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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
箱庭の揺り籠(ガーデン・オブ・クレイドル)編

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第二話「0時のアイドル、雨夜の殺人鬼」3

第三章 アンコールは鮮血で


 深夜の逝袋(イケブクロ)西口公園。 かつては不良たちの溜まり場として畏怖され、今は再開発という名の厚化粧を施されたこの円形広場は、雨という観客だけが見守る孤独なステージへと変貌していた。


 照明(ライティング)は、接触不良で明滅を繰り返す街灯と、厚い雲の切れ間から覗く病的な月明かりのみ。雨脚は衰えるどころか、その密度を増している。天から降り注ぐ無数の針が、私の肌を叩き、体温を奪い、視界を白く塗り潰していく。


「キシャァァァッ!」


『偽MIRUA』が跳躍した。 その初速は、物理法則を嘲笑うかのように軽やかだった。 彼女が地面を蹴った瞬間、敷き詰められた石畳が悲鳴を上げて砕け散る。飛散する(つぶて)が、散弾のように私の頬を掠めた。空中で三回転。 重力を無視した滞空時間。 それは、私がライブのクライマックスで見せる十八番(オハコ)の振付、「天使の降臨(エンジェル・ダイブ)」そのものだった。 だが、決定的に違う。 人間の骨格では不可能な関節の捻じれ。筋肉の限界を超えた収縮速度。 ファンたちの脳内で補正され、理想化された「完璧な動き」が、殺意というベクトルを持って襲いかかってくる。


「……ッ!」


 私はバックステップで身体を引く。泥水が跳ね、深紅のドレスを汚す。 数瞬前まで私の延髄があった空間を、鋭利に伸びた爪が切り裂いた。風圧だけで皮膚が裂け、滲んだ血が雨に洗い流される。


「すごいね、私! そんなに動けるんだ! まるで羽が生えてるみたい!」


 偽物は着地と同時に、無邪気な歓声を上げた。 その声は、私の声帯を完全にコピーしていながら、どこか不協和音を含んでいる。録音された音声を、限界まで早回しにした時のような不快な高揚感。彼女は休むことなく、連続攻撃を繰り出してくる。回し蹴り。手刀。そして獣のような噛みつき。 その全てが、ダンスのステップに組み込まれている。 優雅で、華麗で、そして致命的だ。


「くっ……!」


 私は防戦一方に追い込まれる。改造ペンライトの青白い光刃(ブレード)で牽制を試みるが、偽物はそれを紙一重で、しかもワルツを踊るようなステップで回避する。こちらの攻撃軌道が読まれているのではない。私という存在の設計図(アルゴリズム)そのものを共有しているのだ。いや、違う。 彼女は、私以上に私を「演じて」いる。 疲労を知らず、恐怖を知らず、ただ観客(ファン)を喜ばせるためだけに最適化された、生きた偶像(アイドル)


「どうしたの? 動きが鈍いわよ? もっと笑って! もっと輝いて! みんなが見てるわよ!」


 偽物の回し蹴りが、ガードした私の左腕ごと脇腹を蹴り抜いた。 肋骨が軋む、嫌な音。 私は枯れ葉のように吹き飛ばされ、泥濘(ぬかるみ)の中へと転がった。冷たい泥が口の中に侵入し、鉄錆の味が広がる。肺の中の酸素が強制的に排出され、視界が明滅する。


「立てないの? ……じゃあ、アンコールはおしまいね」


 偽物がゆっくりと近づいてくる。 雨に濡れた純白のドレスは、彼女が喰らったファンたちの血でどす黒く変色しているが、その表情だけは聖女のように清らかだった。 その指先が、ナイフのように鋭く変形し、私の心臓を狙って振り上げられる。


 その時だ。


「……手伝おうか?」


 雨音のカーテンを切り裂くように、低く、落ち着いた声が響いた。闇の(とばり)を纏うようにして現れたのは、黒いコートの女――久遠灯(くおんあかり)。 いつの間に到着していたのか、気配すら感じさせなかった彼女は、愛用のS&W M500を片手で構え、銃口を偽物の眉間に定めていた。


「灯……」


「お前のファン感謝祭にしては、随分とハードだな。……あいつの頭蓋骨を一発ぶち込んでやれば、少しは静かになるぞ」


 灯の人差し指が、重いトリガーにかかる。 その大口径マグナム弾なら、物理法則を無視した亡霊の頭部を吹き飛ばすことなど容易いだろう。吸血鬼の動体視力と、千年の経験に裏打ちされた射撃技術。 助かる。そう思った瞬間、私の奥底で何かが弾けた。


「……ダメ」


 私は泥まみれの掌を地面に突き、震える膝に力を込めて立ち上がった。ドレスは汚れ、髪は乱れ、今の私はきっと、アイドルとして最低の姿をしているだろう。 けれど、目は逸らさない。私は灯を、射殺さんばかりの視線で睨みつけた。


