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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
千年の黄昏(ミレニアム・トワイライト)編

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第十八話「神殺しの楔(くさび)」2

第二章 捨てられた神の詩


 意識の輪郭が、水に溶ける絵具のように滲んでいく。鏡花の施した電気的処置の微かな痺れが、遠い過去の痛みを呼び覚ましていた。


 夢を見る。 1000年以上前。コンクリートもネオンもない、木と土と呪術で組み上げられた都。京帝キョウテイ


 その都の中央を流れる川があった。禍喪川(かもがわ)。 都の繁栄が産み落とす汚泥、疫病、死者の怨念……それら全ての「穢れ(ケガレ)」を受け止め、下流へと流す清浄なる排水路。私は、その川の主だった。


『青龍様。都の守り神よ』


 川岸に集う人々が、額を地面に擦り付けて祈っている。 私は水面から鎌首をもたげ、彼らを見下ろす。 美しい鱗、鋭い爪、天を操る神通力。 彼らは私を崇め、供物を捧げた。だが、その瞳の奥にあるのは敬愛ではない。「恐怖」と「打算」だ。穢れを押し付け、清浄さを保つための、便利なゴミ処理係としての神。


 都が肥大化するにつれ、流れ込む穢れの量は限界を超えつつあった。 私の鱗は黒く濁り、川は腐臭を放ち始めた。神である私自身が、穢れの器として満杯になってしまったのだ。


 ある雨の日。 川岸に、白い狩衣を纏った一団が現れた。 陰陽寮。 その先頭に立つ男の顔は、現代で見るあの男――烏丸保憲(からすま やすのり)に瓜二つだった。 彼は、冷徹な瞳で私を見上げ、恭しく告げた。


『青龍様。貴方様の御力は、もはやこの京帝には余りある』


 それは、解雇通告だった。


『東の果て、武蔵野の地に、広大な湿地帯を流れる暴れ川がございます。……そこへ遷宮(うつ)り、その地を鎮めていただきとうございます』


 遷宮という名の、厄介払い。 使い潰されたフィルターの廃棄処分。私は何も言わなかった。否、神に拒否権などなかった。 人々が望まぬ神は、ただの妖怪(バケモノ)に堕ちるしかないからだ。


 私は東へ下った。 辿り着いたのは、葦が生い茂る泥濘の地。 墨堕川(すみだがわ)。 そこは、京帝から海流に乗って流れ着く呪いや、戦乱の死体、あらゆる「終わったもの」が堆積する、世界の吹き溜まりだった。


「……アタシは、京帝の連中に押し付けられた生贄みたいなもんさ」


 墨のような黒い水の中で、私は独り、何百年もの時を過ごした。 誰も私を愛さなかった。ただ、氾濫を恐れ、祟りを恐れ、遠巻きに石碑を建てるだけ。 孤独だった。 神としての全能感など、この底知れぬ寂寥の前では何の慰めにもならなかった。


 だから、私は削ぎ落とした。巨大すぎる龍の肉体を。 人を畏怖させる神性を。 それらを捨て去り、小さく、脆く、無力な「ヒト」の形へと自らを圧縮した。


『うぇーい、マジウケるー!』


『タピオカ飲むべ!』


 数百年後。 コンクリートに覆われた川のほとりで、馬鹿騒ぎをする少女たちの群れを見た時、私は初めて「なりたいもの」を見つけた気がした。神様なんて立派なものじゃない。 ただの、辰巳響という名の、どこにでもいる女子高生(ガキ)


 甘ったるいタピオカを飲み、狭いプリクラ機の中で変顔をして、意味のない会話で笑い転げる。 それは、何千年もの間、冷たい水底で膝を抱えていた私にとって、目が眩むような「陽だまり」だった。


