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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
千年の黄昏(ミレニアム・トワイライト)編

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第二十二話「魂別野(とりべの)の亡霊」2

第二章 吸血鬼の起源


「貴女は勘違いしている」


 氷室(ひむろ)の声は、凍てついた湖面のように平坦で、冷徹だった。 月光が彼の白スーツを青く染め、その影を墓標のように長く伸ばしている。


「あの夜。……(あまね)が死んだのは、疫病のせいではありません」


「……なんだと?」


 久遠灯(くおん あかり)の眉がピクリと動く。1000年間、一度たりとも疑ったことのない事実。愛する男は病に倒れ、自分の無力さゆえに死んだ。その悔恨こそが、灯を灯足らしめている根源だ。


「あれは、毒です」


 氷室は、歌うように告げた。


烏丸保憲(からすま やすのり)が調合し、周の食事に盛った……遅効性の呪毒です」


「毒……?」


 灯の呼吸が止まる。 脳裏に、当時の記憶が奔流となって押し寄せる。周の衰弱は異常だった。屈強な武士だった彼が、数日で血を吐き、枯れ木のように痩せ細っていった。 あれは、ただの病ではなかったのか?


「烏丸様は、貴女という『天帝の器』に興味を持たれていた。……神の血を引く貴女が、極限の絶望と、人であることを捨てるほどの執着を抱いた時、どのような『進化』を遂げるのか」


 氷室は、灯の足元に咲く彼岸花を摘み取り、指先で弄んだ。


「その実験のために、周は選ばれたのです。……貴女を絶望の淵に叩き落とすための、最高の生贄(パーツ)として」


 氷室の言葉が鍵となり、灯の記憶の蓋がこじ開けられる。あの日。周が倒れ、灯が絶望に暮れていた嵐の夜。草庵の外には、灯の知らない「もう一つの真実」があった。


 激しい雨が叩きつける泥濘(ぬかるみ)の中。二つの影が対峙していた。


 一人は、若き日の烏丸保憲。 狩衣を雨に濡らしながらも、その瞳には狂信的な研究欲が燃えていた。


 もう一人は、この国の者とは思えぬ異形の気配を纏った男。月光のような銀髪。血の色をした瞳。「西の吸血鬼(ヴァンパイア)」、レオンハルト・ヴァルプルギス(玲王)。


 烏丸は、泥に膝をつき、恭しく頭を下げていた。


『お願い申し上げます、吸血鬼の王よ』


 烏丸の声は、懇願というよりは、悪魔との取引を楽しむ商人のようだった。


『姫宮を……あの方を人の枠から外すため、貴公の「呪い」をお借りしたい。……彼女に、貴公の血を与えてやってくれ』


 レオンハルトは、退屈そうに欠伸を噛み殺した。彼は、木の上に腰掛け、爪先で烏丸を見下ろしている。


『……くだらんな』


 レオンハルトは冷笑した。


『人間の権力争いになど興味はない。……私はただの旅人だ。貴様の道具になるつもりはないぞ、陰陽師』


『道具ではありません。……これは「観劇」への招待状です』


 烏丸は顔を上げ、妖しく微笑んだ。


『東洋の最高神の血と、西洋の魔物の王の血。……それが混じり合った時、その肉体はどう腐り、あるいはどう輝くのか。……見てみたいとは思いませんか?』


 レオンハルトの瞳が、一瞬だけ揺らいだ。悠久の時を生きる彼にとって、最大の敵は「退屈」だ。神と魔物の配合実験。 その悲劇的な結末は、確かに彼の一興をそそるには十分だった。


『……ふん。悪趣味な男だ』


 レオンハルトは木から飛び降り、音もなく着地した。 彼は懐から、自身の血を満たした杯を取り出し、弄ぶように揺らした。


『だが……面白い。いいだろう』


 彼は、烏丸にではなく、草庵の中で嘆く灯の気配に向けて言葉を投げた。


『私が直々に、彼女に選択肢を与えてやろう。……愛する男と共に人として枯れるか、それとも魔物として永劫の時を彷徨うか』


『感謝いたします』


『礼はいらんよ。……これから始まる悲劇が、私への報酬だ』


 レオンハルトは、愉悦に満ちた笑みを浮かべ、草庵の戸を叩いた。すべては仕組まれていた。 周の病も、タイミングよく現れた救い手も。灯が自らの意志で選び取ったと思っていた「吸血鬼への道」さえも、彼らの盤上の遊戯に過ぎなかったのだ。


