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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
千年の黄昏(ミレニアム・トワイライト)編

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第二十二話「魂別野(とりべの)の亡霊」1

第一章 死者の谷


 京帝(キョウテイ)の東。 逢魔が刻を過ぎ、夜の帳が下りた頃、久遠灯(くおん あかり)は一人、深い霧の中に立っていた。


 魂別野(とりべの)。その名の通り、生者の魂が現世と別れを告げる場所。かつては風葬の地であり、死体を野ざらしにして鳥に啄ませた谷。 今は無数の無縁仏が眠る広大な墓地となっていたが、地面から滲み出る死の臭いと、肌に張り付く湿度は、1000年前と何ら変わっていなかった。


「……変わらねえな。ここだけは」


 灯は、湿った土を踏みしめた。足元には、血のように赤い彼岸花(リコリス)が咲き乱れている。 霧が生き物のように揺らめき、朽ちかけた卒塔婆の群れを隠したり、露わにしたりしている。死者たちの囁きが聞こえるような静寂。 だが、吸血鬼である灯にとって、ここは恐怖の場所ではない。むしろ、生者の街よりも心が安らぐ、唯一の聖域だった。


 彼女は、迷うことなく歩を進める。 1000年の時が流れても、その座標は魂に刻み込まれている。コンクリートのビルが建とうが、地形が変わろうが、あの場所だけは見失わない。


 ある一本の老松の下。風化し、文字も読めなくなった古い石塔の前で、灯は足を止めた。


 そこは、1000年前。 愛する男・(あまね)を、灯が自らの手で埋葬した場所だった。泥だらけになりながら、吸血鬼の爪で土を掘り、二度と動かない彼を横たえた、永遠の別れの場所。


「……遅くなったな、周」


 灯は、道中で摘んだ名もなき白い野花を、石塔の前に供えた。


 ふと、数時間前の会話が脳裏をよぎる。 京帝のレジスタンス『夜烏』のアジト。 決戦の準備が進む中、灯は仲間たちに背を向け、言ったのだ。


『悪いが、少し時間が欲しい。……一人で行きたい場所がある』


『はあ? 何言ってんの灯。これからカチコミだっていうのに』


 白雪美流愛(しらゆき みるあ)が眉をひそめる。鉄鏡花(くろがね きょうか)も、端末から顔を上げて警告した。


『推奨しない。単独行動はリスクが高すぎる。敵の索敵網にかかれば……』


『わかってる』


 灯は短く遮った。 その瞳には、普段のふてぶてしさとは違う、静かで切実な光が宿っていた。


『だが、これは私の個人的なケジメだ。……お前らを巻き込むわけにはいかない』


 その言葉に、辰巳響(たつみ ひびき)が鼻を鳴らした。


『……ケッ。水臭ぇこと言ってんじゃねーよ』


 響は、灯の背中をバンと叩いた。


『行ってこいよ。……どうせ、色男に会いに行くんだろ? 待たせたら可哀想だかんな』


『響ちゃん……』


 天羽祈(あもう いのり)が心配そうに見つめるが、響はニカっと笑う。 美流愛も、ため息をついて肩をすくめた。


『仕方ないわね。……遅刻したら、追加料金いただきますからね』


『行ってこい、灯。GPSは切っておく』


 鏡花が、無愛想に、しかし配慮を含んだ言葉を投げる。彼女たちは察していたのだ。灯には、どうしても一人で向き合わなければならない過去があることを。リコリス・バロックとしてではなく、ただの久遠灯として。


『……ありがとな』


 灯は小さく礼を言い、アジトを出た。 その背中を見送る仲間たちの視線が、温かく、そして痛かった。


「……あいつら、勘が鋭すぎて困るぜ」


 灯は苦笑し、懐から「わかば」を取り出した。 火をつけ、その紫煙を墓標に吹きかける。 線香代わりの煙草。 これが、彼女なりの供養だった。


「色々あったよ。……お前が死んでから、随分と遠回りしちまった」


 煙が霧に溶けていく。灯は、石塔に触れようと手を伸ばした。 冷たい石の感触を確かめようとして――その指先が凍りついた。


「……ッ!?」


 石塔の根元。 土の色が、変わっていた。苔生した周囲の地面とは違う、掘り返されたばかりの黒い土。 雑草が踏み荒らされ、新しい足跡が残っている。


 灯は慌てて土を掻き分けた。 吸血鬼の怪力で、盛り土を跳ね除ける。 そこにあったのは、空っぽの棺――いや、朽ち果てた木箱の残骸だけだった。


「……ない」


 遺骨がない。周の骨が、消えている。


 だが、灯の表情は悲しみよりも、冷徹な理解へと変わっていった。 土は新しい。昨夜か、今朝掘り返されたばかりだ。しかし、私たちの前に現れた氷室(周のクローン)は、成人の姿をしている。 培養期間や成長を考えれば、遺骨(DNA)が盗まれたのは「もっと昔」でなければ計算が合わない。烏丸は、とうの昔にここを暴き、骨を持ち去っていたのだ。


 だとしたら、この「新しい掘り返し跡」は何だ? なぜ、今まで隠蔽されていた墓が、今になってわざわざ暴かれている?


