘れてきたような虚無が漂っている。
九条。 顔認証システムが、彼のIDを瞬時に検索し、網膜ディスプレイに表示した。 御門区に住む富裕層。大手IT企業の役員。 本来なら、こんなドブネズミの巣窟に足を踏み入れるような人種ではない。
「ここは病院だ。……だが、人間の治療は扱っていない。帰ってくれ」
私は回転椅子を回し、彼に背を向けた。有機生命体の治療は、もはや私の管轄外だ。血と臓物の生暖かい感触など、思い出したくもない。
「人間じゃ、ありません」
九条の声は、縋るように震えていた。彼は、引きずってきた巨大なアタッシュケースを、手術台の上にドサリと置いた。 金属の留め具が外される。 中には、一人の「女性」が横たわっていた。
息を呑むほどに精巧な作りだった。 シリコン製の皮膚は人間のそれと見紛うほど滑らかで、長い睫毛の一本一本までが完璧に植え付けられている。だが、関節の継ぎ目に見える微かなラインと、胸部の起動ランプが、彼女が工業製品であることを示していた。最新鋭のハイエンド・モデル。一台で家が一軒買えるほどの高級愛玩アンドロイドだ。
「彼女を……美サを、直してほしいんです」
九条は、アンドロイドの冷たい頬を愛おしそうに撫でた。
「美サ?」
「ええ。私の婚約者です。……先月、交通事故で亡くなりました」
彼の言葉に、私の論理回路が冷ややかな結論を導き出す。 違法な人格コピー。 現代の降霊術。 死者の脳データをスキャンし、AIの学習モデルとしてアンドロイドに移植する行為。東帝都の倫理規定でも、最も重いタブーとされている所業だ。
「……馬鹿げている」
私は吐き捨てるように言った。
「死者は戻らない。そこにいるのは、あんたの記憶とデータを継ぎ接ぎして作った、ただのシミュレーションだ。データの残響に過ぎない」
「違います! 美サは生きている! ……ほら、聞いてください。彼女の声も聞こえるんだ」
九条が、狂気じみた必死さでアンドロイドの起動スイッチを押した。ヒュン、という駆動音が鳴り、アンドロイドの瞼が震える。 人工声帯がノイズ混じりの音声を紡ぎ出した。
『……ク、ジョ……う……くん……』
合成音声だ。抑揚のパターンも、声質も、完璧に調整されている。 だが、その声を聞いた瞬間、私の背筋に悪寒が走った。 聴覚センサーの波形モニターに、異常なスパイクが表示されたのだ。
『……愛……してる……』
『……ずっと……一緒……』
それは、単なるプログラムの再生ではなかった。通常、AIの音声波形は整然としたデジタル信号を描く。 だが、このアンドロイド――美サの発する音声には、有機的な「揺らぎ」が含まれていた。 いや、揺らぎというよりは、ノイズだ。 極度の興奮、あるいは酩酊状態にある人間の脳波に近い、混沌とした波形。 どこかで見たことがある。 私の記憶領域が検索をかける。 数日前、逝袋の地下で検分した、あの「幸福な死体」たちの脳波パターン。 ドラッグ『青い涙』によって焼き切れた脳が発していた、あの不気味な多幸感の波形と、完全に一致していた。
「……おい」
私は椅子から立ち上がり、手術台へと歩み寄った。 九条の手を払いのけ、アンドロイドの瞳孔をライトで照らす。 カメラアイの奥、虹彩認識ユニットが、青白く発光している。 LEDの色ではない。 内部の冷却液に混入された、何らかの化学物質がルミネッセンスを起こしているのだ。
「あんた、このボディをどこで手に入れた?」
「『ピグマリオン』…闇の……工房です。彼らは言っていました。この『特別な溶液』を使えば、魂を定着させることができると」
九条は夢見心地で答える。その表情は、愛する恋人が蘇った喜びに満ちているが、私にはそれが、死神に魅入られた者の顔に見えた。
ここ数日、飽魔原の裏ニュース掲示板を賑わせているトピックがある。 『暴走ラブドール殺人事件』。持ち主を愛するあまり、その腕力制御リミッターを解除し、抱擁によって圧殺してしまうというグロテスクな都市伝説。被害者の死因は全員、全身骨折による圧死。 そして現場には必ず、青い液体の痕跡が残されていたという。
点と点が、線で繋がる。 これは単なる故障やバグではない。 この街に蔓延する毒素が、電子回路の世界にまで侵食している証拠だ。
「……愛してる……九条くん……」
美サと呼ばれた機械が、ガガガと首を痙攣させながら、九条に手を伸ばす。 その指先が、空気を掴むように震えている。
愛。
非合理で、数値化できず、生産性のない感情。 だが、この機械人形は今、確かにそのバグを原動力として駆動している。プログラムされた疑似恋愛ではない。 何者かが、悪意を持って注入した『青い涙』の成分が、電子頭脳に「愛」という名の狂気を強制インストールしたのだ。
九条は、差し出されたその手を握り返そうとする。その手は、彼を優しく愛撫するためのものではなく、万力のように彼を粉砕するための凶器であるにも関わらず。
「……依頼を受ける」
私は白衣のポケットから、医療用デバイスを取り出した。 九条が驚いたように顔を上げる。
「本当ですか!? 美サを、直してくれるんですね!?」
「勘違いするな」
私は冷徹に告げた。同情などない。 死者を蘇らせたいという彼の感傷になど、1ビットたりとも共感しない。私が許せないのは、私の領域である「機械」の中に、あの忌々しい有機的な毒が混入しているという事実だ。
「これは治療ではない。……デバッグだ」
私は美サの首筋にある接続ポートに、ケーブルを突き刺した。モニターに警告ウィンドウが無数にポップアップする。
エラー。エラー。エラー。 『感情過多』『愛着障害』『殺害衝動』。
真っ赤な警告色に染まる画面を見つめながら、私は自身のブラックボックスが共鳴するのを感じた。
愛という名のバグ。 かつて私を人間たらしめ、そして私を殺した感情。 それが今、目の前の鉄屑の中で産声を上げている。
「オペを開始する」
私は、九条からアンドロイドを引き剥がし、拘束ベルトを締めた。 飽魔原の地下に、雷鳴のような雨音が響き渡っていた。それは、鋼鉄の身体に宿った哀しい夢をあざ笑うかのように、止むことなく降り続いていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