「手出ししないで。……これは、私の『卒業式』だから」


「卒業式?」


 灯が怪訝そうに眉を寄せる。


「あいつは、私の過去で、私の(カルマ)よ。……ファンが生み出した妄想の後始末を、他の誰かに処理させたら、私は一生、アイドルのふりをした詐欺師のままだわ」


 私はペンライトを構え直す。 指先が白くなるほど強く握りしめる。灯は数秒間、私という存在を値踏みするように見つめ、やがてフッと短く笑って銃を下ろした。紫煙の代わりに、白い吐息を吐き出す。


「……勝手にしろ。ただし、死んだら死体処理代は給料から引くぞ」


「りょーかい」


 私は深く、肺の底まで酸素を吸い込む。脳内のスイッチに手をかける。普段なら、冷徹に、機械的に行うリミッター解除。 だが今夜は違う。 感情という名の泥を、回路にぶちまける。


 固有能力『殺戮舞踏(デス・ワルツ)』。


 心拍数が跳ね上がり、血管が膨張する。 視界の色相が反転し、雨粒の一つひとつが空中で静止して見える。音だけが消え、世界がスローモーションの映画のように流れ出した。


「行くよ、ニセモノ」


 私は地面を蹴った。先ほどまでの、洗練されたダンスのステップではない。アイドルとしての「見せる動き」を捨て去り、ただ敵を破壊するためだけの、泥臭く、卑怯で、最短距離を走る獣の動き。


「あら、まだ踊れるの? 嬉しい!」


 偽物が歓喜の声を上げ、迎撃態勢に入る。完璧な重心移動。教科書通りのカウンター。だが、今の私は止まらない。 技術(スキル)ではない。激情(パッション)だ。 「私」という存在を勝手に定義し、勝手に愛し、勝手に殺した連中への、魂の咆哮。


「私の顔で! 私の声で! 勝手に愛を語るなあああっ!」


 私は絶叫と共に、光刃を振り下ろした。雨が蒸発し、白煙が上がる。 私と私の、最後のダンスが始まった。


 刃が交錯する。 偽物の動きは、どこまでも美しい。私の新曲の振付を完璧に再現しながら、その遠心力を利用して爪を振るう。 予測可能だ。 なぜなら、それは「ファンが見たいMIRUA」の動きだからだ。彼らの網膜に焼き付いた、ステージ上の輝かしい偶像。決して転ばず、決して汚れず、決して卑怯な真似はしない聖女。それが、お前の限界だ。


 対して、今の私はどうだ。泥水を跳ね上げ、ドレスの裾を踏みつけ、獣のように唸り声を上げている。 殺し屋として培った、生き汚い生存本能。目潰し、金的、噛みつき。 勝つためなら何でもやる。それが、地下という掃き溜めで生き残ってきた「本物」の強さだ。


「くっ……!」


 偽物の回し蹴りが迫る。 回避は間に合わない。私は、避けることを放棄した。 左腕を前に突き出す。盾にするのではない。餌にするのだ。


 ガブッ!


 肉の裂ける生々しい音が、雨音を凌駕して響いた。 偽物の牙が、私の左前腕に深々と食い込む。尺骨が砕け、神経束が引きちぎられる激痛。脳髄が白く焼き切れそうになるのを、殺意でねじ伏せる。


「捕まえた」


 私は、牙を突き立てられたままの左腕を、さらに深く相手の喉奥へと押し込んだ。 予想外の行動。偽物の完璧な笑顔が、初めて曇る。金色の瞳孔が揺らぎ、困惑の色が浮かぶ。ファンたちの妄想の中にある「MIRUA」は、自らの肉体を犠牲にするような、痛々しく無様な戦い方はしない。 想定外(エラー)。 その一瞬の硬直が、勝負を分かつ。


「ファンなら知ってるはずよ……」


 私は至近距離で、偽物の目を見据えた。泥と血にまみれた私の顔が、その金色の瞳に映っている。美しい偶像ではない。 ただの、必死に生きる一人の少女の顔。


「私の特典会の対応は、たまに『塩対応』だってこと!」


 右手の袖口から、マイクロフィラメント・ワイヤーを射出する。髪の毛よりも細く、鋼鉄よりも硬い、不可視の糸。 マイクのコードのようにしなやかに、それは雨粒を切り裂きながら宙を舞い、偽物の首へと巻き付いた。


「なっ……!?」


 偽物が身をよじり、私の腕を噛み千切ろうとする。遅い。私は恋人を抱きしめるように、偽物の背中に回り込んだ。 左腕の痛みはもう感じない。あるのは、冷え切った処刑人の指先の感覚だけ。ワイヤーを交差させ、その両端を強く握りしめる。


 耳元で、私は囁いた。 まるで、特典会でファンに秘密を打ち明ける時のように。甘く、優しく、そして冷酷に。


「さよなら。……推し変は許さないから」


 指先一つ動かす。ピアノの鍵盤を叩くよりも軽い力で。 ワイヤーが締まり、肉を、気管を、頸椎を、抵抗なく通過した。


 スッ、と風を切るような音がした。


 偽物の動きが、ピタリと止まる。噛み付いていた顎の力が抜け、私の左腕が解放された。首筋に、赤い線が走る。 それはまるで、赤いチョーカーのように鮮やかだった。


「あ……れ……?」


 偽物の口から、声にならない音が漏れる。 視線が泳ぎ、そして、ゆっくりと世界がずれていく。首が、胴体から滑り落ちた。


 切断面からは、生臭い血は流れない。代わりに噴き出したのは、青白く輝く光の粒子だった。 『青い涙』の成分と、ファンたちの妄想、執着、そして愛。 それらが物理的な形を維持できなくなり、大気中へと還元されていく。