「……なるほどな」


 灯は、泥だらけの手を握りしめた。


「見せつけてるってわけか。……私をここに呼ぶために」


 これは盗掘の跡ではない。招待状だ。 私がここに来て、この空の棺を見て、絶望するように仕組まれた舞台装置。


 ギリリ、と奥歯が鳴る。 死者の眠りさえも、駆け引きの道具に使うのか。


 その時。 霧の奥から、湿った足音が響いた。


 カツン、カツン。


 革靴が、墓石を踏む音。 それは、この神聖な場所にはあまりに不似合いな、無遠慮で人工的なリズムだった。


「……ここに来ると思っていましたよ、灯」


 霧が晴れる。現れたのは、純白のスーツを着た男――氷室だった。彼は、灯が供えたばかりの白い野花を、無造作に革靴で踏みにじりながら歩み寄ってきた。 花弁が泥にまみれ、千切れる。


「貴女は律儀な人だ。……1000年も前の約束を、まだ守っている」


 氷室の顔は、月光に照らされ、青白く輝いていた。端正な顔立ち。優しげな瞳。左目の下の泣き黒子。 紛れもない、周の顔だ。 だが、その瞳に宿っている光は、周が決して灯に向けなかった色をしていた。


 粘着質で、独占的で、そして狂気じみた執着。


「……いい趣味だな、氷室」


 灯は立ち上がり、S&W M500を氷室に向けた。ハンマーを起こす乾いた音が、静寂を切り裂く。


「骨はとっくに盗んでいただろうに。……わざわざ墓を荒らして見せびらかすとはな」


「ええ。遺骨は30年前に頂きました」


 氷室は悪びれもせず、穏やかに微笑んだ。 その笑顔が、余計に灯の神経を逆撫でする。


「ですが、空っぽの棺を見て頂きたかったのです。……周はもう、そこにはいない。土の下ではなく、貴女の目の前にいるのだと」


 氷室は自身の胸をトン、と叩いた。


「ここにありますよ。……私は、周の全てを受け継いだのですから」


「……黙れ」


「骨も、遺伝子も、記憶も、痛みも。……そして、貴女への愛も」


 氷室は、恍惚とした表情で語り始めた。 その声色は、かつて周が灯に愛を囁いた時のものと酷似していた。


「覚えていますか? 灯。……あの草庵で過ごした雨の夜。貴女は雷を怖がって、僕の腕にしがみついた。……あの時の貴女の体温、髪の匂い、震える肩の感触。……すべて、僕の中にあります」


 灯が息を呑む。 それは、二人しか知らない記憶だ。墓場まで持っていくはずだった、誰にも触れさせてはいけない大切な思い出。 それを、この泥人形は、我が物顔でひけらかしている。


「最期の瞬間。……貴女が泣きながら僕の名前を呼んでくれたこと。……嬉しかった。死ぬのは怖かったけれど、貴女の腕の中で逝けるなら、それも悪くないと思った」


 氷室は一歩、また一歩と近づいてくる。その言葉の一つひとつが、灯の心を鋭利な刃物のように切り刻む。 記憶の再生。それは冒涜だ。


「やめろ……! その口で、あいつを語るな!」


「なぜですか? 私は周です。……貴女が愛し、貴女を愛した男です」


 氷室は、灯の目前で立ち止まった。銃口が彼の額に触れる距離。 だが、彼は怯えもしない。その瞳には、歪んだ愛の炎だけが揺らめいている。


「灯。……貴女はずっと、後悔していたのでしょう? あの日、僕を吸血鬼にしていれば、二人で生きられたのにと」


 図星だった。1000年の間、灯を苛み続けてきた問い。愛か、尊厳か。 もしあの時、無理やりにでも血を与えていれば、こんな孤独な夜を過ごすことはなかったのではないか。


「だから、叶えに来ました。……今度こそ、二人で永遠を生きるために」


 氷室が手を差し伸べる。 その手は、かつて周が差し伸べた手と、同じ形をしていた。 温かくて、少しゴツゴツしていて、安心できる手。 だが、そこにあるのは救いではない。底なしの沼への誘いだった。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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