第十九話「泡沫(うたかた)の夢」2
第二章 冒涜的なラブレター
重厚な扉が開くと、そこは月明かりに照らされた豪奢な広間だった。 アンティークの家具が並ぶ洋館の最奥。 その窓際に、東帝都知事・氷室は立っていた。彼は、入ってきた私を見るなり、優雅に、そしてどこか芝居がかった動作で跪いた。
「――お待ちしておりました、姫宮様」
その呼び名を聞いた瞬間、久遠灯の心臓が、早鐘を打った。1000年もの間、誰も呼ばなかった禁忌の敬称。
「……よせ。その名で私を呼ぶな」
灯の声が低く唸る。 平安の昔。 彼女はただの貴族の娘ではなかった。 この国の霊的支柱である『天帝』の血を引く、高貴なる巫女姫。 生まれながらに神の愛し子として祀られ、自由を奪われ、鳥籠の中で飼い殺されていた「生きた神像」。それが、人間だった頃の久遠灯の正体だ。彼女が吸血鬼となっても自我を保ち、最強の再生能力を有しているのは、その身に流れる「神の血」が影響しているからに他ならない。
「ふふ。失礼しました。……ですが、私にとって貴女は永遠に、雲の上の姫君なのです」
氷室が顔を上げる。 月光が、その端正な顔立ちを照らし出した。優しげだが芯の強さを感じさせる瞳。 そして、左目の下にある泣き黒子。
灯の思考が凍りつく。 時が止まる。 1000年の時を超えて、記憶の蓋がこじ開けられる。
「……周……?」
震える声で、灯はその名を呼んだ。
周。 かつて、姫宮だった灯の護衛を務めていた、下級武士の男。 身分の違いゆえに言葉を交わすことさえ許されず、ただ影のように寄り添い、命を賭して彼女を守り続けた男。 全てを捨てて二人で都落ちし、泥にまみれて愛し合い、そして灯の腕の中で死んでいった、最初で最後の恋人。
「ええ。周は死にました」
氷室は、穏やかに、しかし残酷に微笑んだ。
「ですが、その遺骨と記憶を受け継ぎ、私は蘇ったのです」
彼は語り出す。 京帝の禁足地・魂別野にある、封印された墓所。 そこから盗掘された周の遺骨を素体とし、特務祭祀局の長・烏丸保憲の呪術と、現代のバイオテクノロジーによって培養されたクローン。 それが、氷室の正体だった。
「私の中には、周の記憶があります。……御簾の向こうの貴女を盗み見ていた日々。草庵での貧しくも満ち足りた暮らし。そして、あの雨の日の別れの痛みも」
氷室が胸に手を当てる。そこには、かつて灯が吸血鬼として目覚めた夜、彼を守るために負った傷跡があるはずだ。
「周は、愚かな男でした。……身分違いの恋に怯え、貴女の手を取ることさえ躊躇い、最後は人間としての誇りを選んで死んだ」
氷室の口調が変わる。懐かしむような響きから、熱っぽい執着へ。
「ですが、私は違います。……私は、貴女を愛するためだけに再編集された、新しい周なのです。迷いも、躊躇いも、倫理もありません。ただ、貴女を手に入れることだけが、私の存在意義なのです」
氷室が、灯に近づいてくる。 灯は後退る。 本能が警鐘を鳴らしている。目の前にいるのは、愛する人の顔をした「怪物」だ。 周であって、周ではない。 思い出を食い荒らし、歪んだ欲望で肥大化した泥人形。
「灯」
氷室が手を差し伸べる。 その手は、かつて周が「汚れているから」と言って、触れることを躊躇った手だ。 だが今は、迷いなく灯を求めてくる。
「烏丸様は私を作りましたが、私は彼の人形ではありません。……私は、貴女のためだけに蘇ったのです」
彼の瞳に、昏い光が宿る。
「この世界は汚れている。人間も、人外も、貴女を傷つけるだけのゴミだ。……だから、一掃しましょう」
「……なんだと?」
「私の権限を使えば、東帝都の全ての『不純物』を排除できます。……そうしたら、二人だけで故郷へ帰りましょう。京帝の、あの懐かしい場所で、永遠に暮らすのです」
彼が提示したのは、悪魔の契約だった。この街に生きる3000万人の命を贄とし、二人だけの楽園を築くという狂気の提案。
「迎えに来たよ。……もう、二度と君を一人にはさせない」
その言葉。 それは、灯が1000年間、心のどこかで待ち望んでいた言葉だったかもしれない。 天帝の血筋という呪縛から解き放たれ、ただの男と女として生きたいと願った、あの日の夢。
だが、今の灯には、その言葉が酷く空虚に、そして冒涜的に響いた。
パシッ。
乾いた音が響いた。 灯が、氷室の手を振り払ったのだ。
「……ふざけるな」
灯はM500を抜き、かつての恋人の顔をした男の眉間に突きつけた。 手は震えていない。瞳にあるのは、未練ではなく、激しい怒りだ。
「お前は周じゃない」
灯は、血を吐くように叫んだ。
「あいつは、もっと弱くて、愚かで……そして誰よりも命の重さを知っていた!」
周は、無力だった。 姫宮である私を連れ出しはしたが、追っ手に怯え、疫病に勝てず、最後は私を残して死んだ。 だが、彼は最期まで「人間」であることを誇りにしていた。吸血鬼の血を飲んで生き永らえることを拒み、限りある命を燃やし尽くして逝った。 そんな彼が、他人の命を奪ってまで、自分だけの永遠を望むはずがない。
目の前にいるのは、周の皮を被った、冒涜的なキメラだ。
「私の愛した男を……二度も殺させるかよッ!」
灯がトリガーを引く。轟音。 至近距離からの射撃。頭蓋骨を粉砕する威力。
だが。
シュッ。
氷室の姿が掻き消えた。 人間離れした速度。 次の瞬間、彼は灯の背後に立っていた。
「……やはり、言葉では伝わりませんか」
氷室の声には、深い失望の色が滲んでいた。
「残念です、灯。……貴女は、くだらない『鎖』に縛られすぎている」
彼は、窓の外――神宿の方角を見やった。 そこには、灯が帰るべき場所、『Akari Detective Studio』がある。 美流愛、鏡花、響、祈、そして双子たち。 かつての姫宮には許されなかった、血の繋がらない「家族」たちが待つ場所。
「ならば、その鎖を全て壊して……僕しかいないとわからせるしかありませんね」
氷室が指を鳴らす。 それは、愛の告白ではなく、破滅への合図だった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