「みんな……愛して……」


 地面に落ちた頭部が、最後に何かを言いかけて、微笑んだまま崩れ去った。 蛍の光のような粒子が、雨に打たれて儚く消えていく。後に残されたのは、血と泥に染まった、ボロボロの純白のドレスの残骸だけだった。


 雨が上がった。雲の切れ間から、青ざめた月光が、スポットライトのように西口公園を照らし出している。 私は、ずぶ濡れのままベンチに座り込んでいた。


 アドレナリンが切れ、急激な寒気が身体を震わせる。左腕はギプス代わりのワイヤーで簡易的に固定しているが、内出血でどす黒く腫れ上がり、脈打つたびに鈍い痛みを訴えている。 だが、その痛みこそが、私が「本物」であるという唯一の証明のように思えた。


「……終わったか」


 砂利を踏む音と共に、灯が近づいてきた。 彼女は無言で、ポケットから缶コーヒーを取り出し、私の頬に押し当てた。 自動販売機の温かさが、冷え切った皮膚に染み渡る。


「……ねえ、灯」


 私はプルタブを開けずに、缶を両手で包み込んだ。声が震えるのは、寒さのせいだけではない。


「なんだ」


「私、あいつのこと殺したけど……あいつの中にあったファンの気持ちも、一緒に殺しちゃったのかな」


 タナカさん、サトウさん、スズキさん。 名もなきファンたちの、狂おしいほどの想い。 歪んではいたけれど、それは間違いなく彼らの人生の全てだった。 それを、私は自らの手で切り刻み、無に帰してしまった。胸の奥に、ぽっかりと空いた穴。 喪失感と、罪悪感と、そして奇妙な達成感が入り混じった、ドロドロとした感情。


 灯は新しい「わかば」を取り出し、火をつけた。 紫煙が夜空へと昇り、月明かりに溶けていく。 彼女は煙を吐き出しながら、淡々と言った。


「殺したさ。だが、それがお前の仕事だろ」


 その言葉は、冷たく、そして優しかった。


「客の人生を吸い上げて、その代償に夢を見せる。夢から覚めない奴がいれば、引導を渡してやる。……立派なプロの仕事だ」


「……プロの、仕事」


 私はその言葉を反芻する。 そうだ。私はアイドルで、殺し屋だ。愛なんて高尚なものは分からない。けれど、彼らの命を背負って、彼らの欲望を喰らって、ステージに立ち続ける覚悟だけはある。


 私は、ふっと自嘲気味に笑った。 月に向かって、缶コーヒーを掲げる。 見えない誰かへの、乾杯。


「そうだね。……私は、全部飲み込んで消化してやる」


 それが、私という怪物の生き方だから。


 翌日のライブハウス『セルロイド・ドリーム』。 逝袋の地下は、今日も変わらず、饐えた臭いと男たちの熱気に満ちていた。


 私は、ステージ袖の暗がりに立っている。今日の衣装は、いつもの露出の多いものではない。 長袖のブラウスに、手袋。 折れた左腕を隠すための装いだが、ファンたちは「新衣装だ!」と無邪気に喜んでいるだろう。


 客席を見る。 最前列の中央(センター)。いつもなら、ネルシャツを着たタナカさんが陣取り、汗だくになって私の名前を呼んでいた場所。 そこは、ぽっかりと空いていた。 まるで、最初から誰もいなかったかのように、黒い床が見えている。


 サトウさんも、スズキさんもいない。 私の「太客」たちは、もう二度と戻ってこない。 彼らの人生は、昨夜の雨と共に霧散した。


 それでも。 残ったファンたちは、枯れるような声で私の名前を叫んでいる。新たな獲物たちが、水槽の外から私を見つめている。彼らの瞳に映る私は、天使か、それとも悪魔か。 どちらでもいい。 私は、彼らが望むものになるだけだ。


「MIRUAちゃん、出番です!」


 スタッフの声がかかる。私は深呼吸をした。 肺の中に、地下の澱んだ空気を満たす。 これが、私の生きる場所の匂いだ。


「いくぞー! せーのっ、み・る・あー!」


 私は光の中へと飛び出した。鼓膜を叩く歓声。網膜を焼くサイリウムの海。 私はマイクを強く握りしめ、完璧な、作り物のような笑顔を作る。


 その瞳の奥には、昨日よりも深く、暗い闇が広がっていた。 孤独な影をステージに焼き付けながら、私は今日も歌う。 殺意という名の、重たく、苦しく、そして甘美な愛の歌を。スポットライトが、私という虚像を鮮烈に照らし出していた。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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