第十八話「神殺しの楔(くさび)」3
第三章 泥だらけの御神体
雨は、唸りを上げていた。墨堕川の河川敷。 かつて葦が生い茂り、野良猫やホームレス、そしてアタシが昼寝をしていた静かな聖域は、今や鉄と油の臭いに蹂躙されていた。
ズズズズ……。
腹に響く重低音と共に、無数のショベルカーとブルドーザーが迫ってくる。 その周囲を固めるのは、白い強化装甲服に身を包んだ『ホワイト・ファング』の大部隊だ。
「チッ、数が多いな!」
久遠灯の怒号が響く。彼女はM500を連射し、迫りくる兵士たちを牽制している。白雪美流愛がワイヤーで重機の油圧パイプを切断し、鉄鏡花がサブアームで弾幕を防ぎ、天羽祈が結界を張る。
仲間たちは戦ってくれている。 だが、敵の狙いはアタシ一人に集中していた。
「目標確認。……土地神を埋め立てろ」
無機質な指令と共に、対人外用の結界弾が降り注ぐ。 アタシの周囲だけ重力が歪み、泥濘が沼のように足を絡め取る。
「……くそっ」
アタシは、泥の中で膝をついた。 立ち上がろうとするが、足に力が入らない。 アシュラツリーによる吸い上げと、敵の結界。二重の枷が、アタシの存在を構成する霊素を根こそぎ奪っていく。 指先がノイズのように明滅し、透けていく。
「響! 立つんだ!」
灯が叫び、こちらへ駆け寄ろうとする。だが、兵士たちの集中砲火が彼女の足を止める。分断された。
「排除開始」
巨大なショベルカーのアームが、アタシの頭上に振り上げられた。 巨大な鉄の爪。 それが、アタシを瓦礫ごとすくい上げ、粉砕しようと迫る。
(……終わりか)
アタシは空を見上げた。鉛色の空。 灯たちも間に合わない。結局、アタシは誰にも必要とされず、ただの汚れた水として消えていくのか。
その時だった。
「やめてぇぇぇッ!!」
悲鳴のような叫びと共に、小さな影がアタシの前に飛び込んできた。制服姿の少女。泥だらけのローファーで踏ん張り、両手を広げて立ちふさがる。
「……美、咲……?」
アタシは我が目を疑った。美咲だった。ただの人間。霊感もない、戦闘力もない、平凡な図書委員。 その彼女が、震える足で、鋼鉄の重機の前に立ちはだかっている。
「どけ! 公務執行妨害だぞ!」
スピーカーから警告音が響く。 だが、美咲は退かなかった。
「どかない! 響ちゃんを……私の友達を、いじめるな!」
「友達だと? そいつは未確認生体兵器だ。排除対象だ」
「違う! 神様でも、怪物でもない! ……響ちゃんは、私たちの大切な友達だ!」
美咲の叫びに呼応するように、土手の上から次々と影が駆け下りてきた。
「おうおう! 寄って集ってたかが女子高生一人に、大人気ねぇんじゃねえか!?」
鉄パイプを引きずって現れたのは、迷彩柄のパーカーを着た男たち。 前にアタシが助けた、逝袋の愚連隊『デッド・エンド』の生き残りだ。
「お姉ちゃんをいじめるなー!」
石ころを投げて加勢するのは、ブツ横で出会った『ブツ横キッズ』の子供たち。
「……アンタら」
アタシは呆然とした。 どうして。 どうして、人間なんかが。リコリス・バロックの連中はともかく、こいつらはただの一般人だぞ? それなのに、彼らは武器も持たず、ただの生身の体で、重機と銃口の前に立ちはだかっている。
「この街の守り神を、スクラップになんかさせてたまるか!」
「アタシらの居場所を守ってくれたのは、警察でも知事でもねぇ! この子だ!」
彼らは手を取り合い、人間の鎖となってアタシと重機の間に壁を作った。泥だらけで、汗臭くて、そして温かい壁。 恐怖に震えながらも、誰一人として逃げようとしない。
アタシの胸の奥が、熱くなった。 それは、アシュラツリーに吸い上げられた霊力とは違う。もっと熱くて、ドロドロとしていて、強烈なエネルギー。
かつて、京帝で捧げられた供物は、冷たかった。 『祟らないでください』『守ってください』という、恐怖と打算に満ちた祈り。 それは、神と人との間に明確な線を引く、冷徹な契約だった。
けれど、これは違う。 美咲が、愚連隊が、子供たちがアタシに向ける感情は、信仰なんかじゃない。 損得勘定のない、ただ純粋な「情」。 友達だから。恩義があるから。好きだから。 そんな、神様にとってはあまりに些細で、非合理的な理由。
「……バーカ」
アタシの目から、大粒の涙が溢れ出した。 それは雨水ではない。アタシの魂から絞り出された、本物の涙。
「人間が……飼い主を守ってんじゃねーよ……!」
涙が地面に落ちた、その瞬間。 干上がっていた墨堕川の水位が、爆発的に上昇した。
ゴゴゴゴゴゴ……!!
