第十九話「泡沫(うたかた)の夢」1
第一章 出発前夜の招待状
墨堕川の戦いから数時間後。 神宿の雑居ビル屋上、『Akari Detective Studio』。 夜明け前の薄暗がりの中、この狭いプレハブ小屋は、さながら夜逃げか、あるいは決死の行軍を控えた前線基地のような喧騒に包まれていた。
「お姉様の尊い衣装は、一枚たりとも残せません!」
「食料よりも優先です。お姉様の美しさが、私たちの栄養源ですから」
新入りの双子――白雪亞莉愛と白雪華琉愛が、目を血走らせながら段ボールを積み上げていく。中身は、白雪美流愛の歴代ステージ衣装、限定グッズ、そして盗撮……もとい、記録用のブロマイドの山だ。
「あんたたち、いい加減にしなさいよ……。そんなの持ってけないわよ」
美流愛が頭を抱え、疲れ切った声で呻く。彼女は手際よく必要最低限の荷物をまとめ、双子が積み上げた段ボールの山を容赦なく選別していく。
部屋の隅では、天羽祈がリュックサックに荷物を詰めていた。 包帯、消毒液、魔力回復用のポーション。 そして、銀色の缶がぎっしりと詰め込まれていく。
「祈、お前……それは何だ?」
辰巳響が、点滴スタンドを引きずりながら呆れた声を出す。 リュックの中身の半分は、ロング缶の『ストロングゼロ(ダブルレモン)』だった。
「え? ……燃料、ですけど」
祈は真顔で答えた。 彼女の手には、既に開けられた缶が握られている。プシュッ、という炭酸の音が、殺伐とした空気を少しだけ和ませる。
「京帝までは長旅ですから。……シラフじゃ、この世界の彩度は高すぎます」
祈はグイッと酒を煽り、ふぅ、と息を吐いた。その頬はほんのり赤いが、瞳には据わった覚悟が宿っている。 アルコール度数9%の聖水。それが、この臆病な魔天子を支える儀式なのだ。
「……たく。どいつもこいつも」
久遠灯は苦笑し、胸ポケットから愛用の紙箱を取り出した。 「わかば」。安っぽくて、辛くて、時代遅れの煙草。 彼女は一本取り出して咥え、ジッポで火をつけた。紫煙が立ち昇り、部屋の埃っぽい空気と混じり合う。 肺を焼くような苦味。 それが、灯にとっての「落ち着き」のスイッチだ。
灯は床のハッチを開け、階下のガレージに声をかけた。
「おい、下の様子はどうだ?」
久遠灯が、床のハッチを開けて声をかけた。 このビルの一階、かつては雀荘だった廃店舗を改造したガレージと、屋上の事務所はダクトで声が通るようになっている。
『こっちは準備万端だ。……いつでも出られる』
鉄鏡花の声が、スピーカー越しではなく、ダクトの奥から直接響いてきた。 一階のガレージには、異様な威圧感を放つ車両が鎮座しているはずだ。 大型のキャンピングカーをベースに、装甲板と対人外兵器を増設した、動く要塞。 鏡花が徹夜で改造した、リコリス・バロック専用の逃走車だ。
「了解だ。……響、調子はどうだ?」
「……まあまあ。鏡花の点滴のおかげで、透けるのは止まった」
響は不満げに唇を尖らせる。
「でも腹減った。なぁ、タピオカは積んだのかよ?」
「……積んでません。そんなスペースありません」
「はあ!? 死活問題だろ! ストゼロ積む隙間あんならタピオカ詰めろよ!」
騒がしくも温かい、終わりの前の日常。だが、その空気は、窓の外を見る灯の視線によって、鋭く切り裂かれていた。
外の世界は、凍りついていた。 東帝都の主要な街道、鉄道、空路のすべてに、治安維持部隊『ホワイト・ファング』の厳重な検問が敷かれていた。完全な封鎖状態。 名目は「テロ対策」だが、実態は私たちを閉じ込め、狩り出すための包囲網だ。
「……ネズミ一匹逃さないつもりか」
灯が舌打ちをする。 響の体調は安定しているが、アシュラツリーの影響圏内に留まり続ければ、再び消滅の危機が訪れる。一刻も早く、全ての元凶である京帝へ向かわなければならない。だが、脱出ルートが見つからない。
その時。ブゥン……という低い羽音と共に、一機のドローンが窓の外に飛来した。 攻撃用ではない。郵便配達用の小型機だ。ドローンは窓ガラスをコツコツと叩き、一通の封筒を落として去っていった。
「……なんだ?」
灯が窓を開け、封筒を拾い上げる。上質な和紙。封蝋には、東帝都の紋章。差出人は、東帝都知事・氷室。
中に入っていたのは、一通の招待状だった。
『京帝への通行手形を用意しました。今夜、迎賓館にてお待ちしております』
それは、こちらの動きを完全に把握した上での、あまりに傲慢な呼び出しだった。
「罠です。行けば包囲されます」
アリアとカルアが、即座にナイフを抜く。 その瞳には、灯を守るためというよりは、邪魔者を排除したいという純粋な殺意が宿っている。
「排除しましょうか? 私たちなら、知事の寝首をかくことくらい造作もありません」
「お姉様の進行を妨げる障害物は、すべて破砕対象です」
「待ちなさい」
美流愛が双子を制止する。
「灯さん、行かなくていいわ。強行突破しましょう。鏡花の車なら、検問くらい突破できるでしょ?」
「……ああ。可能だ」
一階から戻ってきた鏡花も同意する。 オイルで汚れた手を拭いながら、彼女は冷静に分析した。
「成功率は68%。……だが、この招待状に応じた場合の生存確率は、算出不能だ」
全員の視線が、灯に集まる。灯は、封筒を握りしめたまま、無言でテレビ画面を見つめていた。ニュース映像。演説をする氷室知事の顔。
端正な顔立ち。優しげな瞳。そして、左目の下にある泣き黒子。 その姿を見るたびに、灯の胸の奥で、1000年前の古傷が疼くのを感じていた。
周。
1000年前の平安の都で、灯が愛し、その腕の中で看取った人間の男。声も、顔も、雰囲気も。 氷室は、あまりに周に似すぎていた。他人の空似ではない。もっと根源的な、血の繋がりを感じさせる「匂い」。
「……わかってる。罠だ」
灯は静かに口を開いた。
「だが、行かなきゃならねえ理由がある」
彼女は、握りしめた封筒をポケットにねじ込んだ。
「京帝へ行く前に、この亡霊の正体を突き止めなきゃならねぇ。……過去の因縁を精算しなきゃ、私は前に進めないんだ」
灯の瞳には、迷いはなかった。それは、死に場所を探す老人の目ではなく、未来を掴み取ろうとする獣の目だった。
「出発は明朝だ。……その前に、挨拶回りに行ってくる」
「灯……」
響が心配そうに声をかけるが、灯はニヤリと笑って見せた。
「安心しろ。土産話くらいは持って帰ってやるよ」
灯は仲間たちに脱出準備の仕上げを任せ、単身、夜の闇へと消えていった。 行き先は、御門区。政府迎賓館『白亜の離宮』。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