「……あ、あぁ……」


 灯は、その場に崩れ落ちそうになった。膝が震える。悲しみではない。怒りでもない。 ただ、底知れない虚無感が、彼女の中身を食い荒らしていく。


「嘘だ……嘘だろ……」


 灯は、泥だらけの手で顔を覆った。


「あいつは……周は……。私のせいで死んだんじゃない……。殺されたのか……? 私を……化け物にするためだけに……?」


 1000年の後悔。 1000年の贖罪。その全てが、烏丸という男の手のひらの上で踊らされていた道化芝居だった。


「許せませんよね?」


 氷室が、そっと灯の肩に手を置いた。 その声は甘く、そして共犯者の響きを帯びていた。


「僕たちの愛を、人生を、尊厳を弄んだあの男が。……のうのうと生き延び、今また神になろうとしていることが」


 氷室は、灯の耳元で囁く。


「だから、復讐しましょう。灯」


 彼は、灯の顔を覗き込み、その涙を指先ですくい取った。


「僕と貴女で。……最強の吸血鬼と、最強の器で。烏丸を殺し、このふざけた世界を滅ぼすのです」


「復讐……」


「ええ。二人で世界の王になりましょう。そうすれば、もう誰も僕たちを傷つけない。……誰も、僕たちを引き裂くことはできない」


 灯の心が揺れる。 吸血鬼としての本能が、氷室の提案に激しく共鳴する。 殺したい。壊したい。 私をこんな目に遭わせた全てを、灰になるまで焼き尽くしたい。氷室の手を取れば、それは叶う。 彼の中には周の記憶がある。彼と共に歩む修羅の道は、かつて叶わなかった「二人きりの永遠」に近いのかもしれない。


 灯の手が、ゆっくりと氷室の方へ伸びる。氷室が、勝利を確信したように微笑む。


 その時。


 ふわりと、鼻先をくすぐる匂いがあった。雨と土と死臭に満ちたこの場所には不釣り合いな、場違いな匂い。


 焦げたコーヒーの香り。腐りかけの鍋の酸味。 そして、安っぽいタピオカの甘い匂い。


「……ッ」


 灯の指が止まった。 脳裏に浮かぶのは、神宿のボロ事務所。傷だらけで、泥だらけで、それでもゲラゲラと笑い合っていた、リコリス・バロックの仲間たちの顔。


 美流愛の、生意気な口調。 鏡花の、偏屈な理屈。響の、豪快な食欲。 祈の、弱気だけど優しい瞳。


 彼女たちとの日々は、高尚な悲劇ではない。 ただの、泥臭くて騒がしい日常だ。 だが、その日常こそが、冷え切った灯の血を温めてくれていた。


 周なら、どうする? もし、彼が生きていて、この真実を知ったら。彼は、世界を恨み、復讐のために剣を取るだろうか?


『君は、生きてくれ。……俺の分まで、美しい世界を見てきてくれ』


 最期の言葉が蘇る。 彼は、自分の命が利用されたことなど意に介さず、ただ灯の幸せだけを願って死んでいった。 そんな男が、復讐の鬼になることを望むはずがない。


 灯は、伸ばしかけた手を握りしめ、拳を作った。


「……お前は、周の記憶を持っているかもしれない」


 灯は顔を上げた。 その瞳から、迷いの色は消えていた。あるのは、1000年前の少女の弱さではない。 現代を生きる、タフで傲慢な吸血鬼の光だ。


「だが、あいつの『心』は持っていない」


「……なんですって?」


 氷室の笑顔が凍りつく。


「あいつなら、復讐なんて望まない。……私の幸せだけを願って、笑って死んでいく男だ」


 灯はM500を構え直し、氷室の眉間に突きつけた。


「お前にあるのは、周の記憶(データ)と、烏丸が植え付けた『執着』だけだ。……それは愛じゃない。呪いだ」


「呪い……。それが愛と何が違うのですか?」


 氷室の表情から、仮面のような笑顔が剥がれ落ちた。 そこには、子供のような純粋さと、底知れない狂気が同居していた。


「執着こそが愛の本質でしょう? ……貴女を手に入れるためなら、僕は世界を灰にしても構わない。それの、何がいけないのですか!」


「残念です」


 氷室が、懐から一振りの刀を取り出した。1000年前の意匠。錆びついた、周の愛刀。だが、その刀身は、妖しい紫色の光を帯びていた。


「ならば、力ずくで連れて行きます。……たとえ四肢をもぎ取ってでも、貴女を僕の『箱庭』に閉じ込める」


 氷室が抜刀する。 その構え。足運び。剣圧。かつて、灯を守り続けた周のそれと、全く同じだった。


 だが、灯はもう怯まない。過去の亡霊(ファントム)を撃ち抜き、未来(あした)を掴むために。彼女はトリガーに指をかけた。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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