大地が震える。 アシュラツリーの呪縛を、人々の「想い」が凌駕し、逆流を始めたのだ。 アタシの身体からノイズが消え、輪郭が鮮明になる。力が、満ちてくる。 かつてないほどの、清らかで強大な力が。
「……見せてやるよ。これが、お前らが愛した神の姿だ!」
アタシは天に向かって咆哮した。
『竜王顕現』――覚醒。
アタシの背後に、水蒸気が渦を巻き、巨大な幻影を形成する。それは、かつての恐ろしい破壊の化身ではない。青く透き通った鱗を持ち、人々を慈しむように鎌首をもたげる、美しき守護竜。
「うぉぉぉぉッ!!」
アタシが腕を振り下ろすと、川の水が意思を持ったように隆起した。数十メートルの高さの津波が、壁となって押し寄せる。 だが、それは美咲たちを濡らすことはない。水流は彼らを優しく避けて通り、その先にいる『ホワイト・ファング』の重機部隊だけを飲み込んだ。
「な、なんだこの水量は!?」
「退避! 退避ぃ!」
数トンの鉄塊であるショベルカーが、木の葉のように押し流されていく。兵士たちは足を取られ、武器を流され、濁流の中で藻掻くしかない。
アタシは空を見上げた。遥か彼方、アシュラツリーの先端で明滅していた赤い光が、一瞬だけ弱まり、フッと消えた。 勝った。システムによる搾取に、泥臭い人間の愛が勝ったのだ。
水が引いていく。 河川敷には、瓦礫と、腰まで泥に浸かった兵士たちが転がっている。 アタシは、人間の姿のまま、美咲たちの中心に立っていた。
「……すげぇ」
「やった……勝った……!」
歓声が上がる。 灯たちが駆け寄ってくる。
「派手にやったな、響」と灯が笑い、美流愛が「遅いのよ」と涙目で文句を言う。
そして、美咲が。 泥だらけの顔で抱きついてきた。
「響ちゃん! 無事!?」
「……ああ。お前のおかげでな」
アタシは美咲の背中を、壊れ物を扱うようにそっと抱き返した。温かい。これが、アタシを守ってくれた体温だ。
戦闘は終わった。 敵部隊は撤退し、とりあえずの平穏は戻った。 だが、アタシの身体は限界を迎えていた。 実体を取り戻したとはいえ、アシュラツリーがある限り、この東帝都の土地はアタシから力を吸い続ける。ここに留まれば、いずれまた消滅の危機が訪れるだろう。
夕暮れの河川敷。 灯が、静かに告げた。
「ここにはいられない。……響、お前はもう、この街の規格には収まりきらない」
「……わかってるよ」
アタシは、自分の掌を見つめた。 指先が、まだ微かに震えている。
「元凶を断ちに行くぞ」
灯が、西の空を指差した。沈みゆく太陽の向こう。 かつてアタシが追放された場所。全ての因縁の始まり。
「ああ。……京帝へ行く」
アタシは拳を握りしめた。
「アタシを捨てた連中に、落とし前をつけさせにな。……それに、このままじゃ美咲たちを巻き込んじまう」
アタシは美咲の方を向いた。彼女は、寂しそうな、でも意志の強い瞳でアタシを見ている。 別れの時だ。
「……行くね、美咲」
「うん」
美咲は泣かなかった。 代わりに、ポケットから何かを取り出した。 コンビニで買ったばかりの、タピオカミルクティー。
「これ、餞別。……向こうでも、ちゃんとタピ活してよね」
「ぶっ……。お前なぁ」
アタシは吹き出し、それを受け取った。冷たくて、結露で濡れたプラスチックの感触。
「絶対帰ってきてね! 帰ってきたら、また一番高いやつ奢るから!」
「おうよ! 首洗って待ってろ!」
アタシは涙を拭い、ニカっと笑った。最高の笑顔で。
バンのクラクションが鳴る。 灯たちが待っている。 アタシはタピオカを一口飲み、その甘さを胸に刻み込んでから、背を向けた。
アタシはもう、捨てられた神ではない。 愛される「辰巳響」として。 そして、リコリス・バロックの一員として。 自らのルーツ(京帝)との決着をつける旅に出る。
西の空が、赤く燃えていた。それは、アタシたちの新しい戦いの狼煙のように見えた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