「……ッ、はぁ!」


 現実世界。 神宿の探偵事務所で、響は弾かれたように覚醒した。呼吸が浅い。 全身の血管に、鉛を流し込まれたような倦怠感がある。


「響! 気がついたか!」


 久遠灯(くおん あかり)が駆け寄ってくる。響は、自分の手を見た。 半透明に透けていた指先は、鏡花の応急処置で実体を取り戻しているが、その輪郭はまだテレビのノイズのように揺らいでいる。


「……灯。……アタシの、川は?」


 響が掠れた声で問う。灯は答えず、無言でテレビのニュース映像を指差した。


『――緊急ニュースです。本日午後より、東京都建設局および特務祭祀局主導による、大規模河川改修工事が開始されました』


 画面に映し出されているのは、響の棲処である墨堕川の河川敷だ。だが、そこにあるのは見慣れた風景ではない。無数の重機。 トラックの列。 そして、川岸を取り囲む白いバリケード。


『老朽化した護岸の補強と、地下水脈の汚染除去を目的とし、一部区間の埋め立てを行います。……なお、この工事に伴い、河川敷にある古い(ほこら)の撤去も行われる予定です』


「埋め立て……?」


 響の思考が凍りつく。 名目は改修工事。 だが、実態は違う。 アシュラツリーによって弱体化した響にトドメを刺すための、物理的な「殺害」だ。 川をコンクリートで塞ぎ、力の源である祠を破壊すれば、土地神としての響は拠り所を失い、完全に消滅する。


「……あいつら、本気だ」


 鏡花がモニターを睨む。


「通常の作業員ではない。重機を操縦しているのは『ホワイト・ファング』の兵士だ。……霊的結界を張った上で、物理的に『神殺し』を行うつもりだ」


 鉄の爪(ショベルカー)が、響の家を、思い出を、アイデンティティを、泥ごと掬い上げようとしている。


「行かなきゃ……」


 響は、身体中に繋がれていた電極ケーブルと、栄養補給用の点滴チューブを乱暴に引き抜いた。プシュッ、と音がして、針の跡から血が滲む。ふらつく足で、立ち上がる。


「おい、待て! その体で何ができる!」


 灯が肩を掴んで止める。 今の響には、龍に変身する力など残っていない。ただの、少し喧嘩が強いだけの女子高生だ。 武装した軍隊と重機の群れに突っ込めば、文字通りミンチにされる。


「離せよ……! アタシの家が……!」


 響は灯の手を振り払おうとするが、力が入らない。 悔し涙が滲む。


「京帝でも追い出されて……。やっと見つけた場所なんだ。狭くて、汚くて、ドブ臭い川だけど……あそこだけが、アタシの居場所なんだよ!」


 美咲と話した土手。 タピオカの殻を捨てたゴミ箱。 サボって寝転がった草むら。 それらが今、無機質な鉄の塊によって蹂躙されようとしている。


「死ぬなら……あそこで死にてぇんだよ!」


 響の叫びが、狭い事務所に響き渡る。それは、神の威厳などかなぐり捨てた、迷子の子供の泣き声だった。


 灯は、響の瞳を真っ直ぐに見つめた。そして、短く息を吐き、掴んでいた手を離した。


「……わかった。行け」


「灯!?」


 美流愛が驚きの声を上げる。


「ただし、独りでは行かせん」


 灯は、壁にかけてあったコートをひっ掴み、響の肩にかけた。


「リコリス・バロックの特攻隊長が、あんな鉄屑どもに家を壊されて黙ってるわけにゃいかねえだろ。……喧嘩なら、全員で買うぞ」


 響は、コートの温もりに包まれながら、唇を噛み締めた。 視界が涙で滲む。


「……おう。……ありがとな」


 響は拳を握りしめた。 力はない。 だが、胸の奥で燻っていた残り火が、爆発的な殺意となって燃え上がった。


 アタシを殺そうとするなら、やってみろ。タピオカの味を知った龍神が、どれだけ往生際が悪いか、教えてやる。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